今日の日記その二2023.4.16(焼魚定食!) [日記]

今日は、妻の買物の荷物等運搬係としてお供をし、車で町田市街に出かけました。お昼は、小田急町田駅近くにある「炭火焼干物定食しんぱち食堂 」で焼魚定食を食べました。妻はサバ文化干定食、私はサーモンハラス干し定食を食べました。やはり炭火焼きは美味い!脂が乗って最高に美味い!
◯鮭のハラス定食です。やたら味噌汁のお碗がでかい!(⌒-⌒; ) 生卵はトッピングです。
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【ハラス】
ハラスとは、魚のお腹の部分を指す言葉で、部位を表しています。一般的によく知られている鮭ハラスは、マグロでいうとトロや大トロの部分のことで、脂のりがよく、とろけるような柔らかな食感と、旨味のある味わいが特徴です。脂を多く含んだ鮭ハラスは、一尾の鮭から2本しか取れない希少部位のひとつです。紅鮭、銀鮭、秋鮭、サーモンなど鮭にもいろいろな種類がありますが、それらのどのハラスもまとめて鮭ハラスとされることが多くなっています。
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今日の日記2023.4.16(新緑!2023.4.16) [日記]

今日の14時30分、自宅2階の書斎兼寝室から撮影した風景です。まだまだ葉が若く薄い緑ですが、これから夏に向けて色が濃くなっていきます!右側にある欅の大木も葉が繁りました。この大木の向こう側にあるのはJR横浜線相原駅で、自宅から徒歩3分のところにあります。青い空に白い雲、涼しい風が心地良いです(^◇^)メジロやウグイスなどの野鳥のさえずりに、とっても癒されますね。
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つまり、この辺りは自然豊かな田舎なのです(*^o^*) 私の職場である国士舘大学世田谷キャンパス(世田谷区世田谷四丁目)まで、片道1時間30分もかかりますが、この自然豊かな環境は何物にも代えられません!ちなみに、この反対側は山というか丘というか山林地帯になっており、JR横浜線は相原駅を八王子駅方面に出ると、すぐに唯一の長いトンネルがあります。つまり山ですね!(⌒-⌒; )



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教会日記2023.4.16(カトリック相模原教会「復活第二主日・神のいつくしみの主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック相模原教会での7時からの「復活第二主日・神のいつくしみの主日のミサ」に与りました。 相模原教会は、昨日に引き続き2日連続、今月4回目、今年に入って15回目ですね(*^▽^*) 今まで大変お世話になり、ご親切にしていただき誠にありがとうございました。衷心より感謝申し上げます。さて、天気予報では、今日の日中は25度を超える夏日となるようです。暑い!(⌒-⌒; )
◯祭壇前の生花です。昨日から新しくなりました。とってもキレイですね。
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◯「神のいつくしみの主日」について
教皇ヨハネ・パウロ二世は2000年から、ご復活の主日の次の日曜日(復活節第二主日)を「神のいつくしみの主日」と定め、この主日に神のいつくしみに対する特別の信心を行うよう望まれました。それは信者たちが聖霊の慰めの賜物を豊かに受け、神への愛と隣人への愛を強め、成長させることが出来るためです。この信心によって、信者たちはそれぞれ自分を反省して、罪の赦しを得た後、兄弟姉妹をすぐに赦すよう促されます。(カトリック中央協議会のホームページから)

ミサでは、朗読奉仕で第二朗読を朗読しました。
ミサの前後に私的なお祈りを捧げました。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
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新約聖書:ヨハネによる福音書・第20章・第23節 [聖書]

「誰の罪であれ、あなた方が赦せば、その罪は赦され、
あなた方が赦さないなら、赦されないまま残る。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖句(イエス・キリストの言葉)は、罪の赦しについて、イエス・キリストが使徒(弟子)たちに語ったものです。使徒たちが赦せば、その罪は赦され、使徒たちが赦さなければ、その罪は赦されないという非常に重い務めが語られています。すべては使徒たちの「赦し」の判断にかかっているのです。
しかし、罪びとを赦すという「赦しの権能(けんのう)」は、本来はイエス・キリストだけのものでした。それが、聖書に書かれているように確かに使徒たちに与えられたのです。しかし、実は使徒たち各々個人だけというわけではありません。むしろ洗礼を受けた私たち信徒にも与えられているのです。
そうなると、私たち信徒にもこの重い責務があるということになりますね………ということは、「私たちが赦せば、その罪が赦される。私たちが赦さなければ、その罪は赦されないまま残る。」ということになります。これは私たちに良心があればこそですが、その人に悪意があると大変なことになります。

キリスト教は、「隣人への愛」と「人への赦し」を実践する宗教と言っても過言ではないと思います。新約聖書のマタイによる福音書・第18章・第21~第22節で、イエス・キリストは、信徒たちの「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。(「兄弟」とあるのは、自分に関係する隣人たちのことです。)」と説いています。7の70倍ですから490回赦しなさいということではなく、とことん赦しなさい、際限なく無限に赦しなさいと説いているのですね。

人間にとって罪の問題というのは、とても重要な問題です。罪を犯した人間は、罪からどのようにして解放される(赦される)のか?ということですね。それはとても切実な問題でもあるのです。誰かがその人の犯した罪を赦さなければ、その人は一生罪を背負って生きていかなければなりません。ですから、イエス・キリストは、罪を犯した人に心の底から真実に回心する(悔い改める)機会を与え、回心して洗礼を受ければ罪は赦されると説いているのです。洗礼を受けてキリスト教の信徒(クリスチャン)にならなくても、誰でも自分の過ちにいつか赦してもらいたいと思う時が必ずきます。その時に赦してもらいたいのであれば、自分も人を赦すべきなのです。それが平和な世の中を築く第一歩となるのですね。心に憎しみや恨みがあっては、決して平和な世の中は訪れることはありません。
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