今日の日記2023.4.15(ラッキョウ!) [日記]

今日は、お美しい素敵なご婦人から大好物の〈ラッキョウ〉をいただきました。漢字で「辣韮」と書きます。学名は「Allium chinense」、ヒガンバナ科・ネギ属の多年草です。別名は「大韮(オオニラ)」又は「サトニラ」といいます。チベットのヒマラヤ地方が原産です。鱗茎を食用とし、独特の匂いと辛味、歯ごたえのある野菜ですね。
3D1C8CFE-58E7-4C70-90F4-3216A08CAE52.jpeg7AB2708B-EB93-43F9-B7C1-7765D9CCDF2C.jpeg
いただいたラッキョウは鳥取県産のものです。鳥取県産のラッキョウは有名で、全国の生産量の約3割を占めて第1位を誇っています。2位は鹿児島県、3位は宮崎県です。ラッキョウ大好き人間の私は、冷蔵庫にないと自分で買ってくるほどです(⌒-⌒; ) 塩漬けもいいのですが、甘酢漬けが一番ですね!

ラッキョウにはいろいろな栄養素があり、美肌効果が期待できるビタミンCも含まれており、抗酸化作用があって皮膚や血管の老化を防ぐ役割もあるため、老化防止にも良いと言えますね。また、カリウムも含んでおり、代謝の改善や食事で摂り過ぎたナトリウムを尿中に排泄する働きがあるため、むくみ対策や高血圧予防に効果が期待でるそうです。
そして、ネギやニンニクと同様に、ビタミンB1の吸収を助けて新陳代謝を活発にして促す働きがある硫化アリルが豊富に含まれています。硫化アリルには、血流を良くして血栓症を予防する働きや、免疫力の向上、肥満解消、生活習慣病の予防効果が期待されています。特有のにおい成分はアリシンで、強力な抗菌作用が知られています。また、水溶性食物繊維が豊富で、ゴボウの3〜4倍ほど含まれているそうです。

nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2023.4.15(カトリック相模原教会「復活の土曜日のミサ」土曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック相模原教会での早朝7時からの「復活の土曜日のミサ」に与りました。相模原教会は、4月6日(木)19時からの「主の過越しの聖なる3日間」の初日「聖木曜日・主の過越しの晩餐(ばんさん)の夕べのミサ」に与って以来、約一週間振りとなりました。1月30日(月)にミサに与って以来、今日で76日連続してミサに与り、ご聖体を拝領したことになります(*^▽^*) ただ、ミサに与る連続記録などはどうでもよいことですが、私にとって重要なことは、連続してご聖体を拝領してイエス・キリストの身体と一致することです。

ちなみに、連続してミサに与った最長記録は、2020年6月20日(土)から同年12月31日(木)の195日連続です。新型コロナウイルス感染症による最初(第一次)の緊急事態宣言が解除になってからですね。でも、解除になって最初にミサに与ったのは、同年6月14日(日)の相模原教会での7時からの主日のミサでした。この時は朗読奉仕を担当しました。この年の2月23日(日)にカトリック成城教会の8時30分からの主日のミサに与って以来、約3ヶ月と3週間ぶりの主日のミサでした。(このブログの2020年6月14日の記事に記録があります。)
◯祭壇前の生花です。とても豪華でキレイですね!
685204BF-7DBE-4D2B-B37F-68BD4D9108B0.jpeg
ミサの前後に私的なお祈りを捧げました。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
nice!(0)  コメント(0) 

『パステルによるシャガールの聖書』のご紹介 [聖書]

◯シャガールの作品『イサクの燔祭(はんさい)』の絵です。
シャガール2.pngシャガール1.png
◯レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レイン(ネーデルラント連邦共和国(現在のオランダ):1606年~1669年)の作品『イサクの犠牲』です。
レンブラント.jpg
今日は、『パステルによるシャガールの聖書(写真上)』のご紹介です。解説はピエール・プロヴォワユール、邦訳は幸福 輝氏です。岩波書店から1986年に出版され(現在は絶版)、全172ページの大型本です。定価は14000円+税です。この聖書は、ある方から受洗(洗礼を授かること)の記念にいただいたものです。
マルク・シャガール(フランス(ロシア生まれ・現在のベラルーシ)1887年~1985年)は20世紀に活躍した画家です。シャガールにとって聖書は最も重要な霊感源であり,彼の芸術を支える詩でもありました。この本(聖書)は、「シャガール聖書美術館」に収蔵されているエスキース97点のパステル画のうち79点をカラー図版で再現し、収録している全作品の目録を付したものです。

見開きで映っている写真(写真中)の絵は、旧約聖書の創世記にある有名な「イサクの燔祭(はんさい)」を画いたものですね。「燔祭(はんさい)」とは、供物が供壇で焼尽されて神に捧げる儀式のことです。旧約聖書の「レビ記」で、モーセが定めた供犠の1つのことです。供物として、雄牛、羊、やぎ、ハトのみが用いられました。その目的は神の崇敬と賛美、神への感謝、祈願、贖罪の4つに大別されています。

◯旧約聖書:創世記・第22章・第1~第18節
「これらのことの後で、神はアブラハムを試された。神が、「アブラハムよ」と呼びかけ、彼が、「はい」と答えると、神は命じられた。「あなたの息子、あなたの愛する独り子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。わたしが命じる山の一つに登り、彼を焼き尽くす献げ物としてささげなさい。」
次の朝早く、アブラハムはろばに鞍を置き、献げ物に用いる薪を割り、二人の若者と息子イサクを連れ、神の命じられた所に向かって行った。三日目になって、アブラハムが目を凝らすと、遠くにその場所が見えたので、アブラハムは若者に言った。「お前たちは、ろばと一緒にここで待っていなさい。わたしと息子はあそこへ行って、礼拝をして、また戻ってくる。」アブラハムは、焼き尽くす献げ物に用いる薪を取って、息子イサクに背負わせ、自分は火と刃物を手に持った。二人は一緒に歩いて行った。イサクは父アブラハムに、「わたしのお父さん」と呼びかけた。彼が、「ここにいる。わたしの子よ」と答えると、イサクは言った。「火と薪はここにありますが、焼き尽くす献げ物にする小羊はどこにいるのですか。」アブラハムは答えた。「わたしの子よ、焼き尽くす献げ物の小羊はきっと神が備えてくださる。」二人は一緒に歩いて行った。
神が命じられた場所に着くと、アブラハムはそこに祭壇を築き、薪を並べ、息子イサクを縛って祭壇の薪の上に載せた。そしてアブラハムは、手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。そのとき、天から主のみ使いが、「アブラハム、アブラハム」と呼びかけた。彼が、「はい」と答えると、み使いは言った。「その子に手を下すな。何もしてはならない。あなたが神を畏れる者であることが、今、分かったからだ。あなたは、自分の独り子である息子すら、わたしにささげることを惜しまなかった。」
アブラハムは目を凝らして見回した。すると、後ろの木の茂みに一匹の雄羊が角をとられていた。アブラハムは行ってその雄羊を捕まえ、息子の代わりに焼き尽くす献げ物としてささげた。アブラハムはその場所をヤーウェ・イルエ(主は備えてくださる)と名付けた。そこで、人々は今日でも「主の山に、備えあり(イエラエ)」と言っている。
主のみ使いは、再び天からアブラハムに呼びかけた。み使いは言った。「わたしは自らにかけて誓う、と主は言われる。あなたがこの事を行い、自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。あなたの子孫は敵の城門を勝ち取る。地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
『新共同訳聖書』から

このイサクの燔祭(はんさい)は、アブラハムの前に立ちはだかった試練の物語です。その試練とは、不妊の妻サラとの間に年老いてからもうけた愛すべき一人息子イサクを生贄に捧げるよう、彼が信じる神によって命じられるというものでした。この試練を「行い」として乗り越えたことにより、アブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラーム(イスラム教)によって現在でも讃えられています。信仰には行いが伴なうのです。シャガールの絵をよく見ると、右上の方に十字架のイエス・キリストも画かれています。これは、イエス・キリストも父なる神によって燔祭(はんさい)とされたからですね。
nice!(0)  コメント(0)