新約聖書:ヤコブの手紙・第4章・第17節 [聖書]

「なすべき善いことを知っていながら行わないなら、それはその人にとって罪です。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

私にとっては非常にインパクトのある聖句(イエス・キリストの言葉、聖書の言葉)となっています。この「ヤコブの手紙」は、書いた人物は結論的には不明ですが、3世紀の半ば以降の教父(きょうふ・初期キリスト教の教義の基礎を築いた人)たちは、イエス様の兄弟(カトリック教会の解釈では従兄弟などの親類)で、「義人」と呼ばれたヤコブという人がこの書簡の著者であるとしてきました。
義人ヤコブが著者なら、書簡がかかれた場所は、義人ヤコブが62年の殉教まで暮らしていたエルサレムであろうと言われています。新約聖書の正典として取り上げられるまで時間がかかっていますが、それは、この書簡の内容が主にユダヤ人キリスト教徒に向けられたものということで、非ユダヤ人達があまり読まなかったためではないかと思われています。書簡の内容は、前段で神に対する間違った求め方が指摘され、中段でこの世との妥協が批判され、後段で悔い改めて神に立ち返るようにとの勧告がなされています。

この聖句ですが「人として、行わなければならない善い行いを知っていながら、それを行わないのは罪になる。」と説いています。では、知らないことを行わないことは罪にならないと解釈できそうですが、場合によっては知らなくても罪になることもあります。しかし、知っていて行わないのは、なおさら罪になるということです。ヤコブの手紙は、このように「善い行い」を強調しているところに特徴のある書簡となっています。

このブログに先日掲載しましたが、この書簡の前段部分にある第2章・第14~第17節で、次のとおり書かれています。
「わたしの兄弟たちよ、たとえ、誰かが自分は信仰をもっていると言っても、行いが伴わないなら、何の役に立つでしょう。そのような信仰は、その人を救うことができるでしょうか。仮に兄弟か姉妹かが、着る物もなく、その日の食べ物にも事欠いているとしましょう。あなた方のうち、誰かが、その人に、「安心して行きなさい」「たくさん着なさい」「十分食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。信仰もまたこれと同じで、行いが伴わないなら、それ自身、死んだものです。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
………とあります。最後のところで「行いが伴わないなら、信仰だけでは死んだものである」と説いています。これは非常に大切なことで、信仰とは善い行いが伴って初めて信仰といえます。信じるだけでは信仰とはいえないのです。すべては「善い行い」が伴うのです。
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教会日記2024.1.10(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第一水曜日のミサ」水曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、早朝7時からの「年間第一水曜日のミサ」に与りました。冬ですから当然ですが、寒さが厳しくなってきました!( ̄◇ ̄;) 明日はもっと寒くなるようです。きちんと食べて、きちんと寝ることが風邪ひき予防となります!ちなみに、今日の先唱奉仕ですが、3ヵ所も噛んでしまいました( ̄▽ ̄;)

ミサでは先唱奉仕と務め、登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息をお祈りし、被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、そして、被災地が一刻も早く復興できるようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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「ミサ」についてのお話し [キリスト教関係事項・用語等]

このブログのマイカテゴリーの一つ「教会日記」として、毎回ミサに与った記事を掲載していますが、先日、ミサについて「なにやってんだか、まったくわかんな~い!( ̄▽ ̄;)」とのご意見を一年ぶりにいただいたことと、一昨年の11月27日の待降節からミサにおける司祭の司式の言葉や会衆(信徒)の応唱の言葉がより正しいラテン語訳に変更されましたので、合わせて2023年1月20日に掲載した記事を一部加筆・修正して再掲載いたします。ミサの意味も書いていますのでお読みください。

キリスト教カトリック教会の「ミサ(ラテン語: missa, 英: mass)」とは、日本では「感謝の祭儀」とも言われ、「イエス・キリストの死と復活を記念し、その復活の恵みに与る、喜びに満ちた感謝の祭儀」であるという意味です。ミサ司式文の最後のところで「感謝の祭儀を終わります。」という言葉が、司式する司祭(神父様)によって唱えられることからも分かりますね。この他に、ミサを意味する言葉としては、「主の晩餐(しゅのばんさん)」や「聖餐式(せいさんしき)」などがあります。

「主の晩餐」は、聖書にあるとおり “ 最後の晩餐 ” に起源をもつこと、「聖餐式」は聖なる会食であることを示しています。また、日本では「ミサ聖祭」や「御ミサ(ごみさ)」と呼ぶこともあります。要するに、ミサとは「イエス様が磔刑(たっけい:十字架の刑)される前夜 “ 最後の晩餐 ” において12使徒(弟子)達にイエス・キリストの体としてパンを与え、イエス・キリストの血としてぶどう酒を与えて、以後「私の記念としてこのように行いなさい。」と祭儀を制定したことが始まりです。

「ミサ」という名称は、式の最後のラテン語の言葉「Ite, missa est.」(ite = 行きなさい、missa est = 派遣である)というフレーズの中の語に由来しており、missa(ミサ)は、ラテン語で「派遣」を意味する missio(ミッシオ)に由来すると言われています。 これは、ミサをとおしてミサに与る会衆(信徒)たちが聖化され、イエス様の教えを福音宣教するために世界に派遣されるということです。ミサの最後のところで、司祭が会衆(信徒)に「派遣の祝福」をすることでも分かります。

ミサには、一般的に「主日(しゅじつ)のミサ」、「年間(平日早朝)のミサ」及び祭日や祝日のような特別なミサがあります………ということで、私たち信徒がミサに与るということは、「ミサに与る=ミサに参画する。」ということで、つまりただ単にミサに出席するだけではなく、自らもミサ自体に加わるということです。そして、イエス・キリストの死と復活の記念に与り、イエス・キリストの体であるご聖体をいただいて自分の身体が聖化され、イエス・キリストと一致することにあります。

私が一回でも多くミサに与ろうとするのは、ミサでイエス・キリストの身体であるご聖体を拝領してイエス・キリストと一致すること。そして、ミサをとおしてイエス・キリストの教えである「隣人への愛と人への赦し」を体得し、社会への奉仕や弱者救済・支援などの善き行いをもって、この世の中の平和のために働飽き、善き訪れである福音を述べ伝えるために世界・社会に派遣されることにあります。これが私がミサに与る理由であり根拠です。ちなみに、教会法ではミサに与るのは1日2回までです。

カトリック教会の主日のミサは、毎日曜日(教会によっては前日の土曜日の夜も行っています。)に行われるミサのことですが、その司式次第は次のとおりです。ミサの中で司祭が祈る奉献文は、第一奉献文から第四奉献文までありますので、その日によって又は司祭(神父)によっても違いがあります。ここでは、ミサでよく使われる第二奉献文を掲載しています。主日のミサの開式時間は、どこの教会も土曜日は17時~19時(18時が多い)で、日曜日は8時~10時30分(10時が多い)となりますね。

所要時間は信徒が多ければご聖体拝領の時間が長くなりますが、だいたい1時間程度です(現在は、コロナ渦中に式司を少々簡素にしたり、ミサ中の聖歌を省いたりしていましたから、コロナ渦後もその影響が残って時間は少々短縮されたりしています)。年間(平日早朝)のミサは、6時30分~7時の開式(7時の開始が多い)となり、主日のミサを簡素化して第二朗読などがありませんので、約30分くらいの所要時間となります。30分だと毎朝少し早起きすれば、出勤前に時間的余裕がありますよね。

それでは、「主日のミサ」の司式次第を見てみましょう!
◯開祭の儀
先唱奉仕者「立ちましょう。」と告げます。
※入祭の前に「入祭前の歌」を歌う場合があります。
1.入祭の歌(Introitus:イントロイトゥス)
司祭たちが入堂する時に「入祭の歌(聖歌)」を歌いますが、歌う聖歌は「典礼聖歌集」を見て歌います(ミサで歌う聖歌は紙で配付されるか、聖堂前方に聖歌の番号が掲示されています)。聖歌が始まると同時に主任司祭(神父)、助祭、祭壇奉仕者(侍者など)の6人~8人くらいが先頭に十字架を高く掲げ、祭壇ローソクや大型聖書を立てて行列して入堂し、祭壇前で一礼して祭壇に上がります。

2.入祭のあいさつ
司祭「父と子と聖霊のみ名によって。」と言いながら十字架のしるしをしますので、信徒(以下「会衆」)も十字のしるしをして「アーメン」と応唱します。
司祭「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんとともに。」と唱えます。
会衆「また、あなたとともに。」と応唱します。

3.回心(通常は第一形式ですが、第三形式まであります。)
司祭「皆さん、神聖な祭儀を行う前に、わたしたちの罪を認め、赦しを願いましょう。」と言ったら、
一同(司祭も)「全能の神と兄弟姉妹の皆さんに告白します。
わたしは、思い、ことば、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。
聖母マリア、すべての天使と聖人、そして兄弟姉妹の皆さん、
罪深いわたしのために神に祈ってください。」と唱えます。
司祭「全能の神、いつくしみ深い父がわたしたちの罪をゆるし、永遠のいのちに導いてくださいますように。」と唱えます。
信徒「アーメン。」と応唱します。

4.いつくしみの賛歌(Kyrie:キリエ)
先唱「主よ、いつくしみを。」
会衆「主よ、いつくしみをわたしたちに。」
先唱「キリスト、いつくしみを。」
会衆「キリスト、いつくしみをわたしたちに。」
先唱「主よ、いつくしみを。」
会衆「主よ、いつくしみをわたしたちに。」
※先唱と分かれず全員で歌う場合もあります。

5.栄光の賛歌(Gloria:グローリア)
司祭「天には神に栄光。
会衆(司祭も)「地には御心(みこころ)にかなう人に平和。
神なる主、天の王、全能の父なる神よ。
わたしたちは主をほめ、主をたたえ、主を拝み、主をあがめ、
主の大いなる栄光のゆえに感謝をささげます。
主なる御ひとり子、イエス・キリストよ、
神なる主、神の小羊、父のみ子よ。
世の罪を取り除く主よ、いつくしみをわたしたちに。
世の罪を取り除く主よ、わたしたちの願いを聞き入れてください。
父の右に座しておられる主よ、いつくしみをわたしたちに。
ただひとり聖なるかた、すべてを超える唯一の主、
イエス・キリストよ。
聖霊とともに、父なる神の栄光のうちに。
アーメン。」
※通常は歌いますが、土曜日の主日のミサや年間(平日早朝)のミサなど、歌わずに唱えるだけの場合もあります。

6.集会祈願
司祭「祈りましょう。」と言います。
※沈黙のうちに、しばらく祈ります。
司祭「(前文はその主日ごとにかわります。)聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子(おんこ)、わたしたちの主イエス・キリストによって。」と唱えます。
会衆「アーメン。」
先唱奉仕者「座りましょう。」と告げます。

◯ことばの典礼
7.第一朗読(第一朗読は、旧約聖書からあらかじめ指定されます。)
朗読奉仕者「(例)イザヤの預言「主は、………(朗読)………であった。」
朗読奉仕者の朗読が終わり、朗読奉仕者が(又は祭壇奉仕者(侍者))が「神の御言葉(みことば)」と言います。
会衆「神に感謝。」と応唱します。
※祭壇奉仕者(侍者)だけが「神に感謝」と答える場合もあります。

8.答唱詩編
先唱奉仕者「歌いましょう。」と告げます。
※通常は歌いますが、土曜日の主日のミサや年間(平日早朝)のミサなど、歌わずに唱えるだけの場合もあります。

9.第二朗読(第二朗読は、新約聖書の使徒書簡からあらかじめ指定されています。)
朗読奉仕者「(例)ローマの信徒への手紙「パウロは、………(朗読)………であった。」
朗読奉仕者の朗読が終わり、朗読奉仕者が(又は祭壇奉仕者(侍者))が「神に感謝」と言います。
会衆「神に感謝。」と応唱します。

10.アレルヤ唱(Alleluia:アレルヤ)又は詠唱(Tractus)
先唱奉仕者「立ちましょう。」と告げます。
アレルヤ唱(Alleluia)
※通常は歌いますが、土曜日の主日のミサや年間(平日早朝)のミサなど、歌わずに唱えるだけの場合もあります。

11.福音書の朗読(福音朗読は、新約聖書の福音書からあらかじめ指定されています。)
司祭「主は皆さんとともに。」と言います。
会衆「また司祭とともに。」と応唱します。
司祭「(例)マタイによる福音」と言います。
会衆「主に栄光。」と応唱します。
※「主に栄光」と応唱しながら、親指を自分に向けて、額、口、胸に十字架のしるしをします。これは、「思い(額)、言葉(口)、行い(胸)のうちに御言葉(みことば)を受入れ、伝えることを心します。」を意味しますので、これを唱えながら額、口、胸に十字架のしるしをします。
※立ったまま、司祭が朗読する福音書を聞きます。
朗読が終わると、
司祭「主のみことば」と唱えます。
会衆「キリストに賛美。」と応唱します。
司祭又は先唱奉仕者が「座りましょう。」と言います。
<説教>
※司祭の説教を聞いた後はしばらく沈黙します。
先唱奉仕者が「立ちましょう。」と告げます。

12.信仰宣言(Credo:クレド)
使徒信条(又は「ニケア・コンスタンチノープル信条」)を唱えます。
司祭「天地の創造主、
会衆(司祭も)「全能の父である神を信じます。
父のひとり子、わたしたちの主イエス・キリストを信じます。
主は聖霊によってやどり、おとめマリアから生まれ、ポンティオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架につけられて死に、葬られ、陰府(よみ)に下り、三日目に死者のうちから復活し、天に昇って、全能の父である神の右の座に着き、生者(せいしゃ)と死者を裁くために来られます。
聖霊を信じ、聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだの復活、永遠のいのちを信じます。
アーメン。」

13.共同祈願
司祭「(前文はその主日ごとにかわります。)……祈りましょう。」と唱えます。
※先唱奉仕者が唱えたあと、歌で唱える場合と応唱するだけの場合があります。
司祭「(後文はその主日ごとにかわります。)……わたしたちの主イエス・キリストによって。」
会衆「アーメン。」と応唱します。

◯感謝の典礼
14.奉納の歌(と奉納行列)
先唱奉仕者「歌いましょう。」と告げます。
献金が集められます。
奉納奉仕者によって、パンとぶどう酒、献金箱が祭壇まで運ばれます。
※献金はあくまでも任意で、金額も決まっていません。

15.パンを供える祈り
司祭「神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるパンはあなたからいただいたもの。
大地の恵み、労働の実り、わたしたちのいのちの糧となるものです。」と唱えます。
会衆「神よ、あなたは万物の造り主。」と応唱します。
※司祭だけで行われる場合もあります。

16.カリス(杯)を供える祈り
ぶどう酒の準備
※司祭により、祭壇で準備が行われます。
司祭「神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるぶどう酒はあなたからいただいたもの。
大地の恵み、労働の実り、わたしたちのいのちの糧となるものです。」と唱えます。
会衆「神よ、あなたは万物の造り主。」と応唱します。
※司祭だけで行われる場合もあります。
※司祭により、祭壇で準備が行われます。

17.奉納祈願
先唱奉仕者「立ちましょう。」と告げます。
司祭「みなさん、このささげものを、全能の神である父が受け入れてくださるように祈りましょう。」と言います。
会衆「神の栄光と賛美のため、
またわたしたちと全教会のために、
あなたの手を通しておささげするいけにえを、
神が受け入れてくださいますように。」と唱えます。
※しばらく沈黙のうちに祈る場合もあります。
司祭「(前文はその主日ごとにかわります。)……わたしたちの主イエス・キリストによって。」
会衆「アーメン。」と応唱します。

18.叙唱前句
司祭「主は皆さんとともに。」
会衆「またあなたとともに。」
司祭「心をこめて」
会衆「神を仰ぎ」
司祭「賛美と感謝をささげましょう。」
会衆「それは、とうとい大切な務め(「です。」」
※通常は歌いますが、土曜日の主日のミサや年間(平日早朝)のミサなど、歌わずに唱えるだけの場合もあります。

19.叙唱
※司祭は、ミサ典礼書にある73の叙唱のうち、その日にふさわしい叙唱を唱えます。
司祭「聖なる父、全能永遠の神、......」

20.感謝の賛歌(Sanctus:サンクトゥス)・(Benedictus:ベネディクゥス)
一同「聖なる、聖なる、聖なる神、すべてを治める神なる主。
主の栄光は天地に満つ。
天には神にホザンナ。
主の名によって来られるかたに賛美
天には神にホザンナ。」
※通常は歌いますが、土曜日の主日のミサや年間(平日早朝)のミサなど、歌わずに唱えるだけの場合もあります。

感謝の賛歌(サンクトゥス)は、本来次のとおり別れています。
◯サンクトゥス(Sanctus)
一同「聖なる、聖なる、聖なる神、すべてを治める神なる主。
主の栄光は天地に満つ。
天には神にホザンナ。
主の名によって来られるかたに賛美
天には神にホザンナ。」
「サンクトゥス」は、ラテン語で「聖なる」。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の神なる主よ。天と地はあなたの光栄にあまねく満ち渡る。天のいと高きところにホザンナ」。神への感謝を捧げ、その栄光を称える賛歌です。
◯ベネディクトゥス(Benedictus)
「主の名によって来られるかたに賛美
天には神にホザンナ。」

短い賛歌ですので、ミサでは「サンクトゥス」と「ベネディクトゥス」を併せて、感謝の賛歌(サンクトゥス)として一つの曲にまとめられています。「マタイによる福音書」第21章・第9節から採られています。意味はラテン語で「祝福があるように」ということです。ちなみにHosanna (ホザンナ)はヘブライ語の音訳で、原義は「救いたまえと(我らは)祈る」となります。ホサンナ又はホサナとも音訳されます。
新約聖書には次のとおり記載されています。
「マタイによる福音書」第21章・第9節
「そして群衆は、イエスの前を行く者も後に従う者も叫んだ。『ダビデの子にホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ。』」

21.記念唱(第二奉献文)
※司祭は、ミサ典礼書にある4つの奉献文のうち、その日にふさわしい奉献文を唱えます。
※奉献文によって記念唱も変わります。
司祭「まことにとうとくすべての聖性の源である父よ、いま聖霊によってこの供えものを尊いものにしてください。
わたしたちのために主イエス・キリストの御からだと御血になりますように。
主イエスは、すすんで受難に向かう前に、パンを取り、感謝をささげ、割って弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを取って食べなさい。これはあなたがたのために渡されるわたしのからだ(である)。』
※司祭が聖別されたパンを高くあげた後、一同は手を合わせて深く礼をします。
司祭「食事の終わりに同じように杯を取り、感謝をささげ、弟子に与えて仰せになりました。
『皆、これを受けて飲みなさい。これはわたしの血の杯、あなたがたと多くの人のために流されて、罪のゆるしとなる新しい永遠の契約の血(である)。これをわたしの記念として行ないなさい。』」と唱えます。
※司祭がカリスを高くあげた後、一同は手を合わせて深く礼をします。

司祭「信仰の神秘。」と唱えます。
会衆「主よ、あなたの死を告げ知らせ、復活をたたえます。再び来られる時まで。」と唱えます。
司祭「わたしたちはいま、主イエスの死と復活の記念を行い、ここであなたに奉仕できることを感謝し、いのちのパンと救いの杯をささげます。
キリストの御からだと御血にともにあずかるわたしたちが、聖霊によって一つに結ばれますように。
世界に広がるあなたの教会を思い起こし、わたしたちの教皇(又は「教父」)フランシスコ、わたしたちの(東京大司教区の場合)司教タルチシオ菊池功、すべての教役者をはじめ、全教会を愛の完成に導いてください。
(※特定の死者のためにミサがささげられる場合は、「(きょう)この世からあなたのもとにお召しになった○○○○(姓名)を心に留めてください。洗礼によってキリストの死に結ばれた者が、その復活にも結ばれることができますように。」が入ります。)
また、復活の希望をもって眠りについたわたしたちの兄弟と、すべての死者を心に留め、あなたの光の中に受け入れてください。
なお、わたしたちをあわれみ、神の母おとめマリアと聖ヨセフ、使徒とすべての時代の聖人とともに永遠のいのちにあずからせてください。
御子イエス・キリストを通して、あなたをほめたたえることができますように。」と唱えます。

司祭「キリストによって キリストとともに キリストのうちに、聖霊の交わりの中で、全能の神、父であるあなたに、」と唱えます。
会衆(司祭も)「すべての誉れと栄光は、世々に至るまで。アーメン。」と応唱します。
※通常は歌いますが、土曜日の主日のミサや年間(平日早朝)のミサなど、歌わずに唱えるだけの場合もあります。

◯交わりの儀
22.主の祈り
司祭「主の教えを守り、みことばに従い、つつしんで主の祈りを唱えましょう。」と唱えます。
一同「天におられるわたしたちの父よ、み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。」

司祭「いつくしみ深い父よ、すべての悪からわたしたちを救い、現代に平和をお与えください。あなたのあわれみに支えられ、罪から解放されて、すべての困難にうち勝つことができますように。わたしたちの希望、救い主イエス・キリストが来られるのを待ち望んでいます。」と唱えます。
会衆「国と力と栄光は、限りなくあなたのもの。」と応唱します。

23.教会に平和を願う祈り
司祭「主イエス・キリスト、あなたは使徒に仰せになりました。
『わたしは平和をあなたがたに残し、わたしの平和をあなたがたに与える。』
わたしたちの罪ではなく教会の信仰を顧み、おことばのとおり教会に平和と一致をお与えください。」と唱えます。
会衆「アーメン。」と応唱します。


24.平和のあいさつ
司祭「主の平和がいつも皆さんとともに。」
会衆「また司祭とともに。」
司祭「互いに平和のあいさつをかわしましょう。」
会衆「主の平和」
※お互いに「主の平和」と言いながら、自分の席のとなり、前、後ろ、それぞれの人に笑顔で挨拶を交わします。

25.平和の賛歌(Agnus Dei:アニュス・デイ)
先唱「神の小羊、
会衆「世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ。」
先唱「神の小羊、
会衆「世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ。」
先唱「神の小羊、
会衆「世の罪を除きたもう主よ、われらに平安を与えたまえ。」
※先唱と分かれず全員で歌う場合もあります。
※通常は歌いますが、土曜日の主日のミサや年間(平日早朝)のミサなど、歌わずに唱えるだけの場合もあります。

26.聖体拝領前の信仰告白
司祭「神の小羊の食卓に招かれた者は幸い。」と唱えます。
会衆(司祭も)「主よ、あなたは神の子キリスト、永遠のいのちの糧、あなたをおいてだれのところに行きましょう。」と応唱します。
※先唱奉仕社が「洗礼を受けている方はご聖体を受け、洗礼を受けていない方は祝福を受けることができます。」と案内します。

27.拝領の歌
※基本的に全員の拝領が終わるまで歌います。
信者の拝領は、行列の前の人が拝領している間に、手を合わせて一礼します。
※司祭は、一人ひとりにパン(ご聖体:ホスティア)を示しながら次の言葉を言い、拝領者が答えると手の上に置きます。
司祭「キリストの御(おん)身体(からだ)。」と唱えます。
拝領者「アーメン。」と応唱します。
※次の拝領者のために脇に寄り、片方の手を添えながら聖体を口に入れ、席に戻ります。
信徒ではない方(洗礼を受けていない方)は、祝福を受けることができますが、希望される方のみです。希望されない方はそのまま席で待つことになります。
※祝福を希望される方は聖体拝領行列にならび、順番がきたら司祭に祝福を願い、手を合わせて軽く頭を下げます。
※司祭が頭に手をかざし、祝福の言葉「(例)主の豊かな恵みと平安がありますように。」を唱えます。
※洗礼を受けていない方は、丸い形をしたパン(ホスティア)を拝領できません。
拝領後の感謝
※ 沈黙のうちに、しばらく祈ります。

28.拝領祈願
先唱奉仕者「立ちましょう。」と告げます。
司祭「祈りましょう。」と言います。
※沈黙のうちに、しばらく祈ります。
司祭「(前文はその主日ごとにかわります。)……わたしたちの主イエス・キリストによって。」と唱えます。
会衆「アーメン。」と応唱します。

◯閉祭の儀
お知らせ
※必要な場合には、ここで短いお知らせが行われます。
典礼係「立ちましょう。」※ 司祭による次の言葉をうけて。
29.派遣の祝福
司祭「主は皆さんとともに。」と言います。                                              
会衆「また司祭とともに。」と応唱します。
司祭「全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように。」
※司祭は、祝福しながら会衆に十字架のしるしをします。
会衆「アーメン。」と応唱します。
※会衆もアーメンと応唱しながら、胸の前んで十字を切ります。

30.閉祭のあいさつ
司祭「感謝の祭儀を終わります。
行きましょう、主の平和のうちに(主の福音を告げ知らせるために)。」
会衆「神に感謝。」と応唱します。

31.閉祭の歌
※閉祭の聖歌を歌いながら退堂する司祭を見送ります。
以上です。

カトリック教会は、信徒であるかないかを問わず、開かれた教会となっていますので、信徒でない方でもミサに与ることができますし、司祭から祝福を受けることができます。
信徒でない方が一番気にすることは、「勧誘」ではないでしょうか?カトリック教会は、まず勧誘することはありません(無理に勧誘してはいけない)のでご安心ください。それよりも、「すぐに信徒になりたいので、洗礼を受けさせてください。」という方がたまにいらっしゃいますが、カトリック教会では、その方が死ぬ間際でない限り、すぐには洗礼を受けさせてくれません(信徒にしてくれません)。約1年間の「入門講座(土曜日か日曜日で、1時間くらいの講座をを年15回くらい)」を受講しないと洗礼は受けれない(信徒になれない)のです。もちろん講座は無料で、途中で「やーめた!」もありです。少々冷たいかもしれませんが、司祭も誰も引き留めませんね。

ちなみに、私が受講した時は初めは15人ほどいたのですが、途中で4人やめていきました。最終的に洗礼を受けたのは9人でした。2人は洗礼を受けなかったですね。それに、私の妻は9年前に入門講座を受講して聖書などの勉強をしましたが、未だに洗礼は受けていません。したがって信徒ではありません。私もそうですが、誰も無理には勧めません。これは、「洗礼は神様の招きによるもので、他の人が強制するものではない。」という考え方なのですね。また、ミサの途中で献金袋が回ってきたりしますが、まったくの任意ですのでまったく気にすることはありません。献金額も、私が知っている限りでは、献金しない人もいれば、10円、50円、100円、500円の人もおり、1,000円の人もいますね。まったく気にしないことです。
以上ですが、一度、お近くのカトリック教会の主日のミサに与ってください。きっと神様の祝福がありますよ。では、教会でお会いしましょう!
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