「聖フランシスコに語りかけた十字架」のご紹介! [キリスト教と読書]

hon.png

サン・ダミアーノ聖堂.jpg
イタリアのアッシジにあるサン・ダミアーノ修道院の聖堂内部です。フランシスコは、この十字架像の前でひざまずいてお祈りをしたのですね。

サンダミアーノ2.jpg
自室に飾っているイタリア製の「サン・ダミアーノの十字架」です。

今日は、先日ブックオフで見つけた「聖フランシスコに語りかけた十字架」のご紹介です。全43ページの小さな本です(写真上)。著者はマイケル・グーナン、訳者は修道会のフランシスコ会司祭の小平正寿氏です。10分もあれば読み終わります。キリスト教(カトリック教会)関係の書籍・聖品を扱っている「サンパウロ」から出版されています。定価は1000円+税です。ブックオフで500円で購入しました。

内容は、イタリアのアッシジにある有名なサン・ダミアーノ修道院(聖堂)にあるイコンの十字架像(板絵:写真中・下)の解説です。十字架では、世界的にこの十字架が一番有名ではないでしょうか。私も大好きな十字架です。その十字架に画かれている天使や人物などの説明です。読むまで知らなかったですね~なかなか興味深い内容でした。

この十字架がなぜ有名なのか?といいますと、それは、ある日、裕福な家庭で育った青年フランシスコ・ベルナルドーネ(イタリア:1182年〜1226年)が、1206年、荒廃したサン・ダミアーノ教会の壊れかけた聖堂で、この十字架の前でひざまずいて祈っていると(写真中)、十字架像に描かれたイエス・キリストが、フランシスコに「フランシスコよ、見てのとおり、私の家は壊れようとしている。さぁ、行って私の家を立て直しなさい。」と3度語りかけたことからです。一人で石を積みながら修復したのがこの聖堂といわれています。

フランシスコに臨んだイエス・キリストの言葉は、①教会を物理的に立て直す(修復)ということと、②教会の本来の教え(福音)を立て直すという、2つ使命を意味しているのだと思います。フランシスコは、父の財産をすべて投げうって、①では、多くの教会を修復しました。②では、私財を貧者に分け与えて人生を通して“清貧の精神”を唱え、悔悛(悔い改め)と神の道(福音)を宣べ伝え、フランシスコ会という修道会を創設したのでした。また、フランシスコは、「聖痕(せいこん)」を受けた最初の人としても有名です。死後の1228年に聖人に列せられました。
ちなみに、アメリカのサンフランシスコは、この聖人の名前(聖フランシスコ)から付けられています。現在の教皇フランシスコもこの聖人の名前からですね。※フランシスコ=フランチェスコともいいます。

サン・ダミアーノの十字架上の主の御前で捧げられた祈り
「この上なく高く、栄光に満ちておられる神、
わたしの心の闇を照らして、正しい信仰、確かな希望、
そして完全な愛を、
さらに 理解と認識をお与えください。
このようにして、主よ、
あなたの聖にして真実な掟を私が実行できますように。」

【聖痕】
聖痕(せいこん)とは、イエス・キリストが磔刑となった際についたとされる傷のことです。また、何らかの科学的に説明できない力によって、信者らの身体に現れるとされる類似の傷をいいます。これらはスティグマータ(ラテン語:stigmata)とも呼ばれ、カトリック教会では、奇跡が起こる顕現と見なされています。

新約聖書の「ガラテヤの信徒への手紙」第6章・第17節に、使徒聖パウロは聖痕を「イエスの焼印」と呼んでいます。つまり、聖痕はイエス・キリストの受難において、十字架に磔り付けられるために釘を打たれた左右の手足と、ロンギヌスの槍によって刺された脇腹の5箇所に現れる傷跡のことです。しかし、キリストがかぶせられた荊冠(いばらの冠)に由来するとされる額の傷や、十字架を背負った際についたとされる背中の傷、血を含んだ涙や汗なども聖痕に含まれます。聖痕を得る際には、キリストや聖母マリア、天使の姿を幻視したり、その声を聞いたりするとされます。傷には出血や激しい痛みをともなうとのことです。傷口から芳香を発することがあり、アッシジのフランチェスコをはじめ、ドミニコ会のシエナのカタリナなど、聖人に列せられた修道士や修道女達に、このような聖痕が現れた例が伝えられています。2002年に列聖されたカプチン会のピオ神父も聖痕があったことで知られています。

聖痕現象は、磔刑がキリストの図像として成立した13世紀から報告されており、とりわけ宗教的な恍惚状態(法悦)にある女性に多く見られるそうです。キリストの受難に対してきわめて強い共感を抱いて自己同一化する精神状態との関連が指摘されています。報告例には、調査の結果、自傷行為による捏造が明らかになったケースもあるそうです。解剖学的な実験では、手のひらに釘を打ったとは考えにくく、手首に打ったとする説が現れ、これにより、今まで手のひらに多かった聖痕が、手首に多く現れることが報告されています。脳の思い込みが人体に影響するという解釈も存在しているそうです。まぁ、私には聖痕を受けられるような信仰心には達することができないでしょうね。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0