「神山復生病院聖堂・カトリック墓地訪問」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日は、静岡県御殿場市にある「神山復生病院(こうやまふくせいびょういん)」と近くにあるカトリック墓地を訪れ、病院に附属する教会の聖堂でお祈りを捧げ、岩下壮一神父様と井深八重さんのお墓参りをしてきました。今回で7回目の訪問となります。天候が不順続きで心配していましたが、とにかく晴れてよかったです!
過去の訪問日は次のとおりですが、ず~っと隔年で来ています。初めて訪れてからもう12年になるのですね。ちなみに、なぜか真冬の厳寒の日か、真夏の猛暑の日しか訪問していません( ̄▽ ̄;) なぜもっと快適な春や秋に訪問しないのでしょうね~?( ̄▽ ̄;) 今日も暑いですが、高地だけあって猛暑日ではないですね。

◯過去の訪問年月日&トピックス!
第1回訪問 2011年12月17日 53歳
     この年の4月30日に町田教会を初めて訪問し、6月から入門講座を受講開始
第2回訪問 2013年11月30日 55歳
     この年の前年4月7日の復活徹夜祭で受洗する。洗礼名はアウグスティヌス
第3回訪問 2015年12月20日 57歳
     この年の4月1日に体重88㎏!過去最高記録を更新する( ̄▽ ̄;)現在81㎏!
第4回訪問 2017年8月23日 59歳
     この年の2月19日の町田教会の総会で、運営委員会議長(委員長)に就任!
第5回訪問 2019年12月14日 61歳
     この年の5月までに4つの吹奏楽連盟役員を勇退、ホームレス支援活動再開!
第6回訪問 2021年8月21日 63歳
     この年の前年6月1日に成城教会に転入し、成城教会の聖タデオ聖歌隊入隊!
★本日、第7回訪問 2023年8月10日 65歳
     この年の7月6日に65歳となり、来年3月31日に学校法人国士舘を定年退職!
この神山復生病院は、キリスト教カトリック教会のパリ外国宣教会フランス人司祭で初代院長であるテストヴィド神父様が創設され、6代目院長で哲学者でもある岩下壮一神父様(いわした そういち1889年~1940年)とカトリック教会のクリスチャンである看護婦長の井深八重さん(いぶか やえ・1897年~1989年)が、ハンセン病の看護に生涯を捧げたところです。私がここを訪れる目的は、信仰において私淑する岩下壮一神父様と井深八重さんを偲び、お二人のお墓にお参りすることにあります。
◯一般財団法人神山復生病院です。
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◯神山復生病院と隣接している教会です。
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◯静かなお御堂で、神山復生病院のために生涯を捧げられ皆様に敬意を表して、ロザリオの祈りを一環と心安らかにお祈りを捧げました。
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私が尊敬する岩下神父様は、カトリック教会の司祭(神父)ですが、哲学者でもあり大正時代から昭和初期の日本におけるカトリック教会の精神的指導者と言われています。東京帝国大学文学部哲学科卒業・同大学院修了、その後、旧制第七高等学校教授を務め、文部省から国費派遣留学生としてフランス、ベルギーなどの大学に留学、大変優秀であったことから東京帝国大学教授を嘱望されていました。しかし、生涯をカトリック教会の一司祭として、司牧、宣教、学究、ハンセン病患者の福祉に命を捧げることを決意し、特にハンセン病患者の養護に尽力したことで有名です。神父様は、1930年に神山復生病院の6代目院長として亡くなるまで務めています。初代から5代目まではパリ外国宣教会のフランス人司祭(神父)が院長を務めています。
◯岩下壮一神父様のお墓です。墓石には、次の言葉が刻まれています。
「岩下壮一師を始め
かつて
復生病院に生き
今は
此の地にねむる
人びとのみたま
安らからんことを」
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井深さんは、同志社女学校(現在の同志社女子大学)を卒業後、長崎県立長崎高等女学校の英語教師となったのですが、病院でハンセン病と診断され、御殿場市の山深いところにある神山復生病院に隔離入院、3年後に誤診だったと判明しますが、病院に留まってハンセン病患者の看護を使命とすることを決意し、看護婦学校で資格を取得して病院初の看護婦(看護士)となりました。父親は衆議院議員をつとめた井深彦三郎で、ソニーの創始者である井深 大は遠縁にあたります。当時は、ハンセン病やその患者に対する激しい差別と偏見が存在した時代であったにも関わらず、ものすごく山深い僻地にある、しかも極貧の状態であった神山復生病院で婦長として献身的な看護にあたり、生涯をハンセン病患者の救済に捧げました。その活動は国際的に高く評価され、教皇ヨハネ23世より聖十字勲章、赤十字国際委員会よりナイチンゲール記章などを受章、1977年に朝日社会福祉賞を受賞、日本カトリック看護協会の初代会長に就任しています。
◯井深八重さんのお墓です。聖書の聖句「一粒の麦」が刻まれています。新約聖書の『ヨハネによる福音書』第12章・第23節に「もし一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それは一粒のままである。しかし、死ねば、豊かに身を結ぶ。」とあります。
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この病院は、明治19年にパリ外国宣教会のフランス司祭で人初代院長であるテストヴィド神父様が建てた、ハンセン病者のための病院が始まりです。今は一般財団法人神山復生病院という名称で、きれいな建物(病院、クリスト・ロア宣教修道女会)と病院付属の教会、記念館があります。テストヴィド神父様は、宣教活動の途中に御殿場で一人の女性ハンセン病患者と出会い、社会で放置された同病者の救済を思い立ち、御殿場の鮎沢村(現在の御殿場市新橋に家屋を借用して6名の患者を収容したことから始まりました。その後、神山に場所を移し、日本初のハンセン病の療養施設として多くの病者が治療生活を送ってきました。現在は、1943年に開発された特効薬プロミンにより、ハンセン病は不治の病から完治する病になっています。
◯「復生記念館」です。館内は撮影禁止です。記念館の詳細は、ホームページをご覧ください。
https://www.fukusei.jp/memorialhall/
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一般財団法人神山復生病院では、ハンセン病への理解とここで暮らしてきた方々の歴史を後世に残すために、1897年(明治30年)に建てられて、2002年まで事務所として使われてきた建物を記念館として開館し、ハンセン病の長い歴史を伝える資料を展示しています。2016年、創立時の姿に復元しリニューアルオープンいたしました。岩下神父と井深八重さんの遺品などが展示されています。現在の病院付近は、住宅もあり観光ホテルもあってリゾート地となっていますが、当時は農家くらいしかないものすごい僻地だったのです。病院付属の教会のお御堂で心静かにお祈りを捧げ、近くにあるカトリック墓地で、テストヴィド神父様、岩下神父様と井深さんが眠るお墓にお参りをしてきました。
◯病院近くにある霊園の「カトリック墓地」です。神山復生病院の「復生」は復活するという意味です。
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◯神山復生病院を創立したテストヴィド神父様のお墓です。墓石には、次の言葉が刻まれています。神父様の詳しいことは、このブログの2017年8月22日に掲載した「『明治の東海道を歩いた宣教師 テストヴィド神父書簡集』のご紹介!」をお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-08-22
「この地に十字架を建て たとえ病者であっても
神の懐にねむる すべとの人と同じように尊敬
されるべきことを教える聖なる場所とする」
テストヴィド師の書簡より
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◯病院の敷地から富士山方面を撮影しました。写真の中央に富士山が映っているのですが、この時、奇跡的に山頂辺りの雲が流れて、一時的に富士山の山頂が出現しました!これは絶対に神様のいつくしみです!神様に感謝です!iPhoneやsmartphoneなどの携帯からご覧の方は、写真をタップして、2本の指で拡大して見てください。山頂が映っていますよ。なお、手前の広い芝生地は、運動場だったところだと思われます。岩下神父様は、ハンセン病患者の皆さんとよく野球をされたそうです。
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◯岩下神父様の伝記書籍のご紹介です。是非ともお読みください。
書名:『人間の分際 神父・岩下壮一』
著者:小坂井 澄
出版:聖母の騎士社(聖母文庫)
発行:1996年7月1日初版
定価:1,200円(税別)私が購入した2011年現在の価格です。
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<アクセス>
小田急小田原線新松田駅下車、徒歩1分でJR御殿場線松田駅に着、沼津方面の電車に乗りJR御殿場駅で下車、駅前のバスターミナルから三島行きバスに乗車して復生病院前(440円)で下車して徒歩3分です。又はJR御殿場駅の次のJR富士岡駅で下車して徒歩約30分です。富士山が目の前に大きく見える素晴らしい所にあります。
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