「神のことばの主日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日1月21日は、「神のことばの主日」です。
フランシスコ教皇が、年間第三主日を「神のことばの主日」と定められました。要旨は次のとおりです。(カトリック中央協議会のホームページから)
https://www.cbcj.catholic.jp/2020/01/24/20015/

◯教皇フランシスコの意向による「神のことばの主日」の制定について
(2020/01/24)
日本司教団関連 お知らせ 典礼委員会
「教皇フランシスコは、自発教令の形式による使徒的書簡『アペルイット・イリス(Aperuit illis)』を、2019年9月30 日(聖ヒエロニモ司祭の記念日)に公布して、年間第三主日を「神のことばの主日」と名付け、「神のことばを祝い、学び、広めることにささげる」(3)ことを宣言されました。また、「神のことばの主日」は、キリスト教一致祈禱週間(毎年1月18日~25日)とも重なり、「わたしたちがユダヤ教を信じる人々との絆を深め、キリスト者の一致のために祈るように励まされる」(3)よう、エキュメニカルな意味を深めるものでもあります。
上記書簡の日本語訳は以下からダウンロードすることができます。
教皇フランシスコ自発教令『アペルイット・イリス』ダウンロード(PDF)」
https://www.cbcj.catholic.jp/wp-content/uploads/2020/01/francisco_aperuit_illis.pdf
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「聖アグネスおとめ殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日1月21日は、典礼暦にはありませんが、聖アグネスおとめ殉教者(イタリア:291年~304年1月21日)の記念日です。
ローマの聖アグネスや聖イネス、聖女アグネス、聖女アニエスとも呼ばれ、13歳で殉教したと伝えられています。聖アグネスは、カトリックのミサで記念される女性の中で聖母マリア様を除いた7人の中の1人です。西方教会において、彼女は純潔・庭師・若い女性(少女)・夫婦・強姦被害者の守護聖人となっています。
◯フランシスコ・デ・スルバラン(スペイン:1598年〜1664年)作の『聖アグネス立像』です。スルバランはバロック期に活躍した画家で、特に宗教画・静物画に優れた作品を残しています。フランス・パリ市にあるルーヴル美術館所蔵です。
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ローマの上流階級の名門の家庭に生まれ、若く聡明な美少女であったアグネスには、多くの縁談がありましたが、すべて断ったのでした。そのため、彼女がキリスト信者であることが分かるとすぐ訴えられ、どんな拷問にあっても決して信仰を捨てない彼女は、ついに死刑を言い渡されました。彼女は「キリストはわたしの花婿です。最初に選んでくださったのはキリストですから、わたしはその方に従います」と言って、13歳になった304年1月21日にローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスの統治下で殉教しました。
後に彼女は有名になり、キリスト教を国教としたローマ皇帝コンスタンティヌスは、自分の娘に彼女の墓の前で洗礼を受けさせたといわれています。その後、墓の上には聖アグネス聖堂が建てられました。アグネスは、<羊を抱いて描かれる(羊がアトリビュート)>絵画が多いのですが、ラテン語で「子羊」を意味する「アグヌス」と似ているためだといわれています。

◯聖アグネス教会(英語: St Agnes' Episcopal Church)
京都府京都市上京区にある、聖アグネスを守護聖人とする日本聖公会の教会です。平安女学院京都キャンパスの敷地内に所在する聖堂は、日本聖公会京都教区(京都府、富山県、石川県、福井県、滋賀県、三重県、奈良県、和歌山県の教会、および大阪府の1教会)の中心となる主教座聖堂(カテドラル)であるとともに、地域の教会(パリッシュ・チャーチ)、平安女学院の礼拝堂(チャペル)という3つの役割を兼ね備えています。1898年(明治31年)に竣工したレンガ造り・ゴシック様式の建物は、ジェームズ・ガーディナーによる設計で、京都市指定有形文化財になっています。
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「聖セバスティアヌス殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

昨日1月20日は、聖セバスティアヌス殉教者(フランス:不詳~287年)の任意の記念日でした。昨日掲載するのを忘れていました。聖セバスティアヌス様ごめんなさい。
聖セバスティアノとも呼ばれ、フランスのナルボンの貴族の家に生まれました。若いころにキリスト信徒となりましたが、ローマ帝国の皇帝ディオクレティアヌスのキリスト教迫害が最も激しい時代で、セバスティアヌスは自ら信徒であることを隠してローマの軍隊に入隊しました。皇帝の目にとまって近衛兵となり、野心を抱かず皇帝への忠誠と神のために働くことだけに力を注いでいました。

キリスト教徒への迫害が激しくなってくると、セバスティアヌスは信者仲間を励ますために支援をしていましたが、ついに密告によってセバスティアヌスがキリスト信者であることを知った皇帝は激怒し、弓で彼を射殺すよう命じました。セバスティアヌスはかろうじて一命を取りとめ、皇帝のキリスト教徒に対する残虐な迫害を公然と非難し、再び死刑に処せられ殉教しました。遺体が発見されるとアッピア街道そばに葬られ、のちに聖セバスティアヌス教会が建てられました。

◯カトリック教会のクリスチャンである有名なピーテル・パウル・ルーベンス(ドイツ:1577年~ 1640年)作の「聖セバスティアヌス」です。中世ごろには、すでに<矢をあびる青年(矢がアトリビュート)>として絵画などに描かれ、兵士・弓術家の保護者になっていました。とにかく、セバスティアヌスの描かれている絵は多いのですが、裸で木に縛られて全身に矢が刺さり、血を流してしている描写のものばかりですから、とっても痛そうな絵になっていますΣ( ̄ロ ̄lll)
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【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)マグダラのマリアの絵は、必ず香油の壺とドクロが画かれています。
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典礼聖歌集第305番『やみに住む民は光を見た』 [聖歌日記]

降誕祭、降誕節によく歌われる聖歌に典礼聖歌集の第305番『やみに住む民は光を見た』がありますが、これは新約聖書の『マルコによる福音書』第4章・第16節にある「闇に住む民は大いなる光を見た」から採られています。曲も歌詞も素晴らしい聖歌で、私が大好きな聖歌の一つです。

◯典礼聖歌集第305番『やみに住む民は光を観た』
「やみに住む 民は光を見た
ダビドの街に 生まれた幼な子
すべての人を 救う恵み
すべての民に およぶ喜び
神に栄光 人に平和

世界よ 神を讃え歌え
神は来られた 告げよ知らせよ
すべての国に その救いを
すべての民に 不思議なわざを
神に栄光 人に平和」
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新約聖書:コリントの人々への第二の手紙・第13章・第13節 [聖書]

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、みなさん一同とともにありますように。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

今日の聖句(聖書の言葉)は、ミサの司式の冒頭(ミサの一番最初のところ)で司祭の言葉に採用されている聖句です。今日は、ミサに関係することですので、信徒の方しかわからない内容ですね。ご了承ください。
<開祭の儀>
「入祭のあいさつ」のところで、
司祭:十字を切りながら「父と子と聖霊のみ名において」と唱えます。
会衆:司祭と一緒に十字を切ってから「アーメン」と唱えます。
司祭:「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に。」と唱えます。
会衆:「また あなたとともに」と応唱します。
そして司式は「回心の祈り」に入っていきます。

この司祭の唱える「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが皆さんと共に。」は、『コリントの人々への第二の手紙』の最後にある第13章の第13節からの引用です。この聖書の聖句(聖書の言葉)は、キリスト教の根本である「三位一体の神」を見事に表現しています。私は、私的な手紙やメールの相手がクリスチャンであれば、最後の結びとして「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが◯◯さんと共にありますように。」と書くようにしています。ただし、クリスチャンではない方への手紙には意味が通じない(理解できない)ですから使えないですね( ̄▽ ̄;)
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