教会日記2024.3.8(カトリック成城・聖タデオ教会「四旬節第三金曜日のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「四旬節第三木曜金曜日のミサ」に与りました。
カウントダウン:定年退職(3月31日)まで、あと22日です!
町田市相原町は一面積雪しており、まだ降り続いています。先日よりもたくさん降って積もっています。さすが田舎ですね!(⌒-⌒; ) 寒〜い!………と、成城に着いたらこちらも降っていました!

ミサでは、先唱奉仕を務めました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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『聖ペレグリンの祈り』 [祈り]

このブログに過去に何度か掲載しましたが再掲載いたします。
今日は、『聖ペレグリンの祈り』のご紹介です。身近に癌に罹患(りかん)された人がいらっしゃる方は、次のお祈りを唱えましょう。
◯『聖ペレグリンの祈り』
「あぁ、偉大なる聖ペレグリン、
あなたにより頼む人々のために
神から多くの奇跡を得て「力ある者」、「奇跡をおこなう者」と呼ばれた方、
あなたは、私達の命そのものを破壊する癌の病を長年ご自分の身に負われ、
人の力ではもはや何もできなくなったとき、
すべての恩寵(おんちょう)の源により頼み、
主イエスがご自分の十字架から降りて
あなたの病をいやされる示現(じげん)を賜りました。
私があなたに委ねる病人の癒しを、神と聖母に願ってください。

(ここで沈黙のうちに、自分が祈りたい病人の名前を想起する)

あなたの力強いとりなしに助けられ、今、そして永遠に、
偉大な善と慈悲への感謝の賛歌を神に向かって歌います。
わが母マリア、平和の元后(げんこう)、癌の聖人聖ペレグリン、すべての天使と聖人、
私と私の愛する人を助けてください。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン。」     
聖ペレグリン・メダイ2pg.jpg
ペレグリン・ラツィオーシ(イタリア:1265年頃~1345年)は、イタリアのロマーニャ州のフォルリ市で、裕福な家庭の一人息子として生まれました。不良グループのリーダーでもあった若きペレグリンは、ある時、町にやってきた修道士達を打ち据えてしまいました。やがて我に返って自分のとった行動を深く恥じたペレグリンは、このころから回心して友人たちと群れるのを止め、礼拝堂で一人跪いたまま時間を過ごすようになりました。

そんなある日、聖母マリア様がペレグリンの前にあらわれました。聖母マリア様は「シエナに行きなさい。そこであなたは、“聖母の僕(せいぼのしもべ)”と名乗る敬虔な人たちに出会うでしょう。その人達に付き従いなさい」とおっしゃられました。ペレグリンは直ちに行動し、シエナの修道院に腰を落ち着けると情熱をもって修行に励みました。自分の欲求を抑えるために、できるかぎり休息をとらないようにしていました。何年もの間、座ったり横になったりすることを避け、ほんの少しだけ地面に横たわることで満足していました(; ̄O ̄)………私には絶対に無理!(⌒-⌒; )

熱心な修行の末、やがて司祭となったペレグリンに課せられた最初の仕事は、フォルリ市に戻って新たな修道院を造ることでした。若い頃無法者として過ごした故郷に、修道院の創立者として戻ることになったのです。修道院の建設をすすめる傍ら、病にある人達、貧しい人達に献身的に奉仕しました。そんな苦行を続けていたせいか、ペレグリンの足に”悪性腫瘍”ができました。彼はこの苦しみをできるかぎり隠しとおしましたが、これ以上隠しきれなくなった時には病気は随分と進行しており、後は足を切断するしか治療の手立てはなさそうでした。

医師たちは手術の日取りを決めました。ペレグリンは足を引きずって聖堂へ行くと、キリスト磔刑像が描かれた絵画の前で、「私の腫瘍を治し、傷と痛みをお取り除きください。」と祈りました。すると信じられないことが起こりました。十字架の像(イエス・キリスト)が前にかがみ、そっとペレグリンの傷に触れると、その瞬間、病は癒されてしまったのです。この奇跡は、その献身的な生活ゆえにすでにもたらされていたペレグリンの名声をいっそう強固なものにし、やがて誰からともなく彼を聖人と呼ぶようになりました。ペレグリンはさらに20年を生きました。

ペレグリンの死は、公表される前から知れ渡り、街なかのみならず周辺の市からも、人々が修道院に押し寄せていました。あまりの群衆に、その晩は市の門を閉めることができないほどだったそうです。群集は、聖人の遺骸が教会へ運ばれ埋葬されるのを待っていましたが、その間、驚くべきことが起こりました。昔の伝記作家はこう記しています。「ペレグリンの遺骸が教会に安置されると、遺骸から漂う芳香で多くの病人が癒された。」と。
聖ペレグリンは、現在でもなお奇跡を起こす聖人として知られていますが、ある著述家は、遺骸がまだ人前に安置されていたときに起きた、おびただしい数の奇跡について語っています。どうやら他の人たちに混じって奇跡を目の当たりにしていたようで、それは「畏敬の念を起こさせる出来事であった。」と記しています。

ある時、聖ペレグリンの驚くべき奇跡を聞きつけて、生まれつき目の見えない男が教会にやって来て、深い信仰心を胸に棺台に近づくと、遺骸はまるで生きているかのように起き上がり、その場にいる全員の前で盲目の男の目に触れました。そして再び、もとのように横たわったのです。男は自分の目が見えていることに気づきました。この奇跡に人々はひどく興奮してしまい、その興奮を静めるためには、教会の聖職者たちが乗り出さざるを得なくなったほどだったそうです。棺台が置いてある教会のまわりに武装した守衛たちを配置し、人々が聖人の遺品を持ち去るのを防ぎました。

1639年、フォルリの修道院に礼拝堂が新設された際、聖ペレグリンの遺骸が掘り起こされましたが、その遺骸は腐敗もしておらず、「かぐわしい香り」を放っていたそうです。遺骸は行列とともに壮麗な大聖堂へ運ばれ、崇敬者たちのためにしばらく公開された後、新しい礼拝堂に安置されました。今もそこに霊廟があります。1726年12月27日、聖ペレグリンは正式に聖人の列に加えられました(列聖)。1926年、フォルリ司教は再び遺骸を調べましたが、どの部分もほぼ完全な状態で残っていたそうです。聖ペレグリンは、病気、特に ” 癌の守護聖人 ” となっています。お祈りしましょう。
◯写真は、四ッ谷にあるキリスト教カトリックの書籍や聖品などを扱う専門店「ドン・ボスコ社」で、聖ペレグリンの”メダイ(メダル)”を購入したものです(2016年12月29日現在)。『聖ペレグリンの祈り』が書かれた紙付きです。
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