「お祈り台」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日ご紹介するのは、自宅の書斎兼寝室にある祭壇前の「お祈り台」です。「祈祷台(きとうだい)」とも「跪き台(ひざまずきだい)」ともいいますが、正式名称は定かではありません。9年前にインターネット・オークションで、中古のものを3,800円で落札しました。
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左側の「サン・ダミアーノの十字架」の横にあるステンレス製のポットは、聖水入れです。聖水は、いつも神父様からいただいていました。お祈りをする前に、お祈り台に付けた聖水盤の聖水を手の先につけて、十字を切ってからお祈りや黙想をしていたのですが、聖水はコロナ渦になった2020年から中止したままです。
◯自宅の書斎兼寝室にある祭壇前の「お祈り台」です。
自室にある手作り祭壇の全景です。「祈り台」の横にベッドがあり、そのまま寝れます。黙想をした後は、安心感に満たされしっかりと熟睡できますね。枕の横には聖書が置いてあり、毎日就寝前に旧約聖書1章&新約聖書1章を読んでから寝ます。
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◯ローマのバチカンですね。左に現在のフランシスコ教皇、右に前教皇の故ベネディクト16世です。珍しい写真です。黙想する時は、このような姿勢になります。ほとんど頭は垂れますね。この姿勢が楽なのです。やはり身体をゆだねることができるからですね。
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お祈り台は、簡単に言うと「台に身体を乗せ、お祈りする時に使用する台」ということですね。使い方は、下の台のクッションの置いているところに両膝をのせます。そして両手・両腕は、上の台(手前に斜めになっている)のタオルのあるところにのせて手を組みます。そしてお祈りをします。特に「黙想」をする時は、身体をゆだねることができるので便利です。私の場合、椅子に座って黙想しているとついつい眠気が襲ってきますから、このお祈り台があると眠くならないので助かっています。

ところで、黙想は仏教の禅宗における「座禅(ざぜん)」と似ているところがあると思います。学生時代に横浜市にある曹洞宗(そうとうしゅう)の建功寺などで座禅を何度か経験しましたが、曹洞宗の祖である道元禅師は、ただひたすら坐ることに打ち込む「只管打座(しかんたざ)」を唱えており、修行者本人が「現成公案(げんじょうこうあん:現象界のすべてが活きた仏道だという意味)」を抱えるので、修行者本人の疑問が解消されるまでは、逃げずに疑問に正面から向き合うことが要求されます。要は、自身の懸案から逃げずに自己に対峙する修行が坐禅の特徴だと言えます。「悟りを開く」ための修行(自己修養)です。曹洞宗は壁に向かって座禅(面壁座禅)しますが、同じ禅宗でも臨済宗(りんざいしゅう)は壁を背にして座禅(背壁?座禅)します。
ちなみに、学生時代は文学部で倫理学を専攻して、禅宗に関する文献も研究していましたから、まぁ、少しは知っているつもり?です( ̄▽ ̄;)

キリスト教における黙想は、“ 自己に対峙する ” ということでは、仏教の禅宗の座禅と同じですが、キリスト教の黙想の一番の特徴は「主(神様)と対話する」ということだと思います。対話とは、向かい合って話しをすることですね。聖書の一節をとおして黙想し、その中で主の通られた道を辿って対話することです。
あるいは、主(神様)に願うことをとおして主(神様)と対話することですね。ですから私の場合、黙想をする時はこの “ 自己との対峙する ” ことから始めます。自分は小さな存在であり、罪びとであるとしっかり謙虚、謙遜になってから主に問いかけます。このように黙想をする時にもお祈り台を使用しています。

お祈り台を使用する一番の利点は、身体をお祈り台にゆだねることで身体を固定することができ、支えることに力を入れる必要がないので、お祈りや黙想に集中できることですね。雑念を最小限に抑えることができ、主(神様)との対話がしやすくなります。そして、室内の明かりを消して、ローソクの灯だけにすることでさらに集中できます。
偉そうに簡単に対話と言っていますが、実は私はまだ完全には主(神様)と対話するほどには至っておりません。対話できているような………感じですね。時間をかけて黙想しますので、下の台に置くクッションはふかふかのものにしています。あとは、これからの季節、手(腕)に汗をかきますので上の台にはタオルを置いています。次の日はお休みという前夜、本格的に黙想をすると1時間は “ あっ ” という間に過ぎていきます。それから、黙想は信仰に関係なく、一日の振り返りやその日の反省などをして、不安解消、精神安定、自己修養に役立ちますから是非ともお勧めです!
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教会日記2023.8.14(カトリック相模原教会「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日のミサ(年間第19月曜日のミサ)」月曜日) [教会日記]

今日は、カトリック相模原教会で、8時からの「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日のミサ(年間第19月曜日のミサ)」に与りました。「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者」の詳細については、このブログに今朝掲載した「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者のお話し」をお読みください。台風が近づいていますが、大雨に注意ですね!外出を控えて家で大人しくします(⌒-⌒; )

ミサでは、「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者」の記念日をお祝いしてお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい日を迎えています!
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「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者」のお話 [聖人・福者・尊者]

今日8月14日は、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日です。
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「憎しみからは何も生まれません。
愛だけが創造するのです。
苦しみは私たちを消滅させません。
私たちの霊が主(神)の前にもっと強くなれるよう、助けてくれるのです。」

聖マキシミリアノ・マリア・コルベ(ポーランド:1894年~1941年) は、ポーランド人のキリスト教カトリック教会の司祭で、悪名高いナチス・ドイツのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(通称:アウシュヴィッツ捕虜収容所)で、「餓死刑」に選ばれた男性の身代わりとなったことで知られています。「アウシュビッツの聖者」と言われています。キリスト教カトリック教会では、聖人に列せられています。
この言葉は、イエス・キリストの説く「愛」と「赦し」ですね。動乱の時代にご苦労をされ、一命を投げ出して自己犠牲されたコルベ神父様でこその言葉だと思います。ちなみに、カトリック多摩教会の守護聖人は、聖コルベ神父様です。多摩教会には「聖コルベ神父の遺物」が安置され、崇敬の念を集めています。この聖遺物は長崎で剃られた顎ひげで、ポーランドの修道院に保管されていた一部をいただいたものです。

コルベ神父と日本はご縁があって、コルベ神父が中国での宣教を考えていたところ、当時ローマに留学していた神学生の里脇浅次郎(後の長崎教区大司教及び枢機卿)に「中国へ布教に行きたいがどうしたら良いでしょうか。」と尋ね、里脇神学生は「中国は政情が不安定だから、しばらく日本で待機したらどうですか。」と日本行きを勧めたのがきっかけでした。1930年に日本(長崎)に上陸し、2ヶ月後には日本語版の「無原罪の聖母の騎士」誌(宣教の機関誌で現在も発刊中)の出版を開始し、翌年には聖母の騎士修道院を設立しています。

1936年にポーランドのニエポカラノフ修道院の院長に選ばれたため、母国であるポーランドに帰国して出版やラジオなどを通じて、精力的な布教活動を展開していました。ところが、1941年にナチス・ドイツの秘密警察機関であるゲシュタポから、コルベ神父が発行していた「無原罪の聖母の騎士」誌や日刊紙が、ナチス・ドイツに対して批判的なものでると因縁をつけられ、4人の神父と共に逮捕されてしまいました。そして、ユダヤ人を何十万人も毒ガス室で殺した悪名高い「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」に送られてしまいます。

劣悪な環境の中で毎日重労働に従事していましたが、1941年7月末、収容所からの脱走者が出たことで、懲罰として無作為に選ばれた10人が餓死刑(がしけい)に処せられることになり、その10人の内の一人であったフランツェク・ガイオニチェクというポーランド人軍曹が、「私には妻子がいる!」と叫びました。この声を聞いた時、その場所にいたコルベ神父は「私が彼の身代わりになります。私はカトリック司祭で妻も子もいませんから。」と申し出ました。収容所の責任者はこの申し出を許可し、コルベ神父と9人の囚人は地下牢の餓死室に押し込められました。
通常は、餓死刑に処せられると、その牢内において受刑者たちは飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通でしたが、コルベ神父は全く毅然としており、他の囚人を励ましていたそうです。時折牢内の様子を見に来た通訳のブルーノ・ボルゴヴィツは、牢内から聞こえる祈りと歌声によって餓死室は聖堂のように感じられた。と証言しています。2週間後、収容所の責任者は、コルベ神父を含む4人にまだ息があったため、フェノールを注射して殺害しました。

もっと詳しく知りたい方のために、次の書籍(文庫本)をご紹介いたします。あまりにも悲しい実話に涙を流さない方はいないと思います。
『聖者マキシミリアノ・コルベ』(聖母文庫)
著者:アントニオ・リッチャルディ-、 訳者:西山達也 、出版:聖母の騎士社
『アウシュビッツの聖者コルベ神父』(聖母文庫)
著者:マリア ヴィノフスカ、訳者:岳野 慶作、出版:聖母の騎士社
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