教会日記2024.3.13(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第四水曜日のミサ」水曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「四旬節第四水曜日のミサ」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと17日です!
昨日は一日中雨天で寒かったのですが、今日は暖かくなりそうです。でも花粉がたくさん飛んでいるようです!ティシュペーパを離せません( ̄▽ ̄;)

ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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新約聖書:マタイによる福音書・第6章・第1〜第6節 [聖書]

「人々の前で自分の善い行いを見せびらかさないように気をつけなさい。さもないと、天におられるあなた方の父のもとで、報いを受けることはできない。だから、施しをする時には、偽善者たちが人から称賛されようとして、会堂や街角でするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない。あなた方によく言っておく。彼らはすでに報いを受けている。あなたが施しをする時には右の手のすることを左の手に知らせてはならない。これは、あなたの施しを隠しておくためである。そうすれば隠れたことをご覧になるあなたの父が報いてくださる。
また、あなた方は祈る時、偽善者のようであってはならない。彼らは人に見せびらかすために、会堂や街角に立って祈るのを好む。あなたがたによく言っておく。彼らはすでに報いを受けている。あなたは祈る時は、奥の部屋に入って入って戸を閉め、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた行いをご覧になるあなたの父が報いてくださる。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

ここに記載のある「天の父」又は「父」とは、イエス・キリストの父なる神様のことを指します。この聖句(イエス・キリストの言葉・聖書の言葉)の教えは、①愛の行いと②祈りのについての正しい行い方です。
この聖句を解釈しますと、「善い行いやお祈りは、人々の前で “ いかにも私は善い行いをしていますよ!熱心にお祈りしていますよ!” と見せびらかすようであってはいけない。善い行いやお祈りは、誰にも見られずに気づかれずに行いなさい。そうすれば、神様は見ておられ、必ずや報いてくださる(善いことがある報い・天国に迎えてくれるという報い)。そうではない偽善者のような人達は、現世においてすでに報いを受けているため、将来において救いを期待できない、あるいは救われないという解釈になります。

そこで、「右の手のするところを左の手に知らせない」ですが、右手も左手も身体の左右にあります。これは両手で一対ですね。身体の両側にあっても身近にあるわけです。両方の手で握ることもできるわけです。でも、知るとか知らないとか、手に意識があるわけではありませんね。ですから、それほど近い両手であっても右手(自分)のすることは、左手(他人)に知られないようにすること。つまりこの表現は譬え(たとえ)話しで、「善い行いもお祈りも他人に知ってもらおうと思わないこと。他人に知られないように行いなさい。人に知られないことを秘めた喜びとしなさい。」ということです。偽善者は絶対にダメですよ!
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