「蟻の街」のお話し・第三話「カトリック潮見教会訪問」 [日記]

今日は、仕事を午後からお休みをいただき、皮膚科病院&整体院へ行ってから、元「蟻の街」があった隅田公園を訪れました。帰りに、これも予定していなかったのですが、「蟻の街」が1960年に隅田公園から潮見の地に移転し、その地に1966年に献堂されたカトリック潮見教会を初めて訪れました。潮見は、カトリック中央協議会の本部があるところだとは知っていましたが、潮見教会は知りませんでした( ̄▽ ̄;) 東京駅構内を歩きに歩いてJR京葉線に乗り、JR潮見駅を下車して3分ほどのところにあります。潮見教会は「蟻の街のマリア」を献堂名にいただいています。

カトリック潮見教会です。裏に見えるのは、日本カトリック会館(カトリック中央協議会)の建物です。
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敷地内には、このブログに今朝掲載した「蟻の街のお話し・第一話 尊者エリザベト・マリア北原怜子のことば」の北原怜子さんのご像と記念碑がありました。「蟻の街のマリア」と名づけられた聖堂の入口を見守るようにたたずんでいます。ご像の下には、「われは主のつかいめなり、仰せの如くわれになれかし エリザベト怜子」と書かれています。これは『お告げの祈り』にある受胎告知の時に聖母マリア様が大天使聖ガブリエルに答えた言葉(新約聖書:ルカによる福音書・第1章・第38節)です。この言葉どおりに生涯を捧げた北原怜子さんに相応しい言葉ですね。
◯北原怜子さんの詳細は、今朝このブログに掲載した「蟻の街のお話し・第一話 尊者エリザベト・マリア
北原怜子のことば」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-04-23
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教会に入ってロビー正面左に<蟻の街の教会(1951年5月13日完成)>の十字架がありました。もう70年は経っています。当時廃材を利用して作った十字架かもしれませんが、この十字架は、「蟻の街」の貧しい人々や子どもたちに大きな希望とお恵みを与えたのです。私には尊い、ありがたい十字架に見えました。ちなみに、「蟻の街」は、隅田公園言問橋付近にありましたが、1960年にこの潮見教会のある場所に移転しました。
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同じロビーに、隅田公園にあった「蟻の街」時代の様子から、潮見教会献堂当時までを年表にし、貴重な写真と共に展示しています。
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【蟻の街】
戦後直後、復員軍人(ということですが未確認)の小澤求氏が、仕事のない人々を日雇いで雇いあげ、ガラスくず、鉄・銅くず、縄くず、紙くず等を拾い集め、回収させて再生工場へ送る仕事を行うため、廃品の仕切り場とするために隅田公園辺りの製材工場跡と約600坪の土地を借り受けました。このような労働者たちを当時「バタヤ」と呼びました。このバタヤが収集して来た物品の買い取り価格が低いため、バタヤの生活は貧しく苦しかったのですが、自前の仕切り場を開設し、バタヤたちに適切な報酬を支払うことを目指しました。小澤氏の仕切り場での報酬は出来高払いで、仕切り場の労働者とその家族たちを居住させ、仕切り場はいわば生活共同体となりました。人々はアリのように勤勉に働き、助け合って生活したことから、この共同体の名称が「蟻の会」となり、住んでいる場所を「蟻の街」と呼ぶようになりました。
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