「アッシジの聖フランシスコ修道者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日10月4日は、アッシジの聖フランシスコ修道者の記念日です。
聖フランシスコは、イタリア、アッシジの裕福な織物商の家に生まれました。快楽を求め自由奔放な青春時代を過ごしたが、騎士になりたいと望み、戦場に赴きました。そこで病気にかかって、夢の中でイエス・キリストに出会い、回心してイエス様に従う決心をしたそうです。持ち物を貧しい人びとに与え、自らは粗末な服をまとい、ローマ中を巡礼しました。アシジに戻った聖フランシスコは、壊れた聖堂で祈っていたとき、教会を建て直すようにとのキリストの声を聞き、すぐに聖堂の再建を始めた。フランシスコの父は、教会のために家の財産が費やされることを嫌い、フランシスコが財産を受け継ぐことを放棄する法的手続きをとり勘当しました。

しかし、聖フランシスコはよりいっそうイエス様の言葉に従い、同志を集めて清貧と愛の生活を続けて多くの人びとを感化し、当時の乱れた教会を改善していきました。その後、ローマに行き、教皇インノセント3世から許可を得て、1209年に「小さき兄弟会」、後の「フランシスコ会」を創立しました。
すべての被造物をとおして与えられる神の恵みを悟ったフランシスコは、神に感謝と賛美をささげた『太陽の賛歌』を作りました。彼の物語は、『小さい花』という本に伝えられています。また、彼はクリスマスの夜に馬小屋を飾って祝った最初の人であり、その習慣を広めました。1224年、聖フランシスコは聖痕(せいこん:キリストが十字架に付けられたときに受けた5つの傷)を受けたといわれています。その生涯は、キリストの僕(しもべ)として貧しく愛にあふれるものであり、現代まで世界中の人びとに大きな影響を与え続けています。ちなみに、聖フランシスコは、イタリアのアッシジで生まれたことから、「アッシジのフランシスコ」と呼ばれています。また、アメリカ西海岸の都市サンフランシスコ(St. Francisco)は、この聖人の名前が由来です。

私が大好きな画家であるスペインのエル・グレコ作の「法悦の聖フランチェスコ(1577‐1580)」です。ラサロ・ガルディアーノ美術館蔵
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◯「聖痕(せいこん)」及び「アッシジの壊れた教会」のことは、このブログの「聖フランシスコに語りかけた十字架のご紹介!2017.3.7」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-03-07をご覧下さい。また、「太陽の賛歌」は、このブログの「祈りの言葉2014.5.18」https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2014-05-18をご覧下さい。それぞれ詳しく説明しています。
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