今日の日記2023.8.11(パインアメ!) [日記]
私は、生まれる前から阪神タイガースファンです!
現在、セリーグ首位で2位の広島カープと5.5差です。私の職場である国士舘大学の硬式野球部出身の岩崎優投手が抑えのエースとして大活躍しています!
ところで、阪神タイガースの岡田監督が、試合にパインアメをなめて試合の采配をしているそうですが、これがSNSで一時騒然となり、「パインアメ」がトレンド入りしています。パインアメの公式SNSも反応するほどの事態になって、ファンからは「パインアメ効果やべぇな」、「売り場からパインアメが消えるんやな」などの声に加え、ライバル球団のファンからは「パインアメの製造やめて」の声もあがっているそうです。岡田監督とパインアメについては、一部のメディアでお気に入りであることが報じられており、製造元の会社が岡田監督に差し入れを行ったことが公式SNSで投稿されているとのことです。
◯早速、スーパーで買ってきました!製造会社は、その名も「パイン株式会社」です(⌒-⌒; ) パイナップル果汁が入っています!
現在、セリーグ首位で2位の広島カープと5.5差です。私の職場である国士舘大学の硬式野球部出身の岩崎優投手が抑えのエースとして大活躍しています!
ところで、阪神タイガースの岡田監督が、試合にパインアメをなめて試合の采配をしているそうですが、これがSNSで一時騒然となり、「パインアメ」がトレンド入りしています。パインアメの公式SNSも反応するほどの事態になって、ファンからは「パインアメ効果やべぇな」、「売り場からパインアメが消えるんやな」などの声に加え、ライバル球団のファンからは「パインアメの製造やめて」の声もあがっているそうです。岡田監督とパインアメについては、一部のメディアでお気に入りであることが報じられており、製造元の会社が岡田監督に差し入れを行ったことが公式SNSで投稿されているとのことです。
◯早速、スーパーで買ってきました!製造会社は、その名も「パイン株式会社」です(⌒-⌒; ) パイナップル果汁が入っています!
『交響的印象 教会のステンドグラス』第3楽章「聖クララの朝の祈り」のご紹介 [キリスト教と音楽]
今日は、「聖クララおとめ」の記念日ですので、聖クララを題材にした楽曲をご紹介いたします。
その楽曲とは、イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギ(1879年~1936年)が作曲した『交響的印象 教会のステンドグラス』の第3楽章で、この楽章の題名が「聖クララの朝の祈り(又は聖クララ)」です。
この楽曲と作曲者の詳細については、このブログの5月17日に掲載した「『交響的印象 教会のステンドグラス』のご紹介」をお読みください。そこでは、第2楽章の「大天使ミカエル」について詳しく書いています。お薦めするCDのご紹介もあります。次のアドレスをクリックしてください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-05-17-1
この第3楽章「聖クララの朝の祈り」は、5/4拍子のLento(レント)です。曲の初めのところからフルートの奏でる美しい旋律が流れ、霧がかかった朝靄のような神秘的な感じの繊細な曲となっています。題材は14世紀末に無名のトスカーナ地方出身とみられる者が書いた『聖フランシスコの小さき花』から採っています。この書の内容は、アシジのフランシスコ(フランチェスコ)の生涯について、本人の業績や彼に付き従う人たちの逸話、奇跡、敬虔な物語を伝えています。小鳥に説教する聖フランシスコや魚に説教する聖アントニウスといった、美術や音楽で題材となった皆さんよくご存じのエピソードも出てきます。
【Lento(レント)】
Lentoは、イタリア語で「遅く」という意味で、クラシック音楽などで使われる速度記号の中の1つです。
作曲者のレスピーギは、この『聖フランシスコの小さき花』の次の一節を当てました。
「………聖女の花婿イエス・キリストは、この花嫁をそのまま嘆かせておかれず、奇跡的に聖フランシスコの教会に運ばれ、聖夜の全礼拝に霊的にあずからせられた。それから聖体を受けさせ、床に連れもどされた………」
これは、聖フランシスコの弟子であり、清貧の聖女として知られるクララが、重い病気にかかってイエス・キリスト降誕祭にも与ることができずに病床で悲しんでいたところ、イエス様が奇跡を起こして教会での勤めに参加できたというお話しですね。
なお、聖フランシスコの詳しいことは、このブログの2022年10月4日に掲載した「アッシジの聖フランシスコ修道者のお話し」に詳しく書きましたので、是非とも次のアドレスをクリックしてお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-10-04
◯『聖フランシスコの小さき花』の書籍のご紹介
訳者:永野藤夫
出版:講談社
発行:1986年12月10日
定価:1,800円(初版当時の価格です)私は中古本を購入しました。
その楽曲とは、イタリアの作曲家オットリーノ・レスピーギ(1879年~1936年)が作曲した『交響的印象 教会のステンドグラス』の第3楽章で、この楽章の題名が「聖クララの朝の祈り(又は聖クララ)」です。
この楽曲と作曲者の詳細については、このブログの5月17日に掲載した「『交響的印象 教会のステンドグラス』のご紹介」をお読みください。そこでは、第2楽章の「大天使ミカエル」について詳しく書いています。お薦めするCDのご紹介もあります。次のアドレスをクリックしてください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-05-17-1
この第3楽章「聖クララの朝の祈り」は、5/4拍子のLento(レント)です。曲の初めのところからフルートの奏でる美しい旋律が流れ、霧がかかった朝靄のような神秘的な感じの繊細な曲となっています。題材は14世紀末に無名のトスカーナ地方出身とみられる者が書いた『聖フランシスコの小さき花』から採っています。この書の内容は、アシジのフランシスコ(フランチェスコ)の生涯について、本人の業績や彼に付き従う人たちの逸話、奇跡、敬虔な物語を伝えています。小鳥に説教する聖フランシスコや魚に説教する聖アントニウスといった、美術や音楽で題材となった皆さんよくご存じのエピソードも出てきます。
【Lento(レント)】
Lentoは、イタリア語で「遅く」という意味で、クラシック音楽などで使われる速度記号の中の1つです。
作曲者のレスピーギは、この『聖フランシスコの小さき花』の次の一節を当てました。
「………聖女の花婿イエス・キリストは、この花嫁をそのまま嘆かせておかれず、奇跡的に聖フランシスコの教会に運ばれ、聖夜の全礼拝に霊的にあずからせられた。それから聖体を受けさせ、床に連れもどされた………」
これは、聖フランシスコの弟子であり、清貧の聖女として知られるクララが、重い病気にかかってイエス・キリスト降誕祭にも与ることができずに病床で悲しんでいたところ、イエス様が奇跡を起こして教会での勤めに参加できたというお話しですね。
なお、聖フランシスコの詳しいことは、このブログの2022年10月4日に掲載した「アッシジの聖フランシスコ修道者のお話し」に詳しく書きましたので、是非とも次のアドレスをクリックしてお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-10-04
◯『聖フランシスコの小さき花』の書籍のご紹介
訳者:永野藤夫
出版:講談社
発行:1986年12月10日
定価:1,800円(初版当時の価格です)私は中古本を購入しました。
「神山復生病院聖堂・カトリック墓地訪問のお話し」記事のご案内 [日記]
このブログに昨夜掲載した「神山復生病院聖堂・カトリック墓地訪問のお話し」ですが、私のiPhoneの不具合で写真が掲載されていませんでした。先ほどiPhoneが正常な状態に復旧し、写真を記事に挿入できましたのでご案内いたします。是非ともご覧ください。次のアドレスをクリックしてご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-08-10-2
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-08-10-2
教会日記その二2023.8.11カトリック相模原教会「聖クララおとめの記念日のミサ(年間第18金曜日のミサ)」金曜日) [教会日記]
今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からのミサに引き続き、カトリック相模原教会での午前9時からの「聖クララおとめの記念日のミサ(年間第18金曜日のミサ)」に与りました。聖クララおとめの詳細については、今朝このブログに掲載した記事をお読みください。先ほどの成城教会でのミサの反省をいかしてミサに集中です。祈りに集中です!
ミサでは、「聖クララおとめの記念日」をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
ミサでは、「聖クララおとめの記念日」をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
教会日記2023.8.11カトリック成城・聖タデオ教会「聖クララおとめの記念日のミサ(年間第18金曜日のミサ)」金曜日) [教会日記]
今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「聖クララおとめの記念日のミサ(年間第18金曜日のミサ)」に与りました。聖クララおとめの詳細については、先ほどこのブログに掲載した記事をお読みください。
ミサでは先唱奉仕を担当したのですが、先唱の最後にある「拝領唱」を読むのを忘れてしまうという、先唱奉仕者としてあるまじき大失態を犯してしまいました( ̄◇ ̄;) 他事に気を取られ、ミサでの集中を欠いていました。一番の原因は先唱奉仕者としての「慣れ」ですね。慣れ自体は悪くはないのですが、慣れで集中を欠くようではダメですね。反省しています。どんなに慣れても初心を忘れずに!です。もっと立派な先唱奉仕者になれるよう頑張ります!
さて、最近〈ゲリラ豪雨〉が多発しています。雨の降る時間は短いのですが、突然激しく降るものですから傘がないとびしょ濡れになります。以前は〈通り雨〉と言っていたのですが、もう死語になりそうですね(⌒-⌒; ) これも自然環境破壊・温暖化が原因だと思います。以前にも書きましたが、戦争をやってる場合ではありません。今こそ世界的に地球温暖化対策に取り組まなければなりません!
ミサでは、「聖クララおとめの記念日」をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
ミサでは先唱奉仕を担当したのですが、先唱の最後にある「拝領唱」を読むのを忘れてしまうという、先唱奉仕者としてあるまじき大失態を犯してしまいました( ̄◇ ̄;) 他事に気を取られ、ミサでの集中を欠いていました。一番の原因は先唱奉仕者としての「慣れ」ですね。慣れ自体は悪くはないのですが、慣れで集中を欠くようではダメですね。反省しています。どんなに慣れても初心を忘れずに!です。もっと立派な先唱奉仕者になれるよう頑張ります!
さて、最近〈ゲリラ豪雨〉が多発しています。雨の降る時間は短いのですが、突然激しく降るものですから傘がないとびしょ濡れになります。以前は〈通り雨〉と言っていたのですが、もう死語になりそうですね(⌒-⌒; ) これも自然環境破壊・温暖化が原因だと思います。以前にも書きましたが、戦争をやってる場合ではありません。今こそ世界的に地球温暖化対策に取り組まなければなりません!
ミサでは、「聖クララおとめの記念日」をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。
そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、
そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。
終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
「聖クララおとめ」のお話し [聖人・福者・尊者]
今日8月11日は、聖クララおとめの記念日です。
アッシジのクララ(イタリア語名はキアラ:イタリア:1194年~1253年8月11日)は、聖人で、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会で崇敬されています。聖フランシスコ(アッシジのフランチェスコ)に最初に帰依した者の一人で、フランシスコ会の女子修道会クララ会(又はキアラ会)創設者です。目や眼病の守護聖人。絵画などでは聖体顕示台、聖体容器箱、ランプを持つ姿で描かれることが多いですね。記念日は今日8月11日です。
◯アッシジのサン・フランシスコ聖堂のシモーネ・マルティーニ作のフレスコ画です。
クララは、サッソ=ロッソ伯ファヴォリーノの娘として、アッシジで生まれました。母オルトラーナは非常に敬虔な女性で、後に娘クララが創設した修道院へ入りました。1210年、クララはアッシジの路上で、フランシスコの説教を聴き、その言葉に心を動かされたことがきっかけとなって、フランシスコの指導を仰いで修道生活に入りました。妹のアグネス(後に列聖)も両親の元を離れ、クララに従って清貧の女性修道会を創立しました。
修道女として、彼女はフランシスコ会の厳しい誓約よりさらに聖ベネディクト会則に密接に似ている誓約を負わす高位聖職者の試みから自分の典礼を守りました。クララは精神的な父とも仰ぐフランシスコの助けと励ましを受け、注目を集める役割を演じました。1226年にフランシスコが亡くなるまで病に伏した彼の看病をしました。フランシスコの死後は、修道会の成長を奨励し続け、クララは修道院の院長として、長く体調が優れなかったにもかかわらず、聖フランシスコの精神のもとに会員を導き、その生涯をささげました。特に聖フランシスコへの忠誠で知られ、「もう一人のフランシスコ」と呼ばれました。
1253年、インノケンティウス4世教皇がクララ会則を承認した2日後の8月11日、クララは59歳で亡くなりました。1255年8月15日、アレクサンデル4世教皇は、“アッシジの聖クララ”として列聖しました。1263年、ウルバヌス4世教皇は、清貧の女性修道会の名を、公式に「聖クララ会(又はキアラ会)」に変更しました。現在、日本では上越市、桐生市、八王子市、西宮市、小郡市に聖クララ会があり、観想的な生活を送っているそうです。
アッシジのクララ(イタリア語名はキアラ:イタリア:1194年~1253年8月11日)は、聖人で、カトリック教会、聖公会、ルーテル教会で崇敬されています。聖フランシスコ(アッシジのフランチェスコ)に最初に帰依した者の一人で、フランシスコ会の女子修道会クララ会(又はキアラ会)創設者です。目や眼病の守護聖人。絵画などでは聖体顕示台、聖体容器箱、ランプを持つ姿で描かれることが多いですね。記念日は今日8月11日です。
◯アッシジのサン・フランシスコ聖堂のシモーネ・マルティーニ作のフレスコ画です。
クララは、サッソ=ロッソ伯ファヴォリーノの娘として、アッシジで生まれました。母オルトラーナは非常に敬虔な女性で、後に娘クララが創設した修道院へ入りました。1210年、クララはアッシジの路上で、フランシスコの説教を聴き、その言葉に心を動かされたことがきっかけとなって、フランシスコの指導を仰いで修道生活に入りました。妹のアグネス(後に列聖)も両親の元を離れ、クララに従って清貧の女性修道会を創立しました。
修道女として、彼女はフランシスコ会の厳しい誓約よりさらに聖ベネディクト会則に密接に似ている誓約を負わす高位聖職者の試みから自分の典礼を守りました。クララは精神的な父とも仰ぐフランシスコの助けと励ましを受け、注目を集める役割を演じました。1226年にフランシスコが亡くなるまで病に伏した彼の看病をしました。フランシスコの死後は、修道会の成長を奨励し続け、クララは修道院の院長として、長く体調が優れなかったにもかかわらず、聖フランシスコの精神のもとに会員を導き、その生涯をささげました。特に聖フランシスコへの忠誠で知られ、「もう一人のフランシスコ」と呼ばれました。
1253年、インノケンティウス4世教皇がクララ会則を承認した2日後の8月11日、クララは59歳で亡くなりました。1255年8月15日、アレクサンデル4世教皇は、“アッシジの聖クララ”として列聖しました。1263年、ウルバヌス4世教皇は、清貧の女性修道会の名を、公式に「聖クララ会(又はキアラ会)」に変更しました。現在、日本では上越市、桐生市、八王子市、西宮市、小郡市に聖クララ会があり、観想的な生活を送っているそうです。