今日の日記2023.4.30(抗原検査:陰性) [日記]

土曜日のお昼頃からから発熱し、最高37度4分出ています。新型コロナの疑いも考えられるため、抗原検査を昨日と今日の2回しましたが結果は陰性でした。よかったです(⌒-⌒; ) ただ、微熱がなかなか下がらないため、身体がダルいですね。しかし、食欲は旺盛です!
D969C9A1-41F2-4D00-BCCB-E62303A3A0CF.jpeg

nice!(0)  コメント(0) 

「世界召命祈願の日」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日は、復活節第四主日です。1964年、時の教皇パウロ6世は、復活節第四主日を「世界召命祈願の日」と定められました。
「召命(しょうめい)」という言葉を聞くと、まず司祭(神父様)や修道士のことが浮かびますね。しかし、神様は、私達信徒を含めて一人ひとりを固有の召命に招いておられます。ですから、一人ひとりは自分に対する神の招きを識別していく必要があります。一人ひとりにその道があるのです。ある人は与えられた仕事をとおして、ある人は社会活動をとおして、ある人は家庭生活の中で、またある人は定められた特別な使命の道などで。
ですから、すべての人が神様から招かれているという根本的なことを忘れないようにしたいものですね。そのためにも、一人ひとりの心に語りかける神様の声に耳を傾け、その声に従う勇気を祈り求めることが大切になってくると思います。とにかく祈りです。祈りをとおして神様の声を聴くのです。

◯2023年「第60回世界召命祈願の日」教皇メッセージ(2023年4月30日)をお読みください。
テーマ『召命――それは恵みであり使命』
カトリック中央協議会ホームページから
https://www.cbcj.catholic.jp/2023/04/28/27017/
☆ここ5年間のテーマです。
2022年:「人類家族を築くよう呼ばれている」
2021年:「聖ヨセフ──召命の夢」
2020年:「召命についての語」
2019年:「神との約束のために危険を顧みない勇気」
2018年:「主の呼びかけを聞き、識別し、生きる」
nice!(0)  コメント(0) 

2023年4月の訪問教会・支援活動記録 [訪問教会・支援活動記録]

先月中旬から、ミサにおけるマスクの着用が自由になっており、聖歌隊もマスクの着用は自由です。しかし、今一つマスクを外す勇気がないというか、皆さん周りのお顔を伺っているという感じですね。早く、ミサの聖歌は聖歌隊はもちろんのこと、会衆全員で歌いたものです。今月は30日間ある中の29日間(96.6%)を6つの教会・修道院に30回訪問し、30回ミサに与って30回ご聖体を拝領させていただきました。なお、ホームレス支援活動は1回参加しました。

ところで、今年に入って1月30日から昨日4月29日まで、90日間連続してミサに与っていたのですが、体調不良により今日のミサをお休みしました。連続記録が途切れてしまいました(T . T) なにも連続してミサに与ることが目的ではありませんが、主イエス・キリストのご聖体を連続して拝領できなくなり、残念の極みであります。7月で65歳を迎えます。昨日の胸部の激痛のこともあり、無理の効かない体になりました。今日は、ベッドの上で大人しくしています(⌒-⌒; )

1日(土)町田教会:受難の主日・枝の主日のミサ・18時30分から(林神父・小田神父信徒代表挨拶)
2日(日)神奈川県相模原市・相模原教会:受難の主日・枝の主日のミサ・9時30分から
3日(月)成城教会:受難の月曜日のミサ・7から
4日(火)成城教会②:受難の火曜日のミサ・7時から
5日(水)成城教会③:受難の水曜日のミサ・7時から
6日(木)神奈川県相模原市・相模原教会②:主の過越しの聖なる3日間・聖木曜日・主の晩餐
のミサ・19時から
7日(金)成城教会④:聖金曜日・主の受難のミサ・19時から(聖歌奉仕・18時から聖歌練習)
8日(土)町田教会②:復活の主日・復活の聖なる徹夜祭のミサ・19時から(成城教会で16時
から9日の聖歌練習)
9日(日)成城教会⑤:復活第一主日・日中のミサ・10時から(聖歌奉仕・8時から聖歌個人
練習、9時から聖歌隊練習、11時~12時30分聖歌隊全体練習(欠席))(1月30日から連続70日)
10日(月)成城教会⑥:復活の月曜日のミサ・7時から
11日(火)成城教会⑦:復活の火曜日のミサ・7時から
12日(水)成城教会⑧:復活の水曜日のミサ・7時から(朗読奉仕代行)
13日(木)成城教会⑨:復活の木曜日のミサ・7時から
14日(金)成城教会⑩:復活の金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
15日(土)神奈川県相模原市・相模原教会③:復活の土曜日のミサ・7時から
16日(日)神奈川県相模原市・相模原教会④:神のいつくしみの主日のミサ(復活節第二主日のミサ)・7時から(朗読奉仕)
17日(月)成城教会⑪:復活節第二月曜日のミサ・7時から(朗読奉仕)
18日(火)成城教会⑫:復活節第二火曜日のミサ・7時から
19日(水)成城教会⑬:復活節第二水曜日のミサ・7時から(1月30日から連続80日)
20日(木)成城教会⑭:復活節第二木曜日のミサ・7時から
  〃  支援活動:山谷夜回りの会・19時30分から
21日(金)成城教会⑮・復活節第二金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
22日(土)松原教会:復活節第二土曜日のミサ・7時から(朗読奉仕)
  〃  「蟻の街」跡地訪問(隅田公園)9時30分から
  〃  麹町・聖イグナチオ教会:復活節第二土曜日のミサ・正午12時から
  〃  ゼノ修道士お墓参り(カトリック府中墓地)14時から
  〃  北原怜子さんお墓参り(多磨霊園)15時30分から
23日(日)八王子教会:復活節第三主日のミサ・7時から
24日(月)成城教会⑯:復活節第三月曜日のミサ・7時から
25日(火)成城教会⑰:聖マルコ福音記者の祝日のミサ(復活節第三火曜日のミサ)・7時から(朗読奉仕代行)
26日(水)成城教会⑱:復活節第三水曜日のミサ・7時から
27日(木)成城教会⑲:復活節第三木曜日のミサ・7時から
28日(金)成城教会⑳:復活節第三金曜日のミサ・7時から(先唱奉仕)
29日(土)神奈川県相模原市・相模原教会⑤:シエナの聖カタリナおとめ教会博士の記念日のミサ(復活節第三土曜日のミサ)・7時から(1月30日から連続90日)
30日(日)………
以上です。
nice!(0)  コメント(0) 

新約聖書:ローマの人々への手紙・第13章・第13〜第14節 [聖書]

「酒盛りで大騒ぎをしたり、酔いつぶれたり、みだらな行いに耽ったり、身を持ち崩したり、争ったり、妬んだりすることなく、日中を歩くように、慎み深く生活しましょう。主イエス・キリストを身にまといなさい。欲望をかなえさせようと、肉のために心を煩わせてはなりません。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖句(聖書の言葉)は、死後に聖人に列せられ、「教父(きょうふ)」と「教会博士」という称号を贈られた聖アウグスティヌスが洗礼を受ける要因となった聖書の部分です。洗礼を受ける前年の386年、ミラノの自宅で横たわって休んでいる時、隣家の庭で子ども達の遊ぶ声の中から「Tolle, lege(とって読め)」という声を聞き、近くにあった聖書を取ると、この部分が書かれているページが開かれており、そこを読んで回心したそうです。聖アウグスティヌスは、若いころ放蕩の限りを尽くし、ある女性と同棲して乱れた生活を送っていました。私は、恐れ多くも「アウグスティヌス」を洗礼名にしてしまいました!( ̄▽ ̄;)

欲望のままに生きることなく、人への邪な思いや余計な思いを捨て、主であるイエス・キリストの教えにしたがって生きなさいと説いています。ここに「肉」とありますが、これは「身体(からだ)」のことを指していますが、つまり、“肉欲(にくよく)=性欲”のことを意味しています。性的欲望・異性への邪な情欲などに負けてはならないのです。これは信仰においてとても大切なことなのです。
私のような凡人にとっては、「欲の誘惑」は生きている証(あかし)であり課題ですね。欲が過ぎれば心が乱れ、言動や行動が乱れ、生活が乱れ、やがて人間がダメになってしまいます。仏教では「煩悩(ぼんのう)」の一つです。欲の誘惑=煩悩ですね。この煩悩を断ち切ることが、主であるイエス・キリストを身にまとうこと = イエス・キリストの教え・行いと一致することになるのですね。

話しは変わりますが、戦国時代、織田信長と徳川家康の連合軍は、「長篠の戦い」において、当時最強といわれた武田勝頼の騎馬軍団を破ります。その後、織田信長の軍勢は武田家の居城のある甲斐の国(現在の山梨県)に攻め入り、武田家を滅ぼしてしまうのですが、その際に武田家の菩提寺である恵林寺(臨済宗妙心寺派)に火を放ちました。燃え盛る恵林寺の楼上で快川紹喜(かいせん しょうき)和尚は、若い修行僧に次の句をもって励まし焼死しました。私は、居合道の修行に励んでいた時に学びました。

原文
「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」
書き下し文(読み下し文)
「安禅必ずしも山水を須いず。心頭を滅却すれば、火も自ら涼し」
(あんぜん かならずしも さんすいをもちいず。しんとうを めっきゃくすれば、ひもおのずからすずし)」

この句は、中国の6世紀の後梁(こうりょう)の時代の詩人に、杜筍鶴(と じゅんかく)という人がいますが、その詩の「夏日、悟空上人の院に題す」というのが元の句です。
「三伏門を閉ざして、一納を披す。
兼ねて松竹の房廊を蔭う無し。
安禅必ずしも山水を須いず、
心頭を滅却すれば、火も自ら涼し。」
<意訳>
夏の暑いまっさかりに、悟空上人という方は相変わらず一枚の破れ衣をキチンと身に着けて坐禅をしておられます。しかも炎熱を避ける一株の松も一本の竹もない、まったくの炎天下と同様です。この方を見ていると、坐禅をするのに静かな山中か水辺に居を求める必要はなさそうです。上人のように心頭を滅却し寒熱を超越された方は、暑さに心を煩わされることもなく、炎熱もまた楽しといった様子です。

この後半部分を快川紹喜和尚は用いたのです。
「心頭」とは、物事にこだわる分別執着の頭での考え、心での思いのことで、すなわち煩悩のことです。「滅却」とは、その心に煩わされたり、乱されたりすることを断ち切ることです。すなわち、分別執着心を断ち切って無心に徹すれば、雑音も熱さも無関係です。自分を焼き尽くす猛火の熱さ、恐ろしさに、振りまわされない自分をしっかりと確立しさえすれば、「火も自ずから涼し」ということになるのです。火は熱いものです。熱さに変わりありません。しかし、熱さをそのままに熱さとして受け取る静かな澄みきった境地を、「涼し」と表現しているのです。ものすごい極地、境地に達する言葉ですが、まさにこの境地を目指さないと煩悩は消えないですね。欲望の誘惑は、私の生涯の自戒とするところです。

【肉欲】
異性の肉体を求める性的欲望。性欲。情欲。「―におぼれる」
【煩悩】
仏教で、心身を悩まし、乱し、煩わせ、惑わし、汚す心の作用のこと。人間の苦の原因とされる。煩悩の根源は貪(とん)・瞋(しん)・痴の三惑で、それに慢・疑・悪見の三つを加えて根本煩悩ともいう。
nice!(0)  コメント(0)