今日の日記2024.1.23(呑み会後のラーメン!) [日記]

昨日の話しになりますが、昨夜は仕事が終わってから学生たちと ” 打ち合わせと称した呑み会 ” でした!( ̄▽ ̄;) 会議?終了後、表参道の裏路地に入った所にあるラーメン専門店「山頭火」で、塩ラーメンを食べました。ラーメンは、妻から「食事禁止料理レベル1」に指定され、絶対に食べてはいけないと指導されているのですが、学生が「ラーメンを食べたい!」と言っているのに無下(むげ)にはできませんから………(以前も同じ言い訳をしたような)………学生のせいにしちゃいけないですね。完全に言い訳です。やはりラーメンを食べることに罪悪感を感じるのでした………でも美味い!やめられない!(⌒-⌒; )
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教会日記2024.1.24(カトリック成城・聖タデオ教会「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日のミサ(年間第三水曜日のミサ)」水曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、7時からの「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日のミサ(年間第三水曜日のミサ)」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと67日です!
ここ3日ほど寒さは少し緩んでいたのですが、昨夜から厳しい冷え込みとなっています。私が住む町田市相原町の午前5時の気温は−2度でした!引き続き風邪ひき対策を怠ることなく、よく食べよく寝て暖かい服装で過ごしましょう!

ミサでは、「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士の記念日」をお祈りしました。また、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月24日は、「聖フランシスコ・サレジオ司教教会博士(フランス:1567年~1622年)」の記念日です。
サレジオは、ジュネーヴ(現スイス)の司教で、カトリック教会と聖公会での聖人となっています。17世紀の宗教改革の困難な時代にあって、カトリック教会の司牧者として大きな働きをしました。著作をよくしたことから作家、ジャーナリストの守護聖人となっています。著作としては「信心生活入門」などが有名ですね。貧者の友としても知られています。1622年12月28日、サヴォイア公の随員として訪れたパリで客死。長く活躍したアヌシーに葬られ、今でもその墓がアヌシーにあります。1661年に列福、1665年に列聖、1877年には教皇ピウス9世によって「教会博士」の称号を与えられました。
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サレジオは、イタリア語で「サール(地名)Salesの」という意味です。彼はサヴォイア地方の貴族の家に生まれ、自由学芸を修めたあとでアヌシーや名門パリ大学で法学を学んでいましたが、周囲の期待を裏切って世俗の栄達を捨ててカトリック教会の司祭になる道を選びました。
宗教改革期、ジュネーヴはカルヴァン派の拠点となっていたため、カトリックのジュネーヴ司教は(現南フランスの)アヌシー滞在を余儀なくされていました。この時代にジュネーヴ司教となったサレジオは、困難な状況にあっても熱心な説教やわかりやすく書かれた著作によって活躍し、優れた精神的指導者として名声を得ました。1610年には霊的指導者をしていたシャンタルの聖フラシスカと共に女子修道会「聖母訪問会」を設立しました。
19世紀、北イタリアのトリノで活躍した司祭ヨハネ・ボスコは自らの修道会の名前を聖フランシスコ・サレジオにちなんでサレジオ会と命名しました。これはフランシスコがサヴォイアゆかりの聖人であるだけでなく、彼の柔和な人柄、著作による宣教活動、貧しい人々への共感などにヨハネ・ボスコが大きな影響を受けていたからでした。
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