教会日記2023.4.3(カトリック成城・聖タデオ教会「受難の月曜日のミサ」月曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「受難の月曜日のミサ」に与りました。一昨日夜の「受難の主日(枝の主日)」から聖週間に入りました。6日(木)からは「聖なる3日間」となり8日(土)夜は「復活の聖なる徹夜祭」、9日(日)は「復活の主日」を迎えます。主(イエス・キリスト)の復活まで、いよいよですね!今日も清々しい朝を迎えています。
◯聖堂横にある楓の若葉が、とっても鮮やかですね!
ミサの前後に私的なお祈りです。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、
そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
◯聖堂横にある楓の若葉が、とっても鮮やかですね!
ミサの前後に私的なお祈りです。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、
そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
プルーストのことば [キリスト者(クリスチャン)]
「幸福を与えてくれる人に感謝しよう。そうした人々は魅力的な庭師で、そのおかげでわれわれの魂に花が咲くのである。」
ヴァランタン=ルイ=ジョルジュ=ウジェーヌ=マルセル・プルースト(フランス:1871年~1922年)は、カトリック教会のクリスチャンで、20世紀のヨーロッパを代表する作家の一人です。しかし長い名前ですね~。パリにおいて医学者の息子として生まれ、母はユダヤ人です。パリ大学で法律と哲学を学んだ後は、ほとんど職に就かず華やかな社交生活を送り、30代から死の直前まで大作『失われた時を求めて』を書き続けました。もちろん他にも著作はあります。また、同性愛者であったと伝えられています。
この言葉の場合、私は常にまわりの人達に感謝しなければならないくらい幸せを与えてもらっていますが、この<魂に花が咲く>という表現が、いかにもフランスの作家らしい表現の仕方ですね。私も幸せを与える方の人にならなければと思います。この言葉は、喩をもちいて表現していますが、素敵な花(=幸福)を咲かせるほどの庭師(=影響力のある人)になりたいものです。
ヴァランタン=ルイ=ジョルジュ=ウジェーヌ=マルセル・プルースト(フランス:1871年~1922年)は、カトリック教会のクリスチャンで、20世紀のヨーロッパを代表する作家の一人です。しかし長い名前ですね~。パリにおいて医学者の息子として生まれ、母はユダヤ人です。パリ大学で法律と哲学を学んだ後は、ほとんど職に就かず華やかな社交生活を送り、30代から死の直前まで大作『失われた時を求めて』を書き続けました。もちろん他にも著作はあります。また、同性愛者であったと伝えられています。
この言葉の場合、私は常にまわりの人達に感謝しなければならないくらい幸せを与えてもらっていますが、この<魂に花が咲く>という表現が、いかにもフランスの作家らしい表現の仕方ですね。私も幸せを与える方の人にならなければと思います。この言葉は、喩をもちいて表現していますが、素敵な花(=幸福)を咲かせるほどの庭師(=影響力のある人)になりたいものです。