「聖マリア教会の献堂」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日8月5日は、「聖マリア教会の献堂」の記念日です。
聖マリア教会とは、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のことです。
イタリアのローマ市にあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂では、聖母が真夏に雪を降らせて聖堂を建てる場所を指示されたことを記念し、毎年この献堂日には、聖堂内で雪の代わりに花びらが舞います。元となる「雪の聖母の伝説」というお話しがあります。
それは、「4世紀ごろ、ローマにジョヴァンニ夫妻という信仰深い裕福な貴族がおり、子供に恵まれなかったことから、自分たちの遺産の相続人に聖母マリア様を選びました。当時の教皇リベリウスは、それを知って夫妻に聖母マリア様に子供を授かる方法を尋ねるよう提案し、夫妻はそれに従いました。352年8月5日の夜、夫妻と教皇リベリウスの夢に聖母マリア様が同時にご出現し、降雪量の少ないローマで雪が降る丘を目印にして、エスクィリーノの丘の頂上に聖母の王冠を建設するよう命じました。」というものです。

◯イタリアのローマにあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の外観です。
サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、「偉大なる聖母マリアにささげられた聖堂」の意で、名称には次の二つの意味があります。第一に、世界の聖堂の中でも特に重要な教会であり、まさに母なる教会であるということ。第二に、カトリック教会の信仰において、古代より尊重されてきた聖母マリア様への崇敬を表す聖堂であるということです。
サンタ・マリア・マジョーレ大聖堂.jpg
世界中に聖母マリア様に捧げられた聖堂がたくさんありますが、その中で最大のものがサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂ということです。ローマ教皇の座が、ローマからアヴィニョンに移されていた1309年~1377年の「アヴィニョン捕囚」から教皇がローマに戻ったあと、ラテラノ大聖堂が荒れ果てていたため、一時的にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が教皇宮殿として用いられていました。後にバチカンに教皇宮殿がつくられ、教皇はそこに移って現代に至っています。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、ローマ市内の古代キュベレ神の神殿があった場所に築かれ、数回にわたる改修と1348年の地震に伴う崩壊の危機を乗り越え、ローマのバシリカ様式の聖堂では唯一原構造を残している貴重な建築物となっています。なお、教皇が建築させたローマの四大バシリカ(古代ローマ様式の聖堂)の一つに数えられています。四大バシリカとは、このサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂とサン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖パウロ大聖堂)です。さらにサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖ラウレンティウス大聖堂)を加えて五大バジリカと呼ぶこともあります。
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