今日の日記2023.8.1(ウォーキング!) [日記]

体調管理の日課として、ウォーキングとダンベル・ダイエットを交互に毎日やっています。心臓部の激痛があって、当初は狭心症と診断されましたが、核医学検査などを経た結果、担当医からは現時点では狭心症とは認められないということでした。しかし、心臓部の激痛があったのは事実ですし、いつ再発するかわかりませんから、引き続き運動と食事制限は続けています。今日は、ウォーキングの日で50分歩き、汗でドロドロになりました(⌒-⌒; )
◯先日のウォーキングで、タヌキの親子と遭遇した道です。右側が相模原市立相原中学校で、左側が神奈川県立橋本高校です。写真では明るいですが、実際はもっと暗いですね。
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教会日記2023.8.1(カトリック成城・聖タデオ教会「聖アルフォンソ司教教会博士の記念日のミサ(年間第17月火曜日のミサ)」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「年間第17月火曜日のミサ」に与りました。昨夜は雷雨があったおかげで、少しは暑さが和らいだ感じがします。でも、蒸し暑さは変わらないですね。
さて、今日から8月です。日本では、8月を「葉月(はづき)」と呼んでいますが、由来は諸説あります。有名な説としては、木の葉が紅葉して落ちる月 → 葉落ち月 → 葉月であるという説ですね。
また、8月の英語名「August」 は、ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥス(紀元前63年~紀元14年)に由来するそうです。アウグストゥス皇帝は、紀元前1世紀、誤って運用されていたユリウス暦の運用を修正するとともに、8月の名称を「6番目の月」を意味する Sextilis から自分の名前に変更しました。それで「August」になったのですね。

アウグストゥス皇帝といえば、新約聖書『ルカによる福音書』のイエス様の誕生の場面に出てきますね。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第1~第7節
「そのころ、皇帝アウグストゥスによって、全世界の住民に登録をせよとの勅令が発布された。この登録は、キリニウスがシリア州の総督であった時に行われた、最初のものであった。人々はみな登録のために、それぞれの自分の町に帰っていった。ダビデの家とその血筋に属していたヨセフも、すでに身籠っていたいいなずけのマリアを伴って、登録のために、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレフムというダビデの町へ上って行った。ところが、二人がそこにいる間に出産の日が満ちて、マリアは男の子の初子を産んだ。そして、その子を産着にくるみ、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には、彼らのために場所がなかったからである。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

ミサでは、「聖アルフォンソ司教教会博士の記念日」をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
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「聖アルフォンソ司教教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日8月1日は、聖アルフォンソ司教教会博士の記念日です。
イタリアのナポリの貴族の家に生まれ、幼いころから母親に信仰深く育てられたそうです。法律の勉強に励み、法学博士の学位を取得して弁護士となり、多くの人びとを助けました。しかし、ある日のこと、必ず勝つと思われた訴訟事件に自分のミスで負けてしまったことを機に、彼は法廷から退いて社会的地位を捨て、聖職者になる決心をしました。
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1726 年に司祭となった聖アルフォンソは、有名な説教家となって1730年にスカラに女子贖罪主会(レデンプトリスチン)を創立しました。1732年には数名の同志とともに男子レデンプトール会の創立に着手し、内外からの試練に遭いながらも1749年に教皇から正式に認可されました。創立から42年間にわたって総長として会の指導に献身し、その後13年間は教区の司教として務めました。その間、倫理、修徳、司牧神学に関する本を数多く書き、日本語に翻訳されたものに『完徳のしおり』、『聖体訪問』などがあります。また彼は、カトリック倫理神学の体系化の完成に貢献し、その著書『倫理神学』は不朽の名著として知られています。
日本においてレデンプトール会は、代々木(カトリック聖アルフォンソ初台教会)、鎌倉、諏訪、舞鶴、宮津、吹田、長崎、鹿児島及び徳之島で司牧、施設の運営にあたり、女子の修道会レデンプトリスチン(厳律至聖贖罪主女子修道会)は、鎌倉、長崎及び西都にあります。
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