今日の日記2023.10.25(ハロウィーン!) [日記]

ハロウィーンは10月31日(火)ですが、今日は英語の授業を担当している女性教授とその受講学生が、いろいろなキャラクターに仮装して大学構内を回りました。これはハロウィーン(Halloween)を自らが体験し、英語と英語圏文化を学ぶという授業の一環なのですね。大学構内の各建物の事務室では、いろいろなお菓子を用意しています。学生が「Trick or Treat」(トリック オア トリート):お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!」(正式には「Treat me or I'll trick you」です)と言って、お菓子をもらうと「thank you(サンキュー):ありがとう」と言って次の事務室にお菓子をもらいに行きます。各部署ともにカウンターの上にお菓子の入った箱を置いています。私もやりた~い!
◯いろいろな仮装をして学生は楽しんでいます!私ならフランケンシュタインか!?
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◯えぇ~!もしかしてJK?もう女子高生はムリっしょ!いや?通用するか?
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◯先生です!バッチリメイクですね!( ̄▽ ̄;) ちなみに先生はアメリカ人です。
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◯閲覧注意!これは2019年3月30日時の写真です!リアル過ぎ!完全にオカルト!
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ハロウィーンの起源などは次のとおりです。
10月31日のハロウィーンの起源は、古代ケルト人の祝祭(収穫祭)のことで、ケルト暦で10月31日は夏の終わりとされ、冬の始まる12月1日の前夜と考えられています。「All Hallows’Eve(万聖節の前夜)」が短縮されてハロウィーンとなったといわれています。このハロウィーンの行事や風習が、アイルランドから19世紀に移民によってアメリカに伝わり、ハロウィーンの行事が盛んになったそうです。日本ではキリスト教の降誕祭(クリスマス)と同種に見られがちですが、キリスト教とはまったく関係はありませんし、悪霊、妖怪や魔女といった反キリスト的なものと一緒はありえません!………と私は思いますが、批判はしません。

この日は、異界の扉が開いて日本のお盆のように死者の霊が帰ってきたり、悪霊、妖怪や魔女が徘徊すると考えられています。初めのころは、それらから身を守るために仮面をつけたり仮装したりして紛れるという行事で、魔除けにカブを提灯にしていたそうですが、アメリカに伝わってから生産量の多いカボチャに変わったそうです。カボチャをくりぬいて提灯(カボチャランタン)にしたのが有名ですね。この時期、街やお店の飾りはハロウィーン一色となり、関係グッズであふれています。魔女などに仮装した子ども達が「お菓子をくれなきゃ、いたずらするぞ!」と家々を回ります。でも、日本で盛んになったのはまだ最近のことですね。

【JK(ジェイ・ケー)】
「JK」は、Joshi-Kousei (女子高生)の略です。
ちなみに、
F J K = First J Kは、高校1年生のこと。
S J K = Second J Kは、高校2年生のこと。
L J K = Last J Kは、高校3年生のこと。
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教会日記2023.10.25(カトリック成城・聖タデオ教会「年間第29水曜日のミサ」水曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時からの「年間第29水曜日のミサ」に与りました。今日は給料日です!(^◇^)でも、給料はわが家の財務担当者大臣である妻が管理しています!( ̄◇ ̄;) 私はお小遣いをいただくことになっています(⌒-⌒; )

ミサでは、10月が「ロザリオの月」であることから『アヴェ・マリアの祈り』をお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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新約聖書:ルカによる福音書・第6章・第37〜第38節 [聖書]

「『裁いてはならない。
そうすれば、あなた方も裁かれない
人を罪に定めてはならない。
そうすれば、あなたがたも罪に定められない。
赦しなさい。
そうすれば、あなた方も赦される。
与えなさい。
そうすれば、あなたがたも与えられる。
押し入れ、揺さぶり、溢れるほど升の量りをよくして、
あなたがたのふところに入れてもらえる。
あなた方が図るその升で、
あなた方も量り返されるからである。』」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
(マタイによる福音書では第7章・第1~第5節です。)

この聖句(イエス・キリストの言葉)は、ルカによる福音書の中で「人を裁くな」という見出しが付いているところです。
自分に対して「罪を犯した人を赦しなさい。」ということです。イエス・キリストの教えは、「隣人への愛」と「人への赦し」です。この聖句は、人を裁くことではなく“赦すこと”を説いています。イエス・キリストは、人が人に寛大であれば、神様はその人が寛大である以上にはるかに寛大であるということです。どんな人でも人生において必ずや「赦してもらいたい。」と願う時がやってきます。その時に赦してもらいたいのなら、自分も普段から人を赦すべきなのです。

かつて、知ってか?無意識か?自己顕示欲か?分かりませんが、「自分がルールブック」あるいは、「自分が裁判長」と思っている、いや、思い込んでいる間違った正義感の強い方がいました。ですから、何かあるとすぐ人を裁くのです。事実、裁かれた犠牲者はたくさんいます。人に対する憐れみや慈しみは一切ありません。自分の考え、行いはすべて正しいと思っているものですから、誰も注意もしなければ、諫めもしません。諫言する立場の人も何も言わなかったですね。言えば<倍返し>になって帰ってきますからね…………嫌な思いをしたくないのが一般的な人間なのです。

ですから、今日のこの聖句は理解できないでしょう。しかし、イエス・キリストは、このような人のためにこそ祈らなければならないと説いています。もちろんその人を赦した上での祈りです。そうです、誰も何も真実を言ってもらえないというのは、本当は哀れな可哀そうな人なのです。そのような人を救うために祈るのです。それに、聖書の別のところでは、「裁きや報復することは神のすること」と教えています。神様が、いかに人間社会に平和を与えようとしているかよく分かる聖句ですね。

ところで、現在の日本では「裁判員制度」があり、私たち信徒はこの聖句との関係で悩むことになると思います。各人の良心に従って判断することになると思いますが、裁判員を辞退することは基本的にはできないことになっています。ただ、法律等で認められた事情がある場合は辞退することは可能です。しかし、宗教上の信条で辞退することは可能なのか?正解はわかりません。私は、死刑制度の廃止に賛成でもあり、裁判員は辞退することにしています。それでも選任されれば、過料を支払ってでも不参加を選択することになります。それは、私には信仰の確固たる信条・信念があり、聖書にある聖句を人生の使命としているからです。
参考:日本カトリック司教協議会・社会司教委員会編「なぜ教会は社会問題にかかわるのかQ&A」のQ30「裁判員制度について………」
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