今日の日記2024.1.1(わが家のお節料理!) [日記]

毎年のことですが、今年も妻が渾身の腕を振るったお節料理です!娘夫婦と四人分です!とにかく美味い!酒がすすむ!
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「第57回世界平和の日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日1月1日は、「第57回世界平和の日」です。フランシスコ教皇は、「世界平和の日」のためのメッセージを発表しました。(2023年12月13日「バチカン・ニュース」から)

「毎年1月1日、カトリック教会は「世界平和の日」を記念し、戦争や分裂、憎しみや飢餓などのない平和な世界を祈ります。2024年の「世界平和の日」のテーマは、「人工知能と平和」です。2024年度の「世界平和の日」を前に、教皇フランシスコのメッセージが発表されました。
このメッセージで教皇は、これまで人のいのちを脅かし、大きな苦しみをもたらしてきた数多くの病気に治療の道が見出されたように、科学と技術の素晴らしい進歩を喜びつつ、こうした技術の発展がこれまでになかった形で現実のコントロールを可能にし、人類に幅広い可能性を与える一方で、その中には生存のリスクや、われわれの共通の家に危険をもたらしかねない要素があることに注意を向けています。
新たな情報技術、特にデジタル分野における目覚ましい進歩は、人民間の正義と調和の追求において、躍動的なチャンスと深刻なリスクの両面を示しています。そのために、教皇は、新しいデジタル技術がもたらす中・長期的影響、それが個人と社会の生活、世界の安定と平和にどのようなインパクトを与えるのか、緊急に問う必要があると述べています。
事実、そのインパクトは、企画者だけでなく、それらの所有者、開発者が何を目標にし、何を関心とするか、また、それらが使用される状況によっても変わってきます。
したがって、人工知能(AI)は様々な現実の集まりとして理解される必要があり、その発展が人類の未来と人民間の平和に有益な貢献をもたらすかどうかは、推定できない。そのポジティブな結果は、わたしたちが責任をもって行動し、「包括性、透明性、安全、公平、慎重さ、信頼性」など、人間の基本的価値を尊重する場合にのみ可能となる、と教皇は述べています。
すべての人の基本的尊厳と、人々を唯一の人類家族の一員として結びつける兄弟愛は、新しい技術開発の基礎となるべきであり、そして、それは、デジタル技術の進歩が、正義の尊重のうちに、平和に貢献できるように、それらの使用を事前に判断する際の議論の余地のなき基準となるべきであると。教皇は、全人類の生活の質の向上に寄与せず、逆に、不平等や紛争をあおる技術開発は、真の進歩とは決して言えないと強調しています。
教皇は、フェイクニュースを広め、メディア不信を高める情報操作に人口知能が使われた場合、深刻な問題を引き起こすことを懸念しています。教皇は、これらの技術が深刻なリスクをもたらしかねないものとして、機密性、データおよび知的財産の所有権を挙げ、さらに、差別や、選挙時における干渉など、ネガティブな影響も心配しています。
また、人工知能によって分析される大量のデータは、必ずしも公平性を保証するものではありません。アルゴリズムが情報を抽出するとき、情報が歪められ、その情報元の環境の不正義や偏見が再現される危険は常にある、と教皇は指摘しています。
今日のテクノクラート的かつ効率主義的なメンタリティーの中で無視されがちな側面、「限界の意味」を考えるよう教皇は招きつつ、不死身ではない人間が、テクノロジーの力ですべての限界を超えることを考え、すべてをコントロールしたいという強迫観念の中で、自分自身のコントロール不能に陥る危険に言及しています。
人間の尊厳を尊重し、それに奉仕する技術の開発は、教育機関や文化界と明確なつながりを持っています。デジタル技術は、コミュニケーションの可能性を増やしながら、新たな出会いを可能にしました。しかし、わたしたちはどのようなタイプの関係に向かっているのか、それを常に考える必要を教皇は説きます。若者たちはテクノロジーがあふれた文化的環境で成長しつつあり、こうしたことからも、教育や育成の方法を議論するのは当然であります。
人工知能の世界的な普及に伴い、教皇は、国内でその使用についての規則を作るという主権国家の責任に加え、多国間合意をまとめ、その適用と実施を調整する上で国際機関が果たす重要な役割に期待された。そして、教皇は、国際共同体に対し、様々な形の人工知能の開発と利用を管理する拘束力のある国際条約採択への協力をアピールされました。
教皇は新年の初めにあたり、人工知能の急速な発展が、世界にすでに存在する多くの不平等や不正義を増大させることなく、戦争や紛争に終止符を打ち、人類の多くの苦しみを和らげるのに役立つことを祈っています。
最後に、教皇は、キリスト教信者、諸宗教の信者、善意の人々が調和のうちに協力し、デジタル革命がもたらす挑戦に立ち向かい、より大きな連帯と正義、平和のある世界を次代に引き渡すことができるよう祈られました。」
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「神の母 聖マリアの祝日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日1月1日は「神の母 聖マリア」の祝日です。
◯ドメニコ・コルヴィ(ドメニコ・コルヴィ(イタリア:1721年〜1803年)作の「聖母子像」です。18世紀後半のイタリアの画家で、ローマで働き多くの宗教画を描きました。イエス様のぷくぷくの腕と手がかわゆいですね〜!
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新しい年を迎えた今日、イエス様の降誕8日目に当たる1月1日に、カトリック教会はローマの古い伝統に従い、“神の母聖マリア”の祭日を祝います。聖母マリア様を「神の母」と宣言したのは、431年のエフェソ公会議でした。年の初めを聖母マリア様の記念日として祝い・祈るのは、古いローマ教会の伝統によっています。また、この日が特に大事にされるようになったのは、12月25日から数えてちょうど8日目に当たるからです。8日目に当たる今日、誕生した神の子は「イエス」と命名されることにより、正式に神の民の歴史・人類の歴史の一員となりました。そして、聖母マリア様には、救い主としてのイエス様の使命に、自分も深く一致するという母の姿があります。聖母マリア様は、羊飼いたちにイエス様を示し、彼らを喜びで満たしましたが、今日も私たちに恵みそのものであるイエス様を示して与え続けられます。
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年の初めの聖句・新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第13章・第1〜第13節 [聖書]

今年も、新年の初めにこの聖書の聖句を皆様に捧げます。
◯新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第13章・第1節~第13節
「たとえ、わたしが人間の異言(いげん)、み使いの異言を話しても、愛がなければ、わたしは鳴る銅鑼(どら)、響くシンバル。
たとえ、預言の賜物があり、あらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても、たとえ、山を移すほどの完全な信仰があっても、愛がなければ、わたしは何ものでもない。
たとえ、全財産を貧しい人に分け与えて、たとえ、賞賛を受けるために、自分の身を引き渡しても、愛がなければ、わたしには何の益にもならない。

愛は寛容なもの、
慈悲深いものは愛。
愛は、妬まず、高ぶらず、誇らない。
見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数え立てない。不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。
すべてをこらえ、すべてを信じ、
すべてを望み、すべてを堪え忍ぶ。
愛は決して滅び去ることはない。

預言の賜物なら廃れもしよう。
異言なら、やみもしよう。
知識なら、無用となりもしょう。
わたしたちが知るのは一部分、
また、預言するのも一部分であるが故に。
完全なものが到来するときは、
部分的なものは廃れ去る。

わたしは、幼い子供であったとき、
幼い子供のように語り、
幼い子供のように考え、
幼い子供のように思い巡らした。
だが、一人前の者となったとき、
幼い子供のことはやめにした。

わたしたちが今、見ているのは、
ほんやりと鏡に映ったもの。
『その時』に見るのは、顔と顔を合わせたもの。
わたしが今、知っているのは一部分。
『その時』には、
自分が完全に知られるようになる。
だから、引き続き残るのは、
信仰、希望、愛、この三つ。
このうち最も優れているのは、愛」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

終わりの方で神学的な内容を含むため、初めての方には少々理解しにくいところがあると思いますが、最後の3行が重要なところです。すなわち、「信仰、希望、愛」の3つが重要であり、その中でも最も重要なのは「愛」と言うことを説いています。イエス・キリストの教えは、この「愛」と「赦し(ゆるし)」です。今年も、私の自戒としてこの教えを実践していきます。
主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、今年も皆さんと共にありますように!
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