今日の日記2023.8.20(ウォーキング!) [日記]

今夜は、妻と一緒にウォーキングしました!
途中、地元の相原町にある諏訪神社の例大祭が行われている参道を横切って歩いてきました。写真の奥が諏訪神社です。昼間から山車がでて、山車に乗ったお囃子がにぎやかで街中を練り歩いていました。ちなみに、私の名前の「弘幸」ですが、三重県四日市市にある四日市諏訪神社の神主さんが命名した名前です(⌒-⌒; )
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◯相原諏訪神社
御祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、大己貴命(おおなむちのみこと)、少彦名命(すくなひこなのみこと)、安閑天皇(あんかんてんのう)が祀られています。養和元年(1182年)、当地で疫病が流行った際に信州下諏訪の諏訪大明神のご分霊を勧請し、相原山大明神として、村の安全と五穀豊穣を祈願したことに始まると伝えられています。
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今日の日記2023.8.20(たまごドッグ!) [日記]

ミサの帰りに寄ったコメダ珈琲店で、「たまごドッグ」を食べました!たまごの量の多さで有名な「たまごサンド」もそうですが、なぜかスプーンが付いてきます。なぜでしょうか?答えは、たまごの量が多くてこぼれ落ちるからです!(⌒-⌒; ) 美味い!
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教会日記2023.8.20(カトリック相模原教会「年間第20主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック相模原教会での7時からの「年間第20主日のミサ」に与りました。
今日も朝から暑いですね〜!「暑さ寒さも彼岸まで」と言いますが、今年の暑さは秋になっても続くのでしょうね( ̄◇ ̄;) 家に帰ったら読書三昧です!

ミサでは、第一朗読奉仕を担当し、
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。

【暑さ寒さも彼岸まで】
冬の寒さ、つまり余寒は春分ごろ(3月20日前後)まで、夏の暑さ、つまり残暑は秋分(9月20日前後)ごろまでには和らぎ、凌ぎやすくなるという意味の、慣用句です。転じて「どのように困難な事態であっても、やがては終わりが来て乗り越えることができる。」という意味にも用いられます。
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「聖ベルナルド修道院長教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日8月20日は、聖ベルナルド修道院長教会博士の記念日です。
クレルヴォーのベルナルド(ベルナルドゥス又はベルナール:フランス・1090年~1153年)は、12世紀のフランス出身の神学者で、すぐれた説教家としても有名です。キリスト教カトリック教会とキリスト教聖公会の聖人で、33人の教会博士のうちの一人です。神学と霊的生活に関する多くの著作を残し、1153年8月20日に死去しました。今日8月20日が記念日となっています。

《聖ベルナルドの前に現れた聖母マリア》は、画家のフラ・バルトロメオによって制作された作品です。制作年は1504年から1507年で、フィレンツェ ウフィッツィ美術館に収蔵されています。左手に天使たちが無数に描かれ、天使達によってイエス様を抱いた聖母マリア様が中央に押し出されるような形になっています。画面の右側には、ひざまづく聖ベルナルド、そして黒い修道服の聖ベネデット、福音者聖ヨハネが立っています。
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フランスのフォンテーヌで、騎士テセランの子として生まれ、家族からは軍人になることを期待されていましたが、彼は修道院に入りたいと思い、1111年にシトー修道院に入りました。1115年に創設されたクレルヴォー修道院の院長に若いベルナルドが任命され、このことから彼は“クレルヴォーのベルナルド”と呼ばれることになりました。
ベルナルドは、聖性と自己節制の厳しさ、そして説教師としての優れた資質によって彼の名声は高まっていき、修道院には多くの人が集まりました。そして、その卓越した指導力と模範的行動(生活)によって修道士達を「完徳」に導いたそうです。教会の分裂が生じると、平和と一致を回復するため、ヨーロッパ中を巡り歩いて努力しました。
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