今日の日記2023.8.28(隣り駅までウォーキング!) [日記]

今日は、早めに帰宅しましたから早速ウォーキングに出かけました。今日のコースはJR横浜線八王子みなみ野駅まででした。相原駅近くにある自宅から約50分でした。ほとんど山に挟まれた道を歩くので、夕方ということもあり、コウモリが約20匹ほど乱舞して飛んでいました!飛んでいる昆虫を捕獲しているのですね。夕刻はコウモリのお食事時間なのです。低空飛行するものもいて、ぶつかりそうになります(⌒-⌒; ) ちなみに、帰りは電車(1駅)で帰りました。
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一面の畑ですが、向こうに見える森の下辺りにトンネルがあり、横浜線の電車が走っています。上下線2本のトンネルです。
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「東京カトリック神学院訪問」のお話し [日記]

今日は、仕事は午後からお休みをいただき、東京カトリック神学院を初めて訪問し、以前所属していたカトリック町田教会でお世話になった林正人神父様をお訪ねました。今年4月1日から神学院の養成者として勤務されています………が、神父様は………広島にご出張でご不在でした〜( ̄◇ ̄;) やはりサプライズで登場しょうなどと姑息な手段を取るべきではなかったですね?事前にアポイントを取るべきでした〜!( i _ i )受付の方にお土産をお渡しして帰路につきました。今は、すでに帰りの電車の中です。ちなみに、西武新宿線武蔵関駅から徒歩8分のところにあります。
◯正門には「宣教研修所 東京カトリック神学院」とあります。
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お御堂で、林神父様のご健康と神学生の皆さんのこれからのご活躍をお祈りしてきました。
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神学院正門の向かい側に「イエズス会上石神井修道院」がありました。
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<神学院の沿革>
1871年 東京にて伝道学校(ラテン語学校)が設立される 。
1929年 上石神井村字関(現在地)に東京教区立の東京公教神学校設立。
1947年4月 東京・大阪教会管区の共立神学校として東京カトリック神学院開校 。
1970年4月 運営責任をイエズス会より11教区の司教団に移管 。
1990年4月 知的養成を、東京カトリック神学院独自コースとして移行 。
2000年10月 現在の新校舎完成 。
2009年4月 福岡サン・スルピス神学院と合同して「日本カトリック神学院」設立。
2019年4月 東京カトリック神学院、福岡カトリック神学院として再発足。
◯東京カトリック神学院の詳しいことは、次のホームぺージアドレスをクリックしてご覧ください。
http://www.tokyo-seminary.catholic.jp/
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教会日記2023.8.28(カトリック成城・聖タデオ教会「聖アウグスティヌス司教教会博士の記念日(年間第21月曜日)のミサ」月曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「聖アウグスティヌス司教教会博士の記念日」のミサに与りました。聖アウグスティヌス司教教会博の詳しいことは、先ほど掲載した「聖アウグスティヌス司教教父教会博士のお話し」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-08-28
聖アウグスティヌス司教教父教会博士は、私の洗礼名でもあります。偉大な教父のみ名をいただき、誠に恐れ多いことです(⌒-⌒; ) 神の恩寵を逸脱することなく信仰に励みます!

ミサでは、「聖アウグスティヌス司教教会博士」の記念日をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
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「聖アウグスティヌス司教教父教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日8月28日は、聖アウグスティヌス司教教父教会博士の記念日です。
アウグスティヌス(354年11月13日~430年8月28日)は、北アフリカのタガステに生まれました。若いころは放蕩な生活(同棲をして子どもを作ったり………)を送り、マニ教(邪教)に入信しましたが、ついに回心してキリスト教カトリック教会の信仰を受け入れ、387年に現在のイタリアのミラノでアンブロジウス司教(四大ラテン教父・西方の四大教会博士の一人で聖人)から洗礼を受けました。祖国である北アフリカに帰って修道生活を送り、やがてヒッポの司教に選ばれました。以後34年間、模範的な司牧者として説教と多くの著作によって市民を教え導き、当時の邪教や間違った教えに果敢に立ち向かい、深遠な学識をもってキリスト教を宣教しました。
◯フィリップ・ド・シャンパーニュ作の『聖アウグスティヌス』です。1645年頃~1650年頃の作品です。アメリカ・ロサンゼルス市にあるカウンティ美術館に収蔵されています。
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古代キリスト教時代の司祭、神学者、哲学者であり説教者です。“ラテン教父”とよばれる一群の神学者たちの一人で、教会博士の称号を持っています。キリスト教がローマ帝国によって公認され国教とされた時期を中心に活躍し、正統信仰の確立に貢献し、古代キリスト教世界のラテン語圏において多大な影響力を及ぼしました。その思想的影響は、西欧のキリスト教に止まらず、西洋思想全体に及んでいるといっても過言ではありません。アウグスティヌス自身は、プラトン・新プラトン主義、ストア思想に影響を受けていました。すでにギリシア教父はギリシア思想とキリスト教の統合に進んでいましたが、アウグスティヌスにおいて、新プラトン主義とキリスト教思想が統合されたことは、西洋思想史を語る上で外すことができないほど重要なものとなっています。その思想は、近世〜現代の哲学者であるアルトゥル・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェにまで影響を与えているくらいです。

◯有名なアウグスティヌの著作『告白録』です。この著作は、アウグスティヌスの青年時代の罪深い生活からキリスト教への目覚めをたどっており、40歳くらいまでの自叙伝となっています。西欧において最初期に書かれていた自伝にはよく見られる内容であり、その後中世までおよそ1000年にわたってキリスト教徒の作家に強い影響を及ぼす雛形となりました。
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◯著作名『告白録』
著者:アウレリアス・アウグスティヌス
訳者:宮谷宣史
発行:教文社
初版:2012年2月29日
定価:4,800円+税

………ということですが、私は、恐れ多くもこの超偉大な聖人の御名(みな)を自分の洗礼名にしてしまいました!………あまりにも偉大すぎました!(; ̄O ̄)が、誠に恐れ多いことですが、洗礼名をアウグスティヌスとしたのも、紆余曲折を経てキリスト教に回心した非常に人間臭いところのある、偉大な聖人を尊敬しているからなのです。
なお、醸造業者、印刷業者、神学者の守護聖人であり、多くの都市の守護聖人ともなっています。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会で聖人となっています。母親のモニカも聖人になっています。日本の正教会(日本ハリストス正教会)では福アウグスティンと呼ばれています。なお、イングランドの初代カンタベリー大司教も同名のアウグスティヌスであるため、聖アウグスティヌスは、これと区別するため「ヒッポの聖アウグスティヌス」と呼ばれています。(「ヒッポ」は、聖アウグスティヌスが司教を務め亡くなった北アフリカ北部の都市名のこと。)

【教父】
教父(きょうふ)とは、キリスト教用語で古代から中世初期、2世紀~8世紀ごろまでのキリスト教著述家のうち、とくに正統信仰の著述を行い、自らも聖なる生涯を送ったと歴史の中で認められてきた人々のことです。古代キリスト教時代に活躍した「四大教父(偉大な4人の教父)」は次のとおりです。
聖アンブロジウス
聖アウグスティヌス
聖ヒエロニムス
聖グレゴリウス1世教皇(大聖グレゴリウス)
【教会博士】
教会博士(きょうかいはかせ)とは、キリスト教カトリック教会おいて、聖人の中でも特に学識にすぐれ、信仰理解において偉大な業績を残した人に送られる称号のことです。
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