支援活動日記2024.1.4(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]

今日は、19時30分からホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の今年最初の活動に参加しました。この支援活動も13年目に入りました。途中仕事が忙しくなってお休みした期間もありました、なんとか支援活動を続けることができました。神に感謝です。
私は、約3か月後の3月31日には定年退職となりますので、今後は、引き続き「山谷夜回りの会」にお世話になって支援活動を続けるか、定年退職で仕事で都心に向かうことがなくなることを考えて、自宅からJR横浜線一本で行ける横浜市の寿町で、NPO法人のホームレス支援団体の活動に参加させていただくか?二者択一となります。ただ、再就職場所によっても変わりますから、現時点ではまだ分からないですね。

今夜はさすがに寒かったですね~( ̄▽ ̄;) これから深夜に向けて気温が低下して寒さが半端なく厳しなります。ホームレスの皆さんは、とにかく暖かく過ごしてもらいたいおのです。さて、毎回毎回このブログに書いていることですが、私は一人のキリスト者(クリスチャン)として、人道のための弱者支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮して路上生活を余儀なくされている人、精神時に不調をきたして路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があります。国や自治体など行政では手が回らないところを私たちが支援するということですね。誰かがやらなければならない地道な活動です。

ところで、私たちキリスト教の信徒は、前述したような生活に困窮している人のことをイエス様だと思って支援するようにしています。これは聖書にあるイエス・キリストの教えです。要するにホームレスの皆さんを分け隔てせず、すべての方に親切に支援の手を差し伸べることです。新約聖書の『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に書かれています。このブログの2022年11月11日に掲載した「聖マルティヌス司教のお話し」を是非ともお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-11-11
◯東京スカイツリーがキレイに輝いています!
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今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある「いろは商店街」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め35人ほどのホームレスの皆さんが私たちを待っていました。10年ほど前は、実測250mほどのアーケード(屋根がある)商店街で、そのころでもすでに8割方はシャッターを下ろして営業をしていない「シャッター商店街」になっていました。当時は屋根があって雨をしのげていましたから、シャッターの前に段ボールを囲って寝ることができましたね。あのころは120人ほどが来て、半数ほどの方が段ボールで囲って寝泊りしていました。今は40人~50人くらいです。
◯活動開始前に、まずワゴン車2台から下ろした支援物資の配布準備をします。下着上下や靴下などは新品ですから、ゴミのポイ捨てにならないようにビニール袋から取り出し、L L、L、Mに分ける作業をします。
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今日は、支援活動に集まった11人で、ホームレスの皆さんにおにぎり、マスク、ペットボトル、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、シャツ、ズボン、寝袋、葛根湯などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。おにぎりを配る時は、毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。私が以前所属していたカトリック町田教会も、かつては「山谷の会」があり、おにぎりを作って隅田川沿いで配布していましたが、会が解散して残念です。

支援活動に集まっている方の年齢構成は、私のような仕事帰りの60歳代の社会人、定年退職した70歳代の方や主婦は少数派ですが、中心になっているのは大学生や若い20歳代~30歳代の社会人です。たまに高校生も親子で参加しています。若い人たちは使命感を持って支援活動に取り組んでいる立派な人ばかりです。ところで、今週に入って冬本番となって急に最低気温がより低くなり、ホームレスの皆さんにとっては、明け方は厳しい寒くて寝られない季節となってきました。路上で寝る方も多く、雨が降ると衛生的にも極めて悪い環境になります。とにかく健康には気をつけてもらいたいですね。活動が終了してから反省会を行い、20時55分ごろに解散し、今はすでに帰りの電車の中にいます。いゃ〜今夜は風があって寒かった〜!
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私の支援活動!(直接支援&間接支援!) [支援活動日記]

このブログに以前掲載いたしましたが、私は次の各団体に支援(直接支援&間接支援)を行っています。寄付は、1団体3,000円又は4.000円です。
◯「国際連合児童基金(ユニセフ)」
間接支援(寄付支援)
世界の子どもたちへの食糧・物資等の支援
◯「国境なき医師団」
間接支援(寄附支援)
世界の紛争・災害・貧困地域への医療支援
◯「特定非営利活動法人国連UNHCR協会」
間接支援(寄付支援)
世界の難民への食糧・物資・生活等の支援
◯「認定NPO法人グッドネーバーズ・ジャパン」
間接支援(寄付支援)
日本の子ども・貧困家庭への食糧等の支援
◯「山谷夜回りの会」
直接支援(配布活動)
日本のホームレス者への食糧・物資の支援
(東京都台東区・墨田区地域)

弱者・困っている人たちを救うという、イエス・キリストの教えである「隣人への愛=善き行い」が、現地に行って行う<直接支援>は、ホームレス支援活動しか物理的にできないものですから、現在、私にできる寄付という<間接支援>によって行っています。支援は、自発的行為ですから強制でも義務でもありません。これは慈善行為ですね。嗜好品や外食などを節約し、一ヵ月1,000円で立派に寄付できます。1,000円で、飢餓に直面している子どもの命を確実に救えるのです。
◯昨日、特定非営利活動法人国連UNHCR協会から2023年度の感謝状と領収証が届きました。
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自分が寄付することによって、一人でも尊い命を救えることができるということです。その寄付でもっと多くの命が救えるのです。困っている人たちを幸せにすることができるのです。ただ、毎度のことですが「寄付しているから善い行いをしている。」と思うのは、傲慢であり欺瞞であり自惚れにしか過ぎません。勘違いすると聖書にあるファリサイ派や律法学者のような人になってしまいますから、これは危険なことですね。自戒として心すべきことです。やはり、可能な限りは実際の現場において自分の手と足で行う活動支援を行いたいですね。
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教会日記2024.1.4(カトリック成城・聖タデオ教会「降誕節木曜日のミサ(主の公現前の木曜日のミサ)」木曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、早朝7時からの「降誕節木曜日のミサ(主の公現前の木曜日のミサ)」に与りました。今日まで仕事はお休みです。さて、2日・3日と行われた第100回東京箱根間往復大学駅伝競走大会で、私の母校であり勤務校である国士舘大学は、目標としていたシード圏内の10位までには入れませんでしたが、総合12位と久しぶりに健闘しました。昭和40年代に記録した過去最高成績の総合3位には遠く及びませんでしたが、来年に期待できる結果だと思います。選手の皆さん、監督お疲れ様でした。
ところで今夜は、19時30分から新年初めての「山谷夜回りの会」ホームレス支援活動に参加します。寒い中をホームレスの皆さんが待っています!身も心も少しでも暖かくすることができればと思います!頑張ります!

ミサでは、ミサでは、登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息をお祈りし、被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、そして、被災地が一刻も早く復興できるようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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新約聖書:ヤコブの手紙・第2章・第14〜第26節 [聖書]

今年も新しい年の初めに、カトリック教会信徒の信仰の証しとして、この聖書の聖句を掲載いたします。
「わたしの兄弟たちよ、たとえ、誰かが自分は信仰をもっていると言っても、行いを伴わないなら、何の役に立つでしょう。そのような信仰は、その人を救うことができるでしょうか。仮に兄弟か姉妹かが、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとしましょう。あなた方のうち、誰かが、その人に、「安心して行きなさい」「たくさん着なさい」「十分食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないとするなら、何の役に立つでしょう。信仰もまた同じで、行いを伴わないなら、それ自体、死んだものです。
ところで、次のように言う人がいるかもしれません。「あなたには信仰があるが、わたしには行いがある。行いが伴わないあなたの信仰をわたしに見せなさい。そうすれば、わたしは行いをもって信仰を見せよう。あなたは、神が唯一であることを信じている。それは善いことである。悪霊どももこれを信じており、おののいている。愚かな人よ、行いを伴わない信仰のむなしさを知りたいのか。われわれの父アブラハムは、その子イサクを祭壇の上にささげたとき、その行いによって義とされたのではないだろうか。あなたは、信仰が彼の行いとともに働いたこと、また、行いによって信仰が完全なものとされたことが分かるだろう。こうして、『アブラハムは神を信じた。そのことは、彼が義とされるにふさわしいとみなされた』という聖書の言葉が成就され、彼は、『神の友』と呼ばれたのである」。
これで明らかなように、人は行いによって義とされるのであって、信仰だけによるものではありません。これと同じく、娼婦ラハブも、使いの者たちを家に入れ、ほかの道から送り出したとき、その行いによって義とされたのではありませんか。息をしない体が死んだものであるのと同じように、行いの伴わない信仰もまた死んだものです。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳註聖書』から

この聖句(聖書の言葉)は、私がキリスト者である存在理由であり、私の信仰生活の拠り所としている重要な聖句です。
この『ヤコブの手紙』の著者は、イエス・キリストの兄弟の義人ヤコブと言われています。紀元50〜60年代くらいに書かれたようです。この手紙のテーマは、全体的に「人は信仰だけでなく、行いによって義とされる」と説いているところです。ここでよく問題となるのは、『ローマの人々への手紙』の中で、パウロが「人は行いがなくても、信仰によって義とされる」と説いていることです。

パウロは、「行い」をパウロが生きた時代の律法上の行為、例えば「割礼」などの儀式規定を守る行為や神が定めた掟ではない人間が作った形骸化した掟などを指しており、このような行いに関係なく、信仰によって義とされると説いています。一方の『ヤコブの手紙』は、「行い」は神への愛、隣人への愛という最大の掟に総括される諸々の「行い」、「善き行い」というものを指しているのです。

使徒であるパウロは、この時代の律法上の行為(行い)、すなわち儀式規定を守る行為(行い)は、イエス・キリストへの信仰に取って代わられたもので、もはや死んだものと言っていますし、『ヤコブの手紙』は、愛の伴わない(善き行いが伴わない)信仰は死んだものと言っています。「信仰」について、両方とも正しく説いています。どちらか一方が間違いではありません。この違いは、パウロの説くパウロの生きた時代の「行い」への批判からの信仰解釈と、ヤコブの説くキリスト者(クリスチャン)の絶対条件とする「行い」への信仰解釈の違いです。

いずれにしても、「信仰とは、神を信じるだけでなく、神への愛、隣人への愛という行いが伴うこと。行いが伴って初めて信仰といえる」ということです。私たちキリスト者は、毎週ミサに与り、毎日お祈りに専心することだけでなく、「隣人への善き行い」、すなわち「愛の行動」を実践することが大切なのです。自分でできる善き行い、多くの人たちと一緒にできる善き行い、どのような善き行いでもいいのです。善き行いが伴った信仰生活でありたいものです。
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