「若いツバメ」のお話し [今日の言葉(巷の言葉)]

この記事は、このブログに過去に掲載した記事を一部書き改めて再掲載しています。
2017年のことですが、私の故郷の三重県四日市からの帰りの東海道新幹線での話しです。隣に座っていたご年配のご婦人2人が、「私、最近ね、若いツバメができちゃったのよ〜!」、「あら、すごいじゃない!うらやましいわね〜!」なんて話していました。「若いツバメ」とは、女性から見て歳下の恋人のことを指し、「年上の女性の愛人になっている若い男」ということですね。若い人たちは使わない言葉だと思います。もうこれは昭和時代の言葉で、すでに死語になってますね。

語源となったのは、明治・大正・昭和と婦人解放運動で有名な平塚らいてう(又は、らいちょう)が、5歳下の青年画家の奥村博史と親しくなり、それがまわりに知られて問題になった時のことでした。気の弱い奥村は、自分を若いツバメにたとえ「池の中で水鳥たちが仲良く遊んでいた所に、一羽の若いツバメが飛んできて大騒ぎになりました。この思いがけない結果に驚いた若いツバメは飛び去ります。」と言う趣旨の手紙を残し田舎へ帰ったそうです。しかし、平塚らいてうは「ツバメなら春になると帰ってくるでしょう」と返事を出し彼を呼び戻し、その後2人は共同生活を始めました。これが世に知られ、女性の歳下の彼氏のことを「若いツバメ」と言うようになったのです。
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【平塚らいてう】
平塚らいてう(ひらつか らいちょう、本名は平塚 明〈ひらつか はる〉、1886年〈明治19年〉2月10日 -〜1971年〈昭和46年〉5月24日)は、日本の思想家、評論家、作家、フェミニストで、戦前と戦後にわたる女性解放運動家です。戦後は主に反戦・平和運動に参加しました。日本女子大学校(現: 日本女子大学)家政学部卒です。22歳の時、1908年(明治41年)2月1日に夏目漱石の弟子だった森田草平と初めてのデートをするのですが、同年3月21日に塩原から日光に抜ける尾頭峠付近の山中で雪の中、心中未遂を警察から救助されるという塩原事件あるいは煤煙事件を起こして一躍有名になっています。
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教会日記2024.1.25(カトリック成城・聖タデオ教会「聖パウロの回心の祝日のミサ」木曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、7時からの「聖パウロの回心の祝日のミサ」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと66日です!
町田市相原町の午前5時の気温は、なんと−4度です!( ̄◇ ̄;) 昨日から急に寒さが厳しくなりました。今から2月上旬が寒さのピークですね。引き続き体調管理に注意ましょう!

ミサでは、「聖パウロの回心の祝日」をお祝いしてお祈りしました。また、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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「使徒聖パウロの回心」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月25日は、「使徒聖パウロの回心」の祝日です。
パウロの回心のお話しの前に、まずは新約聖書の『使徒言行録』に記載されている事がらを語源とする「目からウロコが落ちる。」のお話しから説明いたしましょう。
” ことわざ ” としての意味は、「あることをきっかけとして、急に物事の真相や本質が分かるようになる」ということですね。これは、新約聖書の使徒言行録の第9章・第3~第18節に記載されているお話しが“目からウロコ”の語源となったのです。少々長くなりますが掲載しますね。

◯新約聖書:使徒言行録・第9章・第3〜第18節
「ところが、旅を続けてダマスコに近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」という声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねると、その声は仰せになった、「わたしはお前が迫害しているイエスである。さあ、立って町に入れ。お前のなすべきことが告げられであろう。」。彼に同行していた者たちには、声は聞こえたが、誰も見えないので、物も言えず立ち尽くしていた。サウロは地面から起き上がって、目を開いたが、何も見えなかった。そこで、人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。

サウロは三日間、目が見えず、食べも飲みもしなかった。ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、『アナニア』と呼びかけると、アナニアは、『主よ、ここにおります』と言った。すると、主は言われた。『立って、<直線通り>と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。』しかし、アナニアは答えた。『主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。』

すると、主は言われた。『行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。』そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。『兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。』すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、彼は立ち上がって、洗礼を受け、食事をとって元気を取り戻した。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯フランスの画家ニコラス・バーナード(1733~1784)作の『聖パウロの回心』です。この絵は、聖句にある「突然、天からの光が彼の周りを照らした。」情景を描いています。パウロは落馬していますね。
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これは、イエス・キリストの使徒(弟子)である聖パウロ(当時はサウロと名乗っていた)に起こった出来事に由来しており。本来は「誤りを悟り、迷いから覚める意味」で使われていました。イエス・キリストの死後、聖パウロは当初、ユダヤ教徒としてキリスト教徒を捕まえて牢獄に送る役をしていた “ キリスト教徒を迫害する側の人間 ” でしたが、このようにして、キリスト教徒を迫害する側から、洗礼を受けてキリスト教を信仰し、福音を述べ伝える側へと正反対に “ 激変 ” しました。そして、この聖パウロがユダヤ人以外のギリシャ人やローマ人などの異邦人と言われる人々に福音宣教したことが、キリスト教が全世界に広まった理由なのです。キリスト教の興隆は、聖パウロの功績が大きいのです。
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