『平家物語』冒頭部分 [今日の言葉(詩・その他)]

昔からこのような人はいますが、今の誰かさんを表しているような………。
◯原文
祗園精舎の鐘の声、
(ぎおんしょうじゃのかねのこえ)
諸行無常の響きあり。
(しょぎょうむじょうのひびきあり)
娑羅双樹の花の色、
(しゃらそうじゅのはなのいろ
盛者必衰の理をあらはわす
(じょうしゃひっすいのことわりをあらわす)。
おごれる人も久しからず、
(おごれるひともひさしからず)
唯春の夜の夢のごとし。
(ただはるのよのゆめのごとし)
たけき者も遂にはほろびぬ、
(たけきものもついにはほろびぬ)
偏に風の前の塵に同じ。
(ひとえにかぜのまえのちりとおなじ)

◯口語訳
祇園精舎の鐘の音には、
諸行無常すなわちこの世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。
沙羅双樹の花の色は、どんなに勢いが盛んな者も必ず衰えるものであるという道理をあらわしている。
世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、
春の夜の夢のようである。
勢い盛んではげしい者も、結局は滅び去り、
まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである。
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教会日記2024.1.19(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第二金曜日のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会で、7時からの「年間第二金曜日のミサ」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと72日です! 
現在、世田谷区は9度です。比較的暖かい朝を迎えています。しかし、明日からは極端に寒くなるようです。体調管理に注意を払いましょう!

ミサでは、先唱奉仕を務めました。また、能登半島地震でお亡くなりになられた方の永遠の安息と被災された皆さんに主の平安とお恵みがありますようお祈りし、被災地が一刻も早く復興できますようにとお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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小原国芳のことば [キリスト者(クリスチャン)]

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「人生の最も苦しい、いやな、辛い、損な場面を真っ先に微笑みをもって担当せよ
玉川モットー 小原国芳 」

この記事は、過去にこのブログに掲載した記事の再掲載となります。
小原国芳(おばら くによし:1887年~1977年)先生は、キリスト教プロテスタン教会日本基督教団のクリスチャンで、教育学者、学校法人玉川学園の創立者です。なお、玉川学園はキリスト教系の学校ではありませんが、学内に礼拝堂があります。私が最も尊敬する教育者であり、偉大な “ 私学人 ” です。この言葉は、いつも私の自戒としてるところであり大好きな言葉です。しかし、 ” やっか い ” な言葉でもあります。でも、そこを克服してこそ、この言葉の真価が発揮できるのだと思います。「微笑みをもって」ですね。

小原先生のプロフィールですが、先生は鹿児島県に生まれ、13歳で通信技術養成所に入所し、鹿児島大浜海底電信所の技手となりました。後に鹿児島師範学校、広島高等師範学校を卒業しています。1913年に香川師範学校の教諭となり、1915年、29歳で京都帝国大学文学部哲学科に入学。大学卒業後、広島高等師範附属小学校の教諭、理事(教務主任に相当)となり、1919年に澤柳政太郎が成城学園を創設するに当たり、長田新の推挙で成城小学校主事(訓導)として赴任しています。

1926年に成城高等学校の校長となり、小田急電鉄の駅(現在の成城学園前駅)を招致して宅地開発を行いその利益で学校を建設する方法で成城学園を拡大しました。その手法を応用し(現在の玉川学園前駅)、1929年に自ら玉川学園を創設しました。玉川学園はその後、幼稚園・小学部・中学部・高等部・大学・大学院をそろえた大規模な総合学園に成長しました。先生は生前、自らを「玉川のオヤジ」と称し、「教壇で死にたい」とよく話していたそうですが、1977年12月に90歳で亡くなる数ヶ月前まで、点滴を受けながら大講義室の壇上で熱弁を奮い、まさに人生を教育に捧げた一生でした。

この言葉は、現在も玉川学園の教育理念(使命)として生きています。玉川大学・玉川学園のホームページの教育理念に次のとおり掲載されています。「………どの時代にあっても不満はあります。しかし、そうしたことを改善していく困難な仕事を誰かが担わなければならないのであれば、「人生の最も苦しい、いやな、辛い、損な場面を、真先に微笑をもって担当する」気概のある人こそが21世紀を先導していくに相応しい人です。この先には未知の苦難が横たわっていますが、失敗を恐れずに難関に挑戦していく『人生の開拓者』を育てていくこを本学は使命としています。………」とのことです。

写真は、ある方からいただいた色紙です。自室に飾ってあるのですが、先生直筆の本物と思いきや、後で分かったのですが、小田急線玉川学園前駅の近くにある大学の購買部で販売していました。この言葉は私の心に染みましたね~。先生は、単に苦しいのではなく、①最も苦しいと表現し、そして②嫌な、③辛い、④損であるとわかっていながら、⑤誰よりも先頭に立って、しかも、⑥微笑みをもってやるようにと説いておられます。これはすごい言葉です。6つも条件があります。何事も “ 率先してやる ” こと。組織のリーダー像の一つに挙げられることですね。そして大切なことは、最後にある微笑みをもってやることですが、微笑みをもってやるようにということは、「喜んでやりなさい」ということですね。
私の自戒とする言葉であり、65歳となった今でも目標とする言葉です。
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