「茶色と緑色のスカプラリオ」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

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「カルメル山の聖母のスカプラリオ(茶色のスカプラリオ)」とは、カルメル修道会と跣足カルメル修道会の修道服(写真上)のことです。「カルメル山の聖母」は、聖母マリア様の、前述の2つの修道会の保護者としての役目の名称です。この修道服であったものが、一般信徒用に「不思議のメダイ」と同様な扱い(アイテム)として携帯できる小さなものになったのです。(写真下)

写真のスカラプリオは、宗教的なアイテムとして、そして他の信仰者用スカラプリオのプロトタイプとしてキリスト教カトリック教会の中で広く一般的に普及しています。スカプラリオと言えば、一般的にこの茶色のものを指します。カルメル山の聖母マリア様の祝日は 7月16日で、この日に茶色のスカプラリオを授与されるそうです。
ローマのバチカンにある教皇庁典礼秘跡省では、茶色のスカプラリオは「御子と、母でありカルメル山の女王である聖母マリアの親子関係を形度ったもので、それを身に付ける者は自分自身の全てを彼女の保護に任せる忠実な支持者であり、聖母の仲裁に頼り、精神的な生命の優越性と祈りの要を心にとめて忘れない。」としています。
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1840年1月「聖ビンセンシオ・ア・パウロ愛徳姉妹会」の修道女であるジュスティーヌ・ビスケイブリュが聖母マリア像の前で祈っていると、突然、聖母マリア様のご出現がありました。その後、数回の聖母マリア様のご出現があった後、1840年9月8日の出現の際は、聖母マリア様は左手に緑のスカプラリオ(写真)をお持ちになっていました。
緑のスカプラリオの表には、聖母マリア様の絵が、裏にはの剣で刺し貫かれた心臓があり、その周りに「聖マリアの汚れなき御心よ、今も臨終の時も我等の為に祈り給え」という文字が書いてありました。そして「このスカプラリオによって、信仰のない人は信仰の恵みを受け、特に臨終の時に大きな助けを受けます。」という声を聴いたそうです。

その後、緑のスカプラリオの一般の人々に頒布が始まり、それ以来、多くの奇跡的な回心と癒しの事例が伝えられました。キリスト教カトリックの教皇ピオ9世により、1863年と1870年に認可を受けました。1870年に認可した際には、教皇ピオ9世は「それを作り配布する権威を与えます。良き姉妹たちにそう伝えなさい。」と発言されました。
他の色のスカプラリオは、キリスト教の信徒しか持つことができませんが、緑のスカプラリオは聖母マリア様が「誰でもこのスカプラリオを身につけて、毎日少くとも一度、この裏に書いてある祈りを唱えれば幸せになります。」という言葉が示すとおり、「不思議のメダイ」と同様に信徒でなくとも持つことができ、幸福がもたらされるそうです。
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尊者北原怜子さんとゼノ修道士のお墓参り2023.4.22 [キリスト教関係事項・用語等]

今日は、早朝7時からカトリック松原教会で「復活祭第二土曜日のミサ」に与り、終わってから台東区の隅田公園にあった「蟻の街」の跡地に行って、終戦直後にこの地で貧困者・弱者救済のために生涯を捧げたカトリック教会の尊者である北原怜子さんとゼノ修道士を偲びました。そして、お墓参りに行く途中でカトリック麹町・聖イグナチオ教会での正午12時からの復活節第二土曜日のミサに与り、終わってからゼノ修道士のお墓参りでカトリック府中墓地に行き、北原怜子さんのお墓参りで同じ府中市にある多磨霊園に行ってきました………ハードスケジュールでした〜さすがに疲れました〜( ̄◇ ̄;) 昨年は雨でしたが、今年は晴れてよかったです(*^▽^*) 来年は、蟻の街とお墓参りのツアーを企画して、たくさんの方と訪れたですね。

まず、ゼノ修道士が眠られている府中市にある「カトリック府中墓地」を訪れました。ご命日は1982年4月24日です。明後日の月曜日ですね。ゼノ修道士のことは、このブログの2017年2月17日に掲載した「ゼノ神父のことば」を是非お読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-02-17
◯カトリック府中墓地です。案外と広い敷地に東京大司教区の司祭のお墓、各小教区の教会のお墓、各修道会のお墓、カトリック信徒個人のお墓があります。クリスチャン作家の遠藤周作さんのお墓もあります。
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◯ゼノ修道士のお墓です。今年もお花をお供えして、ホームレス支援活動のご加護と、貧困・弱者救済に絶えることのない情熱をもって活動ができますようにとお祈りしました。ポーランドで生まれ、若くして日本に来て貧困・弱者救済に生涯を捧げられ、この地に眠られたゼノ修道士様に想いを馳せました。ちなみに、写真にある旗はポーランド国旗です。
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◯同じカトリック府中墓地にある、私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会のお墓です。お墓の掃除をしてお花をお供え、成城教会の亡くなられた皆さんの永遠の安息をお祈りしました。毎年8月にお参りするのが恒例となっていますが、昨年は5月1日にお墓参りし、それ以来の訪問となりました。私もこの成城教会のお墓に入る予定です。
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次に北原怜子さんのお墓のある「多磨霊園」を訪れました。多磨霊園は、政財界・文化人など多くの有名人のお墓があることで知られ、本当に広大な敷地の墓地です。カトリック府中墓地から歩いて約1kmのところにあります。ご命日は、1958年(昭和33年)1月23日です。なんと!私はこの年の7月に生まれています。
バチカンの教皇庁から、カトリック教会の「尊者」であると認定されている北原怜子さんにもお花をお供えして、ホームレス支援活動のご加護と、貧者・弱者救済活動に真の使命を悟らせてくださいとお祈りしました。北原怜子さんのことは、このブログの2022年4月23日に掲載した「蟻の街・第一話 尊者エリザベト・マリア北原怜子のことば(第1日目)」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-23
◯北原怜子さんのお墓です。北原家のお墓の全景です。お墓の右側奥に怜子さんのお墓があります。ちなみに、お墓の場所は、多摩霊園内の第12区・1種・25番です。多摩霊園の正面入口から入ると、中心部よりも奥になります。
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教会日記その二2023.4.22(カトリック麹町・聖イグナチオ教会「復活節第二土曜日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、お墓参りのため仕事はお休みをいただき、カトリック松原教会での早朝7時からの「復活節第二土曜日のミサ」に与り、先程まで貧者救済のために生涯を捧げたカトリック教会の尊者(そんじゃ)北原怜子さんとゼノ修道士を偲ぶため、お二人のゆかりの地である台東区の言問橋袂にある「蟻の街(ありのまち)」を一年ぶりに訪問し、お二人に想いを馳せていました。
◯聖堂地下の地下聖堂と納骨堂に降りる階段にあるイエス様の生涯を描いたステンドグラスです。とっても鮮やかですね!
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その後、ゼノ修道士のお墓参りのため府中市のカトリック府中墓地と北原怜子さんのお墓参りのため多磨霊園に向かう途中、四ツ谷にあるカトリック専門図書・聖品を扱うドン・ボスコに寄り、自宅祭壇用のローソクとミサで使用する『毎日のミサ』5月号と6月号を買いに行きました。そこで、丁度正午近くだったものですから、聖イグナチオ教会でミサに与ったというしだいです。さあ、これから今日の主目的であるお墓参りに行きます!

ミサの始まる前に、『アレルヤの祈り』を唱えました。
※『アレルヤの祈り』の詳しいことは、このブログの昨日4月21日に掲載した「アレルヤに祈りのお話し」をお読みください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-04-21-2
そして、ミサ前後に私的なお祈りを捧げました。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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「蟻の街」尊者北原怜子・ゼノ修道士ゆかりの地訪問記2023.4.22 [キリスト教関係事項・用語等]

今9時30分です。貧困者・弱者救済のために生涯を捧げたカトリック教会の尊者(そんじゃ)北原怜子さんとゼノ修道士を偲ぶため、お二人のゆかりの地である「蟻の街(ありのまち)」のあった台東区の「隅田公園」を訪ねています。現在は、そのころの面影はまったくありません。昨年はこの地を何回か訪問しましたが、昨年最初に訪れた4月23日(土)以来一年ぶりとなりました。
北原怜子さんの詳しいことは、下に掲載した「蟻の街のお話し・第一話 尊者エリザベト・マリア北原怜子のことば(第1日目)」をお読みください。また、故ゼノ修道士の詳しいことは、このブログの2017年2月17日に掲載した「ゼノ神父のことば」をご覧ください。お二人は、戦後直後の荒廃した東京で、共通して貧者・弱者救済のためにその生涯を神に捧げ、敬虔な信仰に生きた方々です。この後、府中市内のカトリック府中墓地にあるゼノ修道士のお墓参りに行き、同市の多磨霊園にある北原怜子さんのお墓参りをします。
◯「蟻の街のお話し・第一話 尊者エリザベト・マリア北原怜子のことば(第1日目)」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-23
◯「ゼノ神父のことば」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-02-17

【蟻の街】
戦後直後、復員軍人(ということですが未確認)の小澤求氏が、仕事のない人々を日雇いで雇いあげ、ガラスくず、鉄・銅くず、縄くず、紙くず等を拾い集め、回収させて再生工場へ送る仕事を行うため、廃品の仕切り場とするために隅田公園辺りの製材工場跡と約600坪の土地を借り受けました。このような労働者たちを当時「バタヤ」と呼びました。このバタヤが収集して来た物品の買い取り価格が低いため、バタヤの生活は貧しく苦しかったのですが、自前の仕切り場を開設し、バタヤたちに適切な報酬を支払うことを目指しました。小澤氏の仕切り場での報酬は出来高払いで、仕切り場の労働者とその家族たちを居住させ、仕切り場はいわば生活共同体となりました。人々はアリのように勤勉に働き、助け合って生活したことから、この共同体の名称が「蟻の会」となり、住んでいる場所を「蟻の街」と呼ぶようになりました。

◯言問橋から撮影しました。この隅田川にかかる言問橋の浅草側に「蟻の街」がありました。今は桜の樹が生い茂る隅田公園となっています。
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◯堤防下の遊歩道から撮影しました。言問橋と東京スカイツリーです!昨年は、夏日で暑くて汗でドロドロだったのですが、今日は曇り空で涼しいですね……というか、ベンチに座っていると寒いくらいです。
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◯北原怜子とゼノ修道士が一緒に活動した「蟻の街」があった隅田公園に来ました。公園内にある「アリの街跡」の説明板です。台東区が令和3年3月に設置しました。
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このブログに昨年の4月下旬から5月上旬にかけて掲載した、蟻の街、北原怜子さんやゼノ神父様の関係する記事の一覧を掲載しましたのでお読みください。
1.「蟻の街のお話し・第一話 尊者エリザベト・マリア北原怜子のことば(第1日目)」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-23
2.「蟻の街のお話し・第二話 尊者北原怜子・ゼノ修道士ゆかりの地訪問記」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-23-3
3.「蟻の街のお話し・第三話 カトリック潮見教会訪問」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-23-2
4.「蟻の街のお話し・第四話『蟻の街の子供たち』のご紹介」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-24-1
5.「蟻の街のお話し・第五話 尊者北原怜子さんとゼノ修道士のお墓参り」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-05-01-2
6.「蟻の街のお話し・第六話 尊者エリザベト・マリア北原怜子のことば(第2日目)」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-05-04
7.「蟻の街のお話し・第七話『アリの町のマリア 愛の使者 北原怜子』のご紹介」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-05-04-1
8.「蟻の街のお話し・第八話 蟻の会墓のお墓参り」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-05-05-1
以上です。
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教会日記2023.4.22(カトリック松原教会「復活節第二土曜日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、お墓参りのため仕事はお休みをいただき、カトリック松原教会での早朝7時からの「復活節第二土曜日のミサ」に与りました。土曜日に早朝7時からの平日のミサを行っている教会は少なく、自宅からは遠いのですが世田谷区にある松原教会にお世話になりました。松原教会は、10月29日(土)の主日のミサに与って以来、約半年ぶりとなりました。ただ、職場には近いものですから、たまに通勤経路を変更して早朝7時からの平日のミサに与り、終わってから職場に向かうこともあります。私の所属教会のカトリック成城・聖タデオ教会も、早くコロナ渦以前のように土曜日の早朝7時からのミサを再開してもらいたいものです。

◯松原教会の正門入口です。奥の建物が聖堂と信徒館です。左側の建物は、主日のミサでお世話になっている「聖書と典礼」を発行しているオリエンス宗教研究所です。松原教会は、修道会の淳心会の修道司祭がいらっしゃいます。主任司祭も助任司祭もインドネシアご出身の神父様です。
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◯聖堂入口手前にある聖母子像と聖堂内にある聖母子像です。
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◯祭壇です。お花がキレイですね!
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この後、貧者救済のために生涯を捧げたカトリック教会の尊者(そんじゃ)北原怜子さんとゼノ修道士を偲ぶため、お二人のゆかりの地である台東区の言問橋袂にある「蟻の街(ありのまち)」を訪問し、移動してゼノ修道士のお墓参りのため府中市のカトリック府中墓地に行き、北原怜子さんのお墓参りのため多磨霊園に行きます。ゼノ修道士は、明後日の24日(月)が御命日です。
◯北原怜子さんの詳しいことは、このブログの2022年4月23日に掲載した「蟻の街のお話し・第一話 尊者エリザベト・マリア北原怜子のことば(第1日目)」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-23
◯ゼノ修道士の詳しいことは、このブログの2017年2月17日に掲載した「ゼノ神父のことば」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-02-17
ミサでは、朗読奉仕を担当しました。
そして、ミサの前後に私的なお祈りを捧げました。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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新約聖書:ルカによる福音書・第14章・第15〜第24節 [聖書]

「イエスと食事をともにしていた一人が、これを聞いてイエスに、「神の国で食事をする人は幸いです。」と言った。
そこでイエスはその人に仰せになった。「ある人が盛大な宴会を催そうとし、大勢の人を招いておいた。宴会の時刻になったので、招いておいた人々のもとに僕を遣わして、『用意が調いましたから、おいでください』と言わせた。すると、彼らはみな口実をもうけて、次々と断った。
最初の人は言った。『畑を買いましたので、それを見に出かけなければなりません。どうか失礼させてください』。次の人は言った。『牛を五対飼いましたので、それを試しに行きます。どうか失礼させてください』。もう一人は言った。『妻を迎えたばかりですので、行くことができません』。
そこで、僕は戻ってきて、これらのことを主人に告げた。すると、家の主人は怒って、僕に言った。『急いで、町の大通りや路地へ出て行って、貧しい人、体の不自由な人、目の見えない人、足の不自由な人を、ここに連れてきなさい』。僕が、『ご主人さま、ご命令どおりにしましたが、まだ席があります』と言うと、主人は僕に言った。『街道や通りに出ていき、無理にでも人々を連れてきて、家をいっぱいにしなさい。あなた方に言っておく。招かれた者で、わたしの宴会を楽しむ者は一人もいないであろう』」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

まず、この聖句(イエス・キリストの言葉)の説明をしましょう。
①「盛大な宴会」とは、神の国(=天国)で永遠の命にあずかることです。
②盛大な宴会が行われる「家」とは、神の国(=天国)のことです。
③家の「主人」とは、神様のことです。
④「僕」とは、過去からイスラエルに遣わされた預言者たちのことです。
⑤「招かれた宴会を断った人」とは、イスラエルの民(=ユダヤ人)で、いずれも裕福で特権階級的なファリサイ派や律法学者のような人たちのことです。
⑥「体の不自由な人たち」とは、イスラエルの民(=ユダヤ人)でも貧しく虐げられている人たちのことです。
⑦「街道や通りに出ていき、無理にでも人々を連れてきた人たち」とは、ユダヤ人ではない異邦人(外国人)のことです。

では、このお話しの説明をしましょう。まず、この聖句には「盛大な宴会」という題がついています。場面の設定は、この聖句の前段の部分に「イエスは食事のためにファリサイ派のある議員の家にお入りになった。」とありますから、「神の国で食事をする人は幸いです。」とイエス・キリストに言ったのはファリサイ派や律法学者の人ということになります。ファリサイ派についての詳細説明は次をご参照ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2019-11-04
そして、このたとえ話しは、旧約聖書の時代から、神様はたびたびイスラエルの民(=ユダヤ人)が罪深くなっているのを憐れみ、悔い改めるように何度も預言者を使わして人々を救おうとしてきましたが、悔い改めることなく、そのたびに預言者を迫害したり殺したりし、神様の憐れみ(救い)を拒否してきたのでした。

この神様の憐れみを拒否しているイスラエルの民であるユダヤ人たちとは、「招かれた宴会を断った人」である裕福で特権階級的なファリサイ派のような人たちのことですね。この人たちは、神様から愛され救われると、まったく致命的な間違いをしているのです。ですから神様は、悔い改めない(=神様の憐れみや救いを拒否している)ファリサイ派のような人たちではなく、イスラエルの民(=ユダヤ人)でも「体の不自由な人たち」とたとえられる貧しく虐げられている人たちや異邦人(外国人)にまでも憐れみの目を向けて救いの手を差し伸べようとしているのです。

聖句の最後にある「あなた方に言っておく。招かれた者で、わたしの宴会を楽しむ者は一人もいないであろう」とは、イスラエルの民(=ユダヤ人)で、いずれも裕福な特権階級的なファリサイ派や律法学者のような人たちに向けた言葉です。そして、イエス・キリストは、彼らが神の招きを受けるかどうかをすべてご存知であり、なにもかも見通しておられるのです。ですから、このたとえ話しの結びとして、救いようのない人たちであると厳しくおっしゃっているのですね。
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『アレルヤの祈り』のお話し [祈り]

普段はミサの前に「お告げの祈り」を唱えるのですが、復活徹夜祭から聖霊降臨祭の晩までは、「お告げの祈り」の代わりに「アレルヤの祈り」を唱えます。
◯「お告げの祈りとアレルヤの祈りとは?」
(カトリック中央協議会ホームページから※一部加筆)
「お告げの祈り」は、大天使ガブリエルがマリアに救い主の母となることを告げた(受胎告知)ことを記念して唱える祈りです。一日に3回、朝6時、正午、夕方の6時に唱えます。Angelus Domini nuntiavit Mariae (主の天使がマリアに告げた)というラテン語の冒頭のことば「天使」に基づいて「アンジェラスの祈り」とも呼ばれています。またこのときに鳴らされる鐘を「お告げの鐘(アンジェラスの鐘)」と呼んでいます。この習慣は、13世紀から14世紀頃に始ったといわれています。
「アレルヤの祈り」は、復活節中(復活の主日から聖霊降臨の主日まで)は、お告げの祈りの代わりに、この「Regina caeli laetare alleluja(天の元后、喜びたまえ、アレルヤ)」を唱えます。バチカンでは教皇が正午に、教皇公邸書斎の窓から、サンピエトロ広場に集まった信者とともに「お告げの祈り」または「アレルヤの祈り」を唱えています。

<口語祈祷文>
先唱:神の母聖マリア、お喜びください。アレルヤ。
会衆:あなたに宿られた方は。アレルヤ。
先唱:おことばどおりに復活されました。アレルヤ。
会衆:わたしたちのためにお祈りください。アレルヤ。
先唱:聖マリア、お喜びください。アレルヤ。
会衆:主はまことに復活されました。アレルヤ。
・祈願 先唱:祈りましょう。
先唱:神よ、あなたは御子キリストの復活によって、
   世界に喜びをお与えになりました。
   キリストの母、聖マリアにならい、
   わたしたちも永遠のいのちの喜びを得ることができますように。
   わたしたちの主イエス・キリストによって。
会衆:アーメン。

<文語祈祷文>
先唱:天の元后(げんこう)、喜び給え。アレルヤ。
会衆:御身(おんみ)に宿り給いし者は。アレルヤ。
先唱:宣(のたま)えるよう(ごと)くよみがえり給えり。アレルヤ。
会衆:われらのために天主に祈りえ。アレルヤ。
先唱:童貞 マリア 喜び給え。アレルヤ。
会衆:主まことよみがえり給いたらなり。アレルヤ。
・祈願 先唱:祈りましょう。
先唱:喜ばしめ給いし天主、願わくはその御母(おんはは)童貞マリアによりて、終わりなき命の喜び   
   を告げられたら得しめ給え。
会衆:ア-メン



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教会日記2023.4.21(カトリック成城・聖タデオ教会「復活節第二金曜日のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「復活節第二金曜日のミサ」に与りました。昨夜は、仕事が終わってから「山谷夜回りの会」でホームレス支援活動をして、午前様近くの夜中に帰宅しましたから、4時間弱ほどしか寝ていません。眠いですね~(( _ _ ))..zzzZZ でも、今日も清々しい朝を迎えています!

明日は、カトリック松原教会での早朝7時からの復活節第二土曜日のミサに与り、終わってから「蟻の街」の跡地の隅田公園に行きます。尊者北原怜子さんとゼノ修道士を偲んできます。その後、ゼノ修道士のお墓参りでカトリック府中墓地へ行き、尊者北原怜子さんのお墓参りで多摩霊園に行きます。お墓参りは昨年は雨天でしたが、天気予報では明日は快晴のようですね(^◇^)

ミサでは先唱奉仕を担当し、ミサの前後に私的なお祈りを捧げました。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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「チェンストホヴァの聖母(ヤスナ・グラの聖母)」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

「チェンストホヴァの聖母」は、ポーランドのクラクフ近郊の聖地チェンストホヴァのヤスナ・グラ修道院にあります。イエス・キリストを抱いたマリア像のイコン画です。修道院の火災(放火)時の煤で、聖母マリア様の顔が黒くなったと言われていますが、イコン画の特徴で、経年で黒くなったとも言われています。お顔が黒くなっていることから「黒い聖母」の名もあり、一般的には「黒い聖母」の名で呼ばれているそうです。
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聖母様のお顔に大きな傷が2本あります。この傷跡はモンゴル人がこの黒い聖母様を盗もうとした時、イコンが突然重くなり、盗めなかった腹いせに切りつけた際の傷跡という逸話があるそうです。また、頬に付いた傷跡から本物の血が流れたという言い伝えもあるそうです。
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このイコンは、1382年にヤスナ・グラ修道院を建てたオポーレ公ヴワディスワフによってエルサレムからチェンストホヴァに持ち込まれ、ヤスナ・グラ修道院に安置されました。1655年、スウェーデン軍がポーランドを侵略した時、ワルシャワやクラクフまで占領されましたが、ヤスナ・グラ修道院だけはスウェーデン軍の攻勢に屈せず、「黒い聖母」がもたらした奇跡だと語り継がれているそうです。フス戦争後期にフス派に傷付けられたことから、以降ポーランドにおける愛国心の象徴とされ、カトリック教派の拡大、ロシアからの独立運動、共産主義国家時代の民主化運動などに影響を与えています。
チェンストホヴァの聖母の祝日は8月26日で、「聖母の被昇天」の祝日の8月15日には、ポーランド全土から徒歩で、また世界各地からも信者が訪れるそうです。ポーランドは大多数がカトリック教会の信徒であり、このイコンもカトリック教会で有名ですが、同じイコンはポーランド正教会(チェンストホヴァの神の母イコン聖堂)でも崇敬されています。

【イコン】
「イコン」については、このブログの2016年6月30日に掲載した「イコンのお話し」をご参照ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2016-06-30
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支援活動日記2023.4.20(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]

今日は、仕事が終わって19時30分からホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加しました。前回4月6日(木)は、「聖木曜日・主の過越しの晩餐の夕べのミサ」と重なったため、ミサに与って支援活動を欠席しました。昨年も同様に重なったのですが、その時は支援活動に参加してミサを欠席しました。

毎回毎回このブログに書いていることですが、私は一人の人間としてもキリスト者(クリスチャン)としても、人道のための支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮し、路上生活を余儀なくされている人、家族に見放され精神時に不調をきたし、路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があります。国や自治体など行政では、手が回らないところを私たちが支援するということですね。地道な誰かがやらねばならない活動です。

ところで、私たちキリスト教の信徒は、前述したような生活に困窮している人のことをイエス様だと思って支援しています。これは聖書にあるイエス・キリストの教えです。新約聖書の『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に書かれています。このブログの2022年11月11日に掲載した「聖マルティヌス司教のお話し」を是非ともお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-11-11
◯活動地域内にある修道会「神の愛の宣教者会」の 修道院(山谷の家)です。マザーテレサが創設した修道会で、世界各地にあり貧困者など弱者救済のために活動しています。修道士さんたちは、日中に隅田川沿いでおにぎりなどを配っています。(この写真は3月16日の活動時の撮影)
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◯聖母マリア様のご像です。ご像の前は駐車スペースなのですが、時折りホームレスの方が毛布をかぶって寝ていることがあります。聖母マリア様に「ホームレスの皆さんに必要な物が与えられますように。健康でありますように。」とお祈りしました。(本日の撮影)
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今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある「いろは商店街」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め35人ほどのホームレスの皆さんが私たちを待っていました。10年ほど前は、実測250mほどのアーケード(屋根がある)商店街で、そのころでもすでに8割方はシャッターを下ろして営業をしていない「シャッター商店街」になっていました。ですから、屋根があって雨をしのげましたから、シャッターの前に段ボールを囲って寝ていました。そのころは約120人ほどのホームレスの方が寝泊りしていましたね。今では40人~50人となりました。

今日は、支援活動に集まった15人で、ホームレスの皆さんにおにぎり、マスク、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、シャツ、ズボン、寝袋、葛根湯などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。おにぎりを配る時は、毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。数年前までは、私が以前所属していたカトリック町田教会も、かつては「山谷の会」があり、おにぎりを作って隅田川沿いで配布していました。会が解散して残念です。
◯テントがある方は雨露をしのぐことができますからいいのですが、毛布だけの方は雨が降ると大変なことになります( ̄◇ ̄;) 特に真冬は毛布を何枚重ねても寒いです!(本日の撮影)
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支援活動に集まっている方の年齢構成は、70歳代の方から私のような仕事帰りの60歳代の社会人や主婦は少数派ですが、中心になっているの大学生や若い20歳代~30歳代の社会人です。たまに高校生も参加しています。若い人たちは使命感を持って支援活動に取り組んでいる立派な人ばかりです。暖かくなって新緑が目に鮮やかに映る季節がやってきました。でも、まだまだ明け方は寒いですね。ホームレスの皆さんは路上で寝る方も多く、寒さだけでなく、雨が降ったりして衛生的にも極めて悪い環境にあります。とにかく健康には気をつけてもらいたいです。
活動が終了してから反省会を行い、21時過ぎに解散しました。今はすでに帰りの電車の中です。
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