旧約聖書:箴言・第6章・第6〜第11節 [聖書]

「怠け者よ、
蟻のところに行って見よ。
その道を見て、知恵を得よ。
蟻には首領もなく、指揮官も支配者もないが
夏の間にパンを備え、刈り入れ時に食糧を集める。

怠け者よ、
いつまで横になっているのか。
いつ、眠りから起き上がるのか。
しばらく眠り、しばらくまどろみ
しばらく手をこまぬいて、また横になる。
貧乏は盗賊のように欠乏は盾を持つ者のように襲う。」

怠け者への戒めの言葉ですね。紀元前から「蟻」は働き者の象徴だったのですね。皆さんよくご存知のイソップ物語の「アリとキリギリス」を思い出します。もしかして、イソップは旧約聖書の箴言のこの部分から材題を採ったのかもしれませんね。しかし、イソップ物語の「アリとキリギリス」は、元は「アリとセミ」だったのです( ̄▽ ̄;)

教訓としては、「将来のことを考えずに行動すると、その将来が訪れた時に困ることになる。将来の事を考え、働ける好機を生かすことで、長期的に大きな効果を得ることができる。」というものです。私が幼稚園(きく組)の劇でキリギリスさん役になった時に習ったのは、「アリが哀れみの心をもって食べ物を恵み、「私は、夏にせっせと働いていた時、あなたに笑われたアリです。あなたは遊び呆けて何のそなえもしなかったから、こうなったのですよ」とキリギリスに告げ、それを機にキリギリスは心を入れ替えて働くようになる。」というものでした。

しかし、イソップ物語の「アリとキリギリス」の物語は、「夏の間、アリたちは冬の食料を蓄えるために働き続け、キリギリスはバイオリンを弾き、歌を歌って過ごす。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、最後にアリたちに乞い、食べ物を分けてもらおうとするが、アリは「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだい?」と食べ物を分けることを拒否し、キリギリスは飢え死んでしまう。」という、なんとも悲惨というか、子どもにとってはとても残酷な話しとなっております。 まぁ、いずれにしても教訓は教訓です。
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教会日記2023.5.26(カトリック成城・聖タデオ教会「聖フィリポ・ネリ司祭の記念日 (復活節第七金曜日)のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「聖フィリポ・ネリ司祭の記念日(復活節第七金曜日)のミサ」に与りました。今日も25度を超えて夏日になるようです!( ̄▽ ̄;) 今月は聖母月です。毎日、ロザリオの祈りに励みましょう!

ミサでは、聖フィリポ・ネリ司祭の記念日をお祝いしてお祈りしました。
また、今日は先唱奉仕を担当しました。
そして、まずは主を讃えるお祈りを唱えました。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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聖マーザー・テレサの祈り(第4日目) [祈り]

「仕事の最中でも、祈ることはできます。
仕事は祈りを妨げないし、
祈りもまた、仕事を妨げることはないのです。
ただほんの少しだけ心を神に向けるだけで良いのです。
愛しています、
お任せしています、
信じています、
神よ、私は今あなたが必要です。
こんな感じでいいのです。
これは素晴らしい祈りです。」

聖マザー・テレサのことは、このブログの2023年5月23日に掲載した「聖マザー・テレサの祈り(第1日目)」をご覧ください。
お祈りは、いわば神様との通信です。したがって場所や時間を選びません。もっとも大切なことは、このお祈りにある「愛しています、お任せしています、信じています、神よ、私は今あなたが必要です。」という神様に寄り頼む神様への姿勢と対話です。神様を見ることはできず、神様が応えてくださる声は聞こえませんが、きっと神様は応えてくださいます。それを心の底から信じて祈るのが信仰であると確信しています。神は私たちのそばにおられます。
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モーツァルト作曲『アヴェ・ヴェルム・コルプス・ニ長調・K.618番』・『レクイエム ニ短調 K.626番』のご紹介! [キリスト教と音楽]

この記事は、このブログに過去に掲載した記事を一部修正・加筆して掲載しています。後でご紹介するCDの収録順が前後しますが、まずは『アヴェ・ヴェルム・コルプス・ニ長調・K.618番』からご紹介します。
この曲は、1791年(6月17日)にモーツァルトが妻コンスタンツェの療養を世話した合唱指揮者アントン・シュトルのために作曲したもので、曲としてはわずか46小節の小品ですが、モーツァルト独特の絶妙な転調による静かで落ち着いたゆったりとした曲調から、モーツァルト晩年の傑作とされています。編成は、混声四部合唱、ヴァイオリン、ヴィオラ、コントラバス、オルガン(通奏低音)です。演奏時間は約3分。
◯歌詞
<ラテン語>
「Ave verum corpus natum de Maria Virgine.
Vere passum immolatum in cruce pro homine:
cujus latus perforatum fluxit aqua et sanguine.
Esto nobis praegustatum mortis in examine.
O Iesu dulcis
O Iesu pie,
O Iesu Fili Mariae.
Amen.」
<日本語訳>
「めでたし、乙女マリアより生まれ給いしまことのお体よ。
人々のため犠牲となりて十字架上でまことの苦しみを受け、
貫かれたその脇腹から血と水を流し給いし方よ。
我らの臨終の試練をあらかじめ知らせ給え。
優しきイエスよ。
慈悲深きイエスよ。
マリアの子イエスよ。
アーメン。」

このモーツァルトの『アヴェ・ヴェルム・コルプス』は、是非とも次のCDを聴いてください!それは、リッカルド・ムーティ指揮のベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるモーツァルト『レクイエム』です。このCDの一番最後のところに収録されています。
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モーツァルト『レクイエム』
リッカルド・ムーティ指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
合唱は、スウェーデン放送合唱団・ストックホルム室内合唱団
ソプラノ:パトリシア・パーチェ
メゾソプラノ:ヴァルトラウト・マイヤー
テノール:フランク・ロバート
バス:ジェイムス・モリス
レーベルはEMIです。

なんと!この名演で500円です!このCDが世界最高のモーツァルトのレクイエムの演奏です!ムーティー指揮のベルリン・フィルにエリック・エリクソンが率いるストックホルム室内合唱団とスウェーデン放送合唱団とのコラボは最高水準の出来ばえです!カラヤンの指揮したCDもありますが、このCDに比べればカラヤンの指揮したCDは小学生の演奏に聴こえます。レクイエムは「死者のためのミサ曲」ですが、そのようなことにかかわらず、人を癒す力がある曲です。ぜひ、心静かにして落ち着いて聴いてください。涙があふれてきます。
収録曲
1.レクイエム ニ短調 K.626
1 入祭文:永遠の休息
2 キリエ
3 続誦:怒りの日
4 続誦:不思議なラッパが
5 続誦:おそるべき大王よ
6 続誦:思いたまえ
7 続誦:呪われた者どもを
8 続誦:涙の日
9 奉献文:主イエズス
10 奉献文:いけにえ
11 聖なる
12 ほむべきかな
13 神の小羊
14 聖体拝領誦
2.アヴェ・ヴェルム・コルプス K.618
以上です。

次に、『レクイエム』の意味をご紹介します。
「レクイエム(ラテン語: Requiem)」とは、ラテン語で「安息を」という意味の語で、次の意味において使われています。
1 死者の安息を神に願うキリスト教カトリック教会のミサ。“死者のためのミサ”という意味です。
2 上記のミサで用いる聖歌のこと。またそれに想を得て作られた楽曲。「死者のためのミサ曲」などと訳されます。
3 宗教的な意味を離れて、単に「葬送曲」又は「死を悼む」という意味でレクイエムという語が使われています。
上記1番のミサは、仏教でいうお葬式のことですね。そして2番は、そのお葬式の音楽ということです。ところで、たくさんの作曲家がレクイエムを作曲していますが、特に有名なのは“三大レクイエム”といわれるモーツァルト、ヴェルディ、フォーレの3人が作曲したレクイエムです。そこで、お勧めCDをご紹介します。ヴェルディのCDだけは紹介していません。もしもお聴きになるのでしたら、レクイエムの中の「怒りの日」を聴いてください!YouTubeで聴けます。ものすご~く恐ろしい怖い曲で、聴いているとそのまま地獄に落とされそうになります( ̄◇ ̄;)

では、次にレイクエムの曲の内容を説明いたします。ミサの司式にしたがって曲が進んで行きます。
◯入祭唱 (Introitus)
その日のミサの内容を歌うものです。固有文。死者のためのミサでは歌い出しが"Requiem æternam"(永遠の安息を)であるため、ミサ曲全体が「レクイエム」と呼ばれます。
※固有文:ミサを構成する種々の祈りの祈祷文のうち,そのミサが行われる日(曜日や季節)や目的(祝祭の種類)などに応じてそのミサだけに固有な内容をもつ祈りの祈祷文。したがって毎日変化しない「通常文」に対して変化する祈祷分のこと。

Requiem æternam dona eis, Domine,
et lux perpetua luceat eis.
Te decet hymnus, Deus, in Sion,
et tibi reddetur votum in Jerusalem.
Exaudi orationem meam,
ad te omnis caro veniet.
Requiem æternam dona eis, Domine,
et lux perpetua luceat eis.

主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光でお照らしください。
神よ、シオンではあなたに賛歌が捧げられ、
エルサレムでは誓いが果たされます。
私の祈りをお聞き届けください
すべての肉体はあなたの元に返ることでしょう。(詩編65:2-3)
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光でお照らしください。

◯キリエ (Kyrie)
日本では「いつくしみの賛歌」と言います。いつくしみ深い神への賛歌、あるいは罪びとがいつくしみを乞う歌のことです。唯一、ギリシア語による通常文です。

Kyrie eleison.
Christe eleison.
Kyrie eleison.

主よ、いつくしみを。
キリスト、いつくしみを。
主よ、いつくしみを。

◯続唱 (Sequentia)
固有文。最後の審判を歌ったもの。「トリエント公会議」で公認された4つの続唱のうちの1つ。「第2バチカン公会議」における典礼の刷新で、「死後の恐怖を不必要に強調することはキリスト教本来の思想から外れている」ことと、「葬儀は、キリスト信者の死の復活的性格をより明らかに表現する(『典礼憲章』第81条)」という理由でこの続唱は除かれ、三部に分けられて教会の祈り(聖務日課)の賛歌となっています。なお「怒りの日」は Dies Iræ ... Amen. までで1つの典礼文ですが、作曲の便宜上、以下のように細分されることがあります。フォーレのレクイエムには「怒りの日」がなく、初演当時はレクイエムの伝統にふさわしくないということで、教会の司祭から厳しく批判されたそうです。

Absolve Domine, animas omnium fidelium defunctorum
ab omni vinculo delictorum. 
Et gratia tua illis succurrente,
mereantur evadere judicium ultionis.
Et lucis aeternae beatitudine perfrui.

主よ、全ての死せる信者の霊魂を
ことごとく罪のほだしより解いてください。
彼らが主の聖寵の助けによって
刑罰の宣告をまぬがれ、
永遠の光明の幸福を楽しむにいたらんことを

・怒りの日 (Dies iræ)
Dies iræ, dies illa
solvet sæclum in favilla:
teste David cum Sibylla
Quantus tremor est futurus,
quando judex est venturus,
cuncta stricte discussurus.

怒りの日、その日は
ダビデとシビラの預言のとおり
世界が灰燼に帰す日です。
審判者があらわれて
すべてが厳しく裁かれるとき
その恐ろしさはどれほどでしょうか。

次の5つは省略します。
・奇しきラッパの響き (Tuba mirum)
・恐るべき御稜威の王 (Rex tremendæ)
・思い出したまえ (Recordare)
・呪われたもの (Confutatis)
・涙の日 (Lacrimosa)

◯奉献唱 (Offertorium)
司祭がパンとぶどう酒を捧げる時に歌われます。固有文。
・主イエス・キリスト (Domine Jesu)
Domine Jesu Christe, Rex gloriæ,
libera animas omnium fidelium defunctorum
de pœnis inferni,
et de profundo lacu;
libera eas de ore leonis,
ne absorbeat eas Tartarus,
ne cadant in obscurum.
Sed signifer Sanctus Michæl
repræsentet eas in lucem sanctam,
quam olim Abrahæ promisisti
et semini ejus.

主イエス・キリストよ、栄光の王よ、
全ての死せる信者の魂を
地獄の罰と深淵からお救いください
彼らの魂を獅子の口からお救いください
彼らが冥府に飲み込まれぬように
彼らが暗黒に落ちぬように。
旗手たる聖ミカエルが
彼らの魂を聖なる光へと導きますように。
かつてあなたがアブラハムとその子孫に
約束したように。

・賛美の生け贄と祈り (Hostias)
Hostias et preces Tibi,
Domine, laudis offerimus.
Tu suscipe pro animabus illis,
quarum hodie memoriam facimus.
Fac eas, Domine, de morte transire ad vitam,  
quam olim Abrahæ promisisti
et semini ejus.

賛美の生け贄と祈りを
主よ、あなたに私たちは捧げます。
彼らの魂のためにお受け取りください。
今日、私たちが追悼するその魂のために。
主よ、彼らの魂を死から生へとお移しください。
かつてあなたがアブラハムとその子孫に
約束したように。

◯サンクトゥス (Sanctus)※通常のミサと同じですが、後半の「ベネディクトゥス (Benedictus)」と一緒になっています。
日本では「感謝の賛歌」といいます。神を賛美し感謝する聖歌です。通常文。
・聖なる (Sanctus)
Sanctus, Sanctus, Sanctus
Dominus, Deus Sabaoth
Pleni sunt cæli et terra gloria tua
Hosanna, in excelsis.

聖なる、聖なる、聖なる神、
すべてを治める神なる主
主の栄光は天地に満つ
天には神にホザンナ(ホザンナは「救い給え」の意)

・祝福されますように (Benedictus)
Benedictus qui venit in nomine Domini
Hosanna, in excelsis

主の名によって来られるかたに賛美
天には神にホザンナ

◯神羊誦 (Agnus Dei)(※しんようしょう)
日本では「平和の賛歌」といいます。聖別(聖体変化)したパンを切り分ける際に歌い、神の小羊であるキリストに世の平安を祈る聖歌です。通常文。

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi:
dona eis requiem.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi:
dona eis requiem.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi:
dona eis requiem sempiternam.

世の罪を除く神の子羊
いつくしみをわたしたちに
世の罪を除く神の子羊
いつくしみをわたしたちに
世の罪を除く神の子羊
平和をわたしたちに

◯聖体拝領唱 (Communio)
聖体となったパンとぶどう酒を拝領する際に歌われます。死者が永遠の光に照らされることを神に祈る聖歌です。固有文。死者ミサの聖体拝領唱は冒頭を取り Lux æterna とも呼ばれます。

Lux æterna luceat eis, Domine:
Cum Sanctis tuis in æternum,
quia pius es.
Requiem æternam dona eis Domine:
et lux perpetua luceat eis.
Cum Sanctis tuis in æternum,
quia pius es.

主よ、彼らを永遠の光でお照らしください。
聖者たちとともに永遠に
あなたは慈悲深くあられるのですから。
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光でお照らしください。
聖者たちとともに永遠に
あなたは慈悲深くあられるのですから。

◯赦祷文 (Responsorium)
ミサの終了後の赦祷式(Absolutio ad Tumbam)で歌われます。ミサには含まれませんが、葬儀に関連するため、曲がつけられることがあります。フォーレ、ヴェルディ等。通常のミサで使われる嘆願(Libera nos)と区別するため Libera meと呼ぶことが多いです。

Libera me, Domine, de morte æterna,
in die illa tremenda.
Quando cœli movendi sunt et terra,
Dum veneris judicare sæculum per ignem.
Tremens factus sum ego et timeo,
dum discussio venerit atque ventura ira.
Quando cœli movendi sunt et terra.
Dies illa, dies iræ
calamitatis et miseriæ,
dies magna et amara valde.
Requiem æternam dona eis, Domine
et lux perpetua luceat eis.

主よ、永遠の死から私をお救いください
恐るべきその日に。
天と地が揺れ動き、
主が炎を持ってこの世を裁く日、
来るべき裁きと怒りの時に
私は恐れおののく。
天と地が揺れ動く。
その日は怒りの日、
災いと不幸の日
大いなる嘆きの日。
主よ、永遠の安息を彼らに与え、
絶えざる光でお照らしください。

◯楽園へ (In Paradisum)
出棺、埋葬時に歌われる。ミサには含まれませんが、葬儀に関連するため、曲がつけられることがあります。フォーレなど。(この歌での「あなた」は死者を指す。)

In Paradisum deducant te Angeli;
in tuo adventu suscipiant te martyres
et perducant te in civitatem sanctam Jerusalem.
Chorus Angelorum te suscipiat,
et cum Lazaro quondam paupere,
æternam habeas requiem.

天使があなたを楽園へと導きますように。
楽園についたあなたを、殉教者たちが出迎え、
聖なる都エルサレムへと導きますように。
天使たちの合唱があなたを出迎え、
かつては貧しかったラザロとともに、(ルカ16:19-22)
永遠の安息を得られますように。
以上です。
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聖マザー・テレサの祈り(第3日目) [祈り]

「主よ、わたしは信じきっていました。
わたしの心が愛にみなぎっていると。
でも、胸に手を当ててみて
本音に気づかされました。
わたしが愛していたのは他人ではなく
他人の中の自分であった事実に。
主よ、わたしが自分自身から解放されますように。

主よ、わたしは思いこんでいました。
わたしは与えるべきことは何でも与えていたと。
でも、胸に手を当ててみて
真実がわかったのです。
わたしのほうこそ与えられていたのだと。
主よ、わたしが自分自身から解放されますように。」

聖マザー・テレサのことは、このブログの2023年5月23日に掲載した「聖マザー・テレサの祈り(第1日目)」をご覧ください。
この祈りには『自己からの解放』という題がついています。この祈りの言葉の謙遜さに頭が下がります。相手・他人のためにとやっている行為だと思っていたら、実は自分自身のためだったということです。それでは「自己満足でしょ!」というになりますね。人間というものは、あくまでも謙虚でなければなりません。よく考えない行為は、まったくのお節介焼きだけになってしまいます(⌒-⌒; ) 私の自戒とするところです。
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「装飾写本ハガキ」と『グーテンベルク42行聖書』のお話し [キリスト教と美術]

写真は、上野公園内にある国立西洋美術館で開催されている「憬の地 ブルターニュ展」を観に行かれた方からのお土産です。これは中世ヨーロッパのラテン語聖書・祈祷書から採った「彩飾写本ハガキ」ですね。装飾写本とも彩飾写本とも言います。
私がクリスチャンだからということでのお土産でした。国立西洋美術館で、2019年から2020年にかけて開催した「内藤コレクション写本展」で、展示された中から代表的な写本を国立西洋美術館が10種類の絵はがきのセットにしたものだそうです。
信徒でない方は、あまり興味がわかないかもしれませんし、このハガキでお便りをもらっても「これは何だろう?」とお思いになるでしょう。でもクリスチャンであれば、ヨーロッパの古い聖書や祈祷書にある装飾画や彩飾意匠であると気づきますね。
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………ということで、次に装飾写本に関係して、その装飾が施されている『グーテンベルク42行聖書(マルティン・ルターのドイツ語訳聖書)』のお話しをします。以前、このブログに掲載した記事を一部修正して再掲載いたします。写真は、私の自室に飾ってあるグーテンベルクの印刷機によって印刷した、マルティン・ルターの『ドイツ語訳42行聖書』の一葉です。もちろんレプリカです。
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宗教改革で有名なドイツのマルティン・ルターは、ザクセン選帝侯フリードリヒにかくまわれ、ヴァルトブルク城にいた時に新約聖書のドイツ語訳を完成し、1522年に印刷してドイツの民衆に広がりました。ルターは、ラテン語とギリシア語の原典から、当時のドイツの各地方の方言を取り入れながら翻訳しました。
◯『グーテンベルク42行聖書』のレプリカです。本物は、製作する時に最初に文字を印刷機で印刷し、刷り上がった紙面に装飾(彩飾)職人が筆を使って書き上げたそうです。
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この新約聖書は、15世紀にグーテンベルクによって改良された活版印刷機によって印刷されて広く普及して、宗教改革の民衆への広がりの一因となったそうです。また、このルター訳の聖書が普及することで、近代ドイツ語の統一が図られたとも言われています。この聖書の効果・影響は大きいものがあったのですね。
それまでは、ほとんどがラテン語の聖書でしたので、聖職者と一部の知識人しか聖書を読むことができませんでした。一般民衆はラテン語を読むことができないため、教会で聖書の朗読を聴くだけでした。余談ですが、このグーテンベルグによって印刷された『グーテンベルク42行聖書」』は、現在世界に48冊しかありません。その内の1冊は日本にあり、慶應義塾大学図書館に保管されています。

ルターのドイツ語訳新約聖書は、1522年9月21日に印刷を完了し、直ちに市場に販布されました。翻訳者、印刷者、出版者の名もなく、年月も記されずただ下方にヴィッテンベルクと市名が記されているだけでしたが、時が9月だったので、「9月聖書」と呼ばれました。定価は1グルテン半で、当時としては高価でしたが、大いに歓迎さて売り尽くし、すでに12月には再版が出ました。すごい!
その後もほぼ毎年、新版が印刷され、ルターの生存中に22版を重ねたそうです。なお、ルターは新約聖書のみならず、旧約聖書のドイツ語訳にも着手し、1532年には全部を訳し終え完成出版することができたそうです。
(マルティン・ルター/石原謙訳「キリスト者の自由・聖書への序言」岩波文庫から引用しました。)
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聖マザー・テレサの祈り(第2日目) [祈り]

「主よ、私が空腹を覚えるとき、
パンを分ける相手に出会わせてください。
のどが渇くとき、
飲み物を分ける相手に出会えますように。
寒さを感じるとき、
暖めてあげる相手に出会わせてください。

不愉快になるとき、
喜ばせる相手に出会えますように。
私の十字架が重く感じられるとき、
だれかの重荷を背負ってあげられますように。
貧しくなるとき、
貧しい人に出会わせてください。

ひまがなくなるとき、
時間を割いてあげる相手に出会えますように。
私が屈辱を味わうとき、
だれかを褒めてあげられますように。
気が滅入るとき、
だれかを力づけてあげられますように。

理解してもらいたいとき、
理解してあげる相手に出会えますように。
かまってもらいたいとき、
かまってあげる相手に出会わせてください。
私が自分のことしか頭にないとき、
私の関心が他人にも向きますように。

空腹と貧困の中に生き、
そして死んでいく世の兄弟姉妹に
奉仕するに値する者となれますように。
主よ、私をお助けください。
主よ、私たちの手をとおして
日ごとのパンを今日彼らにお与えください。
私たちの思いやりをとおして
主よ、彼らに平和と喜びを与えください。」

聖マザー・テレサのことは、このブログの2023年5月23日に掲載した「聖マザー・テレサの祈り(第1日目)」をご覧ください。
この祈りには『自分より他人を』という題がついています。この祈りに説明はいりませんね。祈りの祈祷文のとおりです。私が参加している「山谷夜回りの会」のホームレス支援活動に携わる人の指針・心構えとなるお祈りの祈祷文です。あくまでも謙虚であり、強い信仰心が感じられる祈祷文です。
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「フレスコ画『聖母子像』」に再会! [キリスト教と美術]

このブログの2021年10月16日に掲載した記事を再掲載いたします。
写真は、日本で初めてフレスコ画を描いたことで有名な日本画家の長谷川路可(はせがわ るか)画伯作のフレスコ画『聖母子像』です。カトリック喜多見教会の聖堂内にあったのですが、その喜多見教会が2013年に閉鎖され、カトリック成城教会に統合されるのに伴い、神奈川県大和市にある学校法人大和学園聖セシリア(聖セシリア幼稚園・小学校・中学校・高等学校・女子短期大学)に寄贈・移設されました。

私は、喜多見教会が閉鎖される直前に訪問したことがあり、その時に初めて拝観させていただきましたが、確か祭壇に向かって右側の壁にありました。聖セシリアの法人事務局の方に事前に許可をいただいて拝観させていただきました。久しぶりの再会となりました。修復して色彩がきれいになっていましたね。学校法人大和学園聖セシリアでは、このフレスコ画『聖母子像』を一般公開しています。ただし、要事前許可申請が必要です(2021年10月16日現在)。事務局の方には、お忙しいところご親切に、そしてご丁寧にご案内いただきました。
◯聖セシリア小学校の講堂「八角堂」の舞台背面に展示してありました。
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「フレスコ(英語: fresco)」とは、絵画技法の一つで、この技法で描かれた壁画をフレスコまたはフレスコ画と呼びます。大昔から西洋の壁画などに使われています。フレスコの作製は、まず壁に漆喰を塗り、その漆喰がまだ「フレスコ(新鮮)」である状態で、つまり生乾きの間に水または石灰水で溶いた顔料で描きます。やり直しが効かないため、高度な計画と技術力を必要とし、逆に、乾くと水に浸けても滲まないことで保存に適した方法でした。なお、失敗した場合は漆喰をかき落とし、やり直すことになりますΣ( ̄ロ ̄lll)ガーン ヨーロパでルネサンス期に盛んに描かれました。有名なラファエロの『アテネの学堂』やミケランジェロの『最後の審判』などがよく知られていますね。

【長谷川路可】
長谷川画伯の詳細については、独立行政法人 国立文化財機構 東京文化財研究所のホームページをご覧ください。https://www.tobunken.go.jp/materials/bukko/9099.html
【聖セシリア中学校・高等学校】
カトリック精神にもとづいた教育を行っている学校法人大和学園聖セシリア:聖セシリア中学校・高等学校のことは、次のホームページをご覧ください。https://www.cecilia.ac.jp/index.html
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聖マザー・テレサの祈り(第1日目) [祈り]

「イエスよ、私をお救いください
愛されたいという欲望から
ほめられたいという欲望から
名誉を得たいという欲望から
称賛されたいという欲望から
人よりも好かれたいという欲望から
相談されたいという欲望から
よく思われたいという欲望から
人気を得たいという欲望から

屈辱を受けるという恐れから
軽蔑されるという恐れから
非難されるという恐れから
中傷されるという恐れから
忘れ去られるという恐れから
ひどい扱いを受けるという恐れから
嘲笑されるという恐れから
疑われるという恐れから」

マザー・テレサ(マケドニア:1910年~1997年)は、キリスト教カトリックの修道女で、修道会「神の愛の宣教者会」の創立者です。本名は、アルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジといいます。神の使徒です。「マザー」は指導的な修道女への敬称であり、「テレサ」は修道名ですね。インドのカルカッタで始めたマザー・テレサの貧しい人々のための活動は、後進の修道女らによって全世界に広められ、今も多くの貧困者などを救済しています。

生前からその活動は高く評価されており、1973年のテンプルトン賞、1979年のノーベル平和賞、1980年のバーラ・ラトナ賞(インド国民に与えられる最高賞)、1983年にエリザベス2世から優秀修道会賞など多くの賞を受けました。1996年にはアメリカ名誉市民に選ばれています。(アメリカ名誉市民はわずか10人ほどだそうです)。2003年には、当時の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列福され、2019年9月4日に教皇フランシスコによって聖人に列せられました。

この祈りの前半は、「欲望からの救いの祈り」で、後半は「恐れからの救いの祈り」となっています。欲望からの救いは、その欲望を自分ではなく、人に与えることへ変える祈りへ、恐れからの救いは、その恐れを勇気に変える祈りへということですね。欲望は、凡人である私が自戒としていた言葉です。過去形ですね。そうです!洗礼を受けえキリスト者として生きていくうちに、このような欲望は徐々に消え去っていくことを実感するようになりました。これが祈りの力です。
どこまでも常に謙虚で、勇気をもって何事にも取り組み、人に愛を与え続けたマザー・テレサらしいお祈りの言葉ですね。
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カトリック教会の祈祷書のご紹介 [祈り]

キリスト教の信仰生活における「行い」で、一番大切なことは神を賛美してお祈りを唱え捧げることです。他の宗教も同じだと思いますが、神への祈りなくして信仰はありえませんね。とにかく毎日お祈りに励みましょう!………ということで、カトリック教会の祈祷書(お祈りの祈祷文集)は、何冊か出版されています。

今日ご紹介するのは、聖パウロ修道会のカトリック専門書・聖品専門店サンパウロから出版されている①『カトリックの祈り(改訂新版)』と②『カトリック祈祷書 祈りの友(改訂新版)』です。なお、昨年11月末の待降節から新しいミサの式次第に移行しましたが、その「新式次第」を両方とも収録しています。また、他に次の2冊の祈祷書もご紹介しておきます。ドン・ボスコ社から出版されている『カトリック祈祷書 祈りの友(改訂新版)』とカトリック中央協議会が出版している『日々の祈り 改訂版第二版』です。
◯写真は、右側は①『カトリックの祈り(改訂新版)』で、左側は『カトリック祈祷書 祈りの友(改訂新版)』です。
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1.『カトリックの祈り(改訂新版)』
最初にご紹介する『カトリックの祈り(改訂新版)』は、他の祈祷書よりも古い文語体の各種祈祷文が多く収録されており、昔ながらの祈祷文でお祈りするのが慣れ親しんでいる方にはお勧めですね。カトリック教会の祈祷文の中でも大きな特色である「連願(れんがん)」も5つ揃っています。

<聖パウロ修道会のカトリック専門書・聖品専門店サンパウロのホームページから>
「日本のカトリック教会で全国共通の祈祷書として、長い間親しまれて、愛唱されてきた「公教会祈祷文」の抜粋版。従来の美しい文語体の祈りを残しつつ、現代の典礼、儀礼文、口語体による新しい祈りもを挿入する。新しい「ミサの式次第」に対応しています。」
◯書名:『カトリックの祈り(改訂新版)』
出版:サンパウロ
編者:サンパウロ
判型:A6判上製
ページ数:342ページ
定価:1,320円(本体1,200+税)
初版発行:1995年7月1日
改訂初版発行:2011年8月20日
改訂新版 初版発行:2023年4月15日

◯目次
発刊にあたって
日々の祈り
 主の祈り(口語・文語)
 アヴェ・マリアの祈り(口語・文語)
 栄唱(口語・文語)
 使徒信条
 ニケア・コンスタンチノープル信条
 洗礼式の信仰宣言
 悔い改めの祈り
 神のゆるしを願う祈り
 神を信じる人の祈り
 神に希望をおく人の祈り
 神を愛する人の祈り
 お告げの祈り
 アレルヤの祈り
 食前の祈り
 食後の祈り
 初めの祈り
 終わりの祈り
 目覚めの時の祈り
 朝の祈り一
 朝の祈り二
 昼の祈り
 晩の祈り一
 晩の祈り二
 晩の祈り三
 床につく時の祈り
ミサの式次第
ゆるしの秘跡(個別のゆるしの式)
ロザリオの祈り
十字架の道行
連願
 イエスのみ名の連願(文語)
 イエスのみ心の連願(文語)
 聖マリアの連願
 聖ヨセフの連願(口語)
 聖ヨセフの連願(文語)
 諸聖人の連願(文語)
典礼暦年中の祈り(文語)
 待降節の祈り
 幼きイエスを訪いたてまつる祈り
 新年の祈り
 御公現の祈り
 四旬節の祈り
 悲しめる聖母に対する祈り
 御復活節の祈り
 御昇天の祈り
 聖霊降臨の祈り
 聖霊の御降臨を望む祈り
 三位一体の祭日の祈り
聖体に対する祈り(文語)
 聖体に対する聖トマの祈り(アドロ・テ)
 オ・サルタリス(ああ救霊のホスチア)
 アヴェ・ヴェールム(めでたし、まことの御体よ)
 パンジェ・リングァ(いざ歌えわが舌よ)
 聖体を訪いたてまつる時の祈り
イエスのみ心に対する祈り(文語)
 人類の忘恩に対する償いの祈り
 イエスのみ心に家庭をささぐる祈り
 み心の侮辱を償う決心の祈り
 すべての人の心の王たるキリストに向かう祈り
 イエスのみ心に人類をささげたてまつる祈り
聖母マリアに対する祈り(文語)
 聖母のご保護を求むる祈り
 聖母に一切を託する祈り
 聖母の汚れなきみ心に日本をささぐる祈り
 聖マリアに身をささぐる祈り
聖ヨセフへの祈り(口語)
聖ヨセフに対する祈り(文語)
 教会の保護者なる聖ヨセフに向かう祈り
 聖ヨセフに向かいて貞徳を求むる祈り
天使・諸聖人に対する祈り(文語)
 守護の天使に向かう祈り
 天使の保護を求むる祈り
 聖ペトロと聖パウロに対する祈り
 日本二十六聖殉教者の信仰を求むる祈り
 聖フランシスコ・ザベリオに倣いて善徳を求むる祈り
 幼きイエスの聖テレジアの精神を求むる祈り
病者のための祈り(文語)
 病人の回復を求むる祈り
 病中忍耐の徳を求むる祈り
 死に臨める人びとのためにする祈り
死者のための祈り(文語)
 すべての死者のための祈り
 デ・プロフンディス(詩編129)
種々の祈り(文語)
 キリストに向かう祈り
 十字架上のイエスに向かう祈り
 自己をささぐる祈り
 教皇のためにする祈り
 司祭のための祈り
 御召しを求むる祈り
 父母のためにする祈り
 子女のためにする祈り
 聖家族に対しておのが家族のためにする祈り
 幼児をささぐる祈り
 信仰の一致を求むる祈り
 よき収穫を願う祈り
以上です。

2.『カトリック祈祷書 祈りの友(改訂新版)』
次にご紹介する祈祷書は、私が愛用している『カトリック祈祷書 祈りの友(改訂新版)』です。800ページもあるので、現行のお祈りに関する祈祷文はほぼ網羅しているといってもいいでしょう。しかも、多くの祈祷文が口語体に改訂されていますし、伝統的な祈祷文は文語体も併記しています。ただ、どういうわけか、カトリック教会祈祷文の特色である「連願(れんがん)」は3つで、「イエスのみ名の連願」と「諸聖人の連願(連祷)」がないのです( ̄▽ ̄;) なぜなのでしょうか?これは非常に残念なことですね。

ところで、この祈祷書は、私が毎日カバンに入れ持ち歩いている『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書(小型版)』よりも重いので、持ち歩くのを躊躇してしまいます。全部覚えてしまえばいいのですが、祈祷文がたくさんあってそう簡単には覚えられません。ですから、何時どこでも必要なお祈りができるようにカバンに入れて持ち歩きたいのですが、膝を痛めている私には少しの重さでも堪えられないのです( ̄▽ ̄;)

<聖パウロ修道会のカトリック専門書・聖品専門店サンパウロのホームページから>
「聖書、典礼、教会の伝統に根ざした新しい祈り。各自で、家庭で、集会で、教会で使用できる祈り。秘跡のこまやかな導きとなる祈り。年間の典礼にともなう心構えを育てる祈り。日常生活に密着した祈り。祈りを提供すると同時に自分で祈るように導き、また信仰生活において、もっとも大切な事柄について理解を深めさせる祈りの本。」
※新しいミサの「新式次第」を収録。総ルビ対応。
◯書名:『カトリック祈祷書 祈りの友(改訂新版)』
出版:サンパウロ
編著:カルメル修道会・ストゥッキ神父
編者:サンパウロ
判型:A6判上製
ページ数:800ページ
定価:2,200円(税込)
初版発行:1980年7月16日
改訂新版 初版発行:2022年12月25日

◯目次(主なもの)
発刊にあたって
はじめに
改訂新版の発刊にあたって
朝晩の祈り
日々の祈り 伝統的祈り
念祷のしおり
十字架の道行の祈り
聖母マリアと共に
秘跡
堅信
ミサの式次第
ミサ以外のときの聖体拝領の略式
聖体拝領の感謝の祈り
ゆるしの秘跡
婚姻の秘跡〜家族〜
病者のための秘跡と祈り
教会の典礼と共に歩む
種々の祈り
種々の祝別
神に召された兄弟姉妹のための祈り
付録1 詩編
付録2 免償
付録3 聖具への崇敬
付録4 種々の祈りの追加
付録5 種々の祝別の追加
付録6 信者の心得
以上です。

3.他に次の2つの祈祷書がありますのでご紹介いたします。
『祈りの手帖 三訂版』
<ドン・ボスコ社のホームページから>
「カトリック教会のさまざまな祈りと、ゆるしの秘跡・ロザリオの祈り・十字架の道行の手引き、ミサの式次第(会衆用)を収載した信徒必携の小冊子。2022年11月27日(待降節第一主日)より実施される新しい「ミサの式次第」に対応しています。奉献文は第二・第三を収載。読みやすい大きめ文字、横書き、ふりがな付き。ドン・ボスコ社のベストセラーです!」
◯書名:『祈りの手帖 三訂版』
出版:ドン・ボスコ社
編者:ドン・ボスコ社
判型:A6判
ページ数:102ページ
定価:440円(税込)
初版発行:2002年12月5日
改訂版第1刷発行:2018年5月24日
改訂版第2刷発行:2021年6月24日
三訂版第1刷発行:2022年4月17日

◯目次
日々の祈り
 十字架のしるしと祈り
 主の祈り
 アヴェ・マリアの祈り
 栄唱
 お告げの祈り
 アレルヤの祈り
 悔い改めの祈り
 神のゆるしを願う祈り
 神を信じる人の祈り(信徳唱)
 神に希望をおく人の祈り(望徳唱)
 神を愛する人の祈り(愛徳唱)
 朝の祈り
 夕の祈り
 初めの祈り
 終わりの祈り
 食前の祈り
 食後の祈り
聖母への祈り
 元后あわれみの母(Salve Regina)
 神のみ母よ(Sub tuum praesidium)
 聖母マリアの歌(Magnificat)
 聖母のご保護を求める祈り ─聖ベルナルド
 扶助者聖マリアにご保護を願う祈り
 結び目を解く聖母マリアへの祈り
さまざまな祈り
 聖霊への祈り
 守護の天使への祈り
 聖ヨセフへの祈り
 困難のときの祈り
 病気のときの祈り
 病人のための祈り
 死者のための祈り
 家族の祈り
 父母のための祈り
 子どものための祈り
 召命を求める祈り
 司祭の召し出しを求める祈り
 福音宣教の祈り
 危機に瀕する世界のための祈り ─聖ヨハネ・パウロ二世教皇
 平和を願う祈り ─アシジの聖フランシスコ
 共に生きる恵みを願う祈り ─ラウル・フォレロー
 神よ変えられないものを ─ラインホルド・ニーバー
 マザー・テレサのことばで祈る
  主よ、わたしをお使いください
  愛の光線
  自己からの解放
ミサ式次第
 使徒信条
 ニケア・コンスタンチノープル信条
ゆるしの秘跡
ロザリオの祈り
十字架の道行
以上です。

『日々の祈り 改訂版第二版』
<カトリック中央協議会のホームページから>
「シンプルな祈りの本。キリスト教の勉強を始められた方や、新たに洗礼を受けられた方への贈物に最適。2005年に発行された『日々の祈り改訂版』は、日常生活の中で利用しやすいシンプルな祈りの本としてご愛顧いただいておりますが、去る2011年6月の定例司教総会において「聖母マリアへの祈り」に代わる新しい祈りとして「アヴェ・マリアの祈り」が確定されたことを受け、その第二版を発刊する運びとなりました。基本的には前版と同一の構成ですが、「アヴェ・マリアの祈り」のほか、冒頭に「十字架のしるしと祈り」を新たに収録しています。」
◯書名:『日々の祈り 改訂版第二版』
出版:カトリック中央協議会
編者:日本カトリック司教協議会常任司教委員会
判型:A6判
ページ数:160ページ
定価:990円(税込)
発行:2011年7月15日

◯目次
改訂版発行にあたって
日々の祈り
 使用にあたって
 日々の祈りについて
 十字架のしるしと祈り
 主の祈り
 アヴェ・マリアの祈り
 栄唱
 使徒信条
 ニケア・コンスタンチノープル信条
 悔い改めの祈り
 神のゆるしを願う祈り
 神を信じる人の祈り
 神に希望をおく人の祈り
 神を愛する人の祈り
 お告げの祈り
 アレルヤの祈り
 食前の祈り
 食後の祈り
 初めの祈り
 終わりの祈り
 目覚めた時の祈り
 朝の祈り 一
 朝の祈り 二
 昼の祈り
 晩の祈り 一
 晩の祈り 二
 晩の祈り 三
 床につく時の祈り
十字架の道行
 はじめに
 十字架の道行
 注
ロザリオの祈り
 はじめに
 喜びの神秘(受肉の神秘)
 光の神秘(啓示の神秘)
 苦しみの神秘(受難の神秘)
 栄えの神秘(復活の神秘
以上です。
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