「蟻の街」のお話し・第一話「尊者エリザベト・マリア北原怜子」のことば(第1日目) [聖人・福者・尊者]

「今、あなたは微笑んでいますか。」

北原怜子(きたはら さとこ:東京都・1929年~1958年)は、カトリック教会のクリスチャンで、洗礼名は「エリザベト・マリア」です。キリスト教の教えにし従って献身的な奉仕活動を展開した社会奉仕家です。「蟻の街のマリア(ありのまちのまりあ)」と呼ばれました。映画にもなっていますね。現在の東京都杉並区で生まれ、桜蔭高等女学校(現桜蔭中学校・高等学校)から昭和女子薬学専門学校(旧制)に進学し卒業、経済学博士の北原金司の三女です。平成27年1月23日、教皇フランシスコは、列聖省長官アンジェロ・アマート枢機卿との会談で、聖人・福者等に関する文書を承認しました。その中で、「蟻の街のマリア」と呼ばれた、“神のしもべ”北原怜子さんの英雄的徳が認定され、北原怜子さんは「尊者(そんじゃ)」と認められました
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“ゼノ神父”ことゼノ・ゼブロフスキー修道士と知り合い、隅田川の言問橋(ことといばし)周辺、現在の隅田公園の界隈(台東区側)にあった通称「蟻の街」を知り、当初は、通いながら奉仕活動をしていました。やがて“貧者を慰問することは偽善者のごとき大きな罪である”と悟り、自らが汗を流して貧困者と共に労働をして生活し、助け合うことが重要であると考えて一緒に居住するようになりました。彼女の行動によって、「蟻の街」の子どもたちの教育環境や貧困者の生活は整えられていったそうです。

【蟻の街】
戦後直後、復員軍人(ということですが未確認)の小澤求氏が、仕事のない人々を日雇いで雇いあげ、ガラスくず、鉄・銅くず、縄くず、紙くず等を拾い集め、回収させて再生工場へ送る仕事を行うため、廃品の仕切り場とするために隅田公園辺りの製材工場跡と約600坪の土地を借り受けました。このような労働者たちを当時「バタヤ」と呼びました。このバタヤが収集して来た物品の買い取り価格が低いため、バタヤの生活は貧しく苦しかったのですが、自前の仕切り場を開設し、バタヤたちに適切な報酬を支払うことを目指しました。小澤氏の仕切り場での報酬は出来高払いで、仕切り場の労働者とその家族たちを居住させ、仕切り場はいわば生活共同体となりました。人々はアリのように勤勉に働き、助け合って生活したことから、この共同体の名称が「蟻の会」となり、住んでいる場所を「蟻の街」と呼ぶようになりました。

彼女の行動は世界に発信され、賞賛の声が多く届きましたが、「宝ばかりでなく、名誉や地位もまた悪魔的な誘惑だ」として、その名声に一切甘んじることはなかったそうです。諸々の奉仕活動で健康を害してしまい、療養のため一旦は「蟻の街」を離れますが、やがて死期を悟ると「蟻の街」に再び移住し、1958年1月23日に腎臓病(結核も患っていました)で亡くなりました。28歳の若さでした。ちなみに、私はこの年の7月6日に生まれました。この「蟻の街」とは、前述した廃品回収業者の居住地の名称です。

この言葉は、貧困で死に瀕する病人、餓死寸前の人々やその家族の子ども達に明るい笑顔をもって励ましていたことが伺えますが、その真意は、献身的な世話をして疲れ果てた彼女が、“自分自身に言い聞かせた言葉”だそうです。大学教授で経済学者である父を持ち、裕福な家庭に育って一流の学校教育を受け、その環境にいれば何不自由なく生活し、やがては良家に嫁いで子どもと幸せな家庭を………となったことでしょう。しかし、彼女はそれまでの生活の全てを捨て、イエス・キリストの教えに従ったのでした。

自らを貧困の中に置いて、一身を投げ出して貧困者救済のために生涯を捧げたのです。彼女にとっては、主であるイエス・キリストの御心(みこころ)にしたがうことが幸せなことだったのでしょう。これはもう日本のマザー・テレサです。私も自分に「今あなたは微笑んでいますか」と自問する必要がありますね。私には自戒とする言葉です。“ゼノ神父”ことゼノ・ゼブロフスキー修道士の詳しいことは、このブログの2017年2月17日に掲載した「ゼノ神父のことば」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2017-02-17

◯「尊者エリザベト・マリア北原怜子の取り次ぎを求める祈り」 を掲載いたします。
「主よ、あなたは尊者エリザベト・マリア北原怜子に多くの恵みをお与えになりました。
とりわけ東京で戦争の犠牲になり、顧みられなかった貧しい人々に喜びをもって自らを与え、
輝く証しのうちに信仰生活をおくる力を与えてくださいました。
また、汚れなきみ母マリアのご保護のもとに小さな人々の育成と援助に
愛をもって生涯をささげる恵みをもお与えくださいました。
わたしたちは彼女をとおして示されたあなたの業に心から感謝いたします。
主よ、エリザベト・マリア北原怜子の取り次ぎによって、
あなたに真心をもって祈るわたしたちに、
言葉と行いの一致のうちに信仰を証ししてゆく力を与え、
あなたを求めるすべての人に信仰の光を与えてください。
また、信頼をもって祈るわたしたちの願いを聞き入れてください。
わたしたちの主イエズス・キリストによって。アーメン。」
(続いて「主の祈り」、「アヴェ・マリアの祈り」と「栄唱」を1回ずつ唱える)

ところで、昨年末2021年12月27日、仕事納めの帰りに、浅草近くの隅田川に架かる言問橋(ことといばし)に、ホームレス支援の関係であるホームレスの方を捜しに行ったのですが、橋の両岸の隅田公園辺りを歩き回りました。その時は気が付かなかったのですが、その辺りは、戦後まもなく「蟻の街(ありのまち)」と呼ばれた廃品回収業者の居住地でした。蟻の街は知っていたのに、なぜ気がなかったのか悔やまれます。知らないで歩き回るよりも、知っていて北原怜子さんの想いに馳せながら歩き回るのとは大違いです!
このブログの2021年12月27日に掲載した「支援活動日記2021.12.27(ホームレス支援・言問橋)」をご覧ください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2021-12-27-8
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