「携帯用ミニ祭壇」のご紹介 [聖品紹介]

この記事は、過去にこのブログに掲載した記事の再掲載となります。
◯この携帯用ミニ祭壇の大きさは、縦12.3㎝、横6.3㎝、木製で軽量です。
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◯内側は布張りで、しっかりきちんと作られています。
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これは2013年11月に、職場である大学の学園祭でやっていたフリーマーケットで500円で購入したものです。発見した時は「え~!こんなのがあるんだ~!」と驚き、磔刑像を見て即買いしました。普通に買えば何千円かするのでしょうね。それ以来、仕事や社会活動での地方出張のときは必ず持っていきました。ホテルの部屋にある机に置いて、就寝前と起床時に日課のお祈りをします。便利で重宝な携帯用ミニ祭壇です。最近は、仕事も内勤ですし、吹奏楽連盟役員としての社会活動も引退したものですから、持ち歩く頻度が少なくなりました。今では宿泊を伴う旅行の折に携帯するぐらいですね。
◯写真は出張で宿泊したホテル室内の机上です。ミニ祭壇、聖書、祈祷書、十字架とロザリオです。就寝前の感謝のお祈りは大切です!聖書は必ず1章は読んで寝ます。
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教会日記2024.1.26(カトリック成城・聖タデオ教会「聖テモテ・聖テトス司教の記念日のミサ(年間第三金曜日のミサ)」金曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、7時からの「聖テモテ・聖テトス司教の記念日のミサ(年間第三木金曜日のミサ)」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと65日です!
昨日に引き続き厳しい寒さです!私が住む町田市相原町は、午前5時の気温が−4.5度でした!( ̄◇ ̄;) 寒かね〜。寒いどすな〜。さぶいな~。しばれる~。

ミサでは、先唱奉仕を務め、「聖テモテ・聖テトス司教の記念日」をお祈りしました。また、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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「聖テモテ司教・聖テトス司教」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月26日は、聖テモテ司教・聖テトス司教の記念日です。
聖テモテは、新約聖書の『使徒言行録』に登場するリュストラ(現代のトルコ南部)出身の古代(初期)キリスト教会時代の信徒で、使徒聖パウロの協力者で弟子です。ギリシア語ではティモテオス。『使徒行伝』によれば、テモテの父はギリシア人で母はユダヤ人でした。使徒聖パウロはテモテを気に入り、自らの宣教旅行に連れて行きたかったので、ユダヤ人の手前、彼に割礼を受けさせました。これは西暦50年前後のことであると推察されます。テモテはパウロの第2回宣教旅行、第3回宣教旅行に同行し、マケドニアなど、パウロがすでに宣教活動を行った場所に派遣されて司牧に当たっています。

この宣教旅行の間に書かれたと想定される『コリントの人々への第二の手紙』からも、テモテが使徒聖パウロのよき協力者であったことがわかります。ここでは使徒聖パウロは、テモテをコリントスの教会に派遣し、その司牧に当たらせようとしており、また『フィリピ人への手紙』などでは、テモテは使徒聖パウロと並んで書簡の差出人とされています。伝承によれば、65年に使徒聖パウロはテモテを按手し、エフェソスの司教としています。ローマ帝国の皇帝ドミティアヌスのキリスト教迫害下において殉教したと伝えられています。新約聖書にある『テモテへの第一の手紙』および『テモテへの第二の手紙』は使徒聖パウロがこのテモテに宛てる形で書かれている書簡といわれています。
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聖テトスは、新約聖書の『ガラテヤの人々への手紙』に登場する使徒聖パウロの協力者で弟子です。ギリシャ語ではティトス。『使徒言行録』にはその名前は出ていませんが、『ガラテヤの信徒への手紙』では、使徒聖パウロやバルナバと共にエルサレムでの使徒会議に参加したという記述があります。使徒聖パウロは、ギリシア人であるテトスが割礼を受けずにキリスト教徒として受け入れられたことを強調しており、テトスの両親はともに異邦人(非ユダヤ人)であった可能性が高いと思われます。

使徒聖パウロはテトスを高く評価しており、「仲間」「協力者」と呼び、その熱心さを賞賛しています。『コリントの人々への第二の手紙』では、テトスはエルサレム教会のための募金をコリントで行い、また使徒聖パウロの手紙をコリントへ届けるために派遣されています。『テモテへの第二の手紙』では、テトスはダルマティアに滞在しています。新約聖書には彼の死についての記事はありませんが、伝承によればテトスは使徒聖パウロによってクレタ島の主教(司教)に任じられ、1世紀始めにクレタ島で生涯を終えたということです。彼の名を冠した『テトスへの手紙』は、使徒聖パウロがクレタ島のテトスに宛てた手紙です。
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