典礼聖歌集第322番「愛といつくしみのあるところ」のお話し [聖歌日記]

私は、カトリック典礼聖歌集第322番の「愛といつくしみのあるところ」が大好きです!メロディーも美しいですが、歌詞がいいですね!この聖歌をパイプオルガンの伴奏で歌うとすごく美しい聖歌であると感動します。ちなみに、キリスト教の教会で歌う歌は、カトリック教会は「聖歌(せいか)」、プロテスタント教会は「賛美歌(さんびか)」といいます。また、聖職者は、カトリック教会は「神父(しんぷ)」、プロテスタント教会は「牧師(ぼくし)」といいます。
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典礼聖歌第322番「愛といつくしみのあるところ」
答唱
「愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる」

1.キリストの愛に結ばれ
共に喜び分かち合い
まごころ込めて神を敬い
愛の奉仕につとめよう
(答唱:愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)

2.分け隔てを取り除き
ねたみと争いを避け
主キリストを囲んで
みな一つに集まろう
(答唱:愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)

3.主キリストの輝くみ顔
聖者と共に仰ぎ見る
まことの喜び限りなく
世々とこしえに到るまで
(答唱:愛といつくしみのあるところ
神はそこにおられる)
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教会日記2023.4.9(カトリック成城・聖タデオ教会「復活の主日・日中のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック成城・聖タデオ教会で、10時からの「復活の主日・日中のミサ」に与ってきました。イエス・キリストが、磔刑(たっけい・十字架の刑)の死から3日目に復活した記念日です。キリスト教会の最大にして最高の祝日となります。復活祭は、それだけ重要な日であるということですね。そして、どこのカトリック教会も通常でしたらイースター・エッグ(彩色したゆで卵)を配るところですが、まだコロナ渦が収まったばかりですから、配らない教会が多いのではないでしょうか。私の所属する成城教会では、ゆで卵の日持ちの問題(食中毒など)もあり、数年前から配っていません。今日は、写真のとおり教会からメッセージカードが配られました!この後、14時からも2回目の「復活の主日・日中のミサ」があります。
◯2種類のメッセージカードです。裏側に「主のご復活おめでとうございます 「いのちあるすべてのものは、神をたたえよ。アレルヤ」」とあります。
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今日のミサの中で、「洗礼式の儀」が行われました。洗礼式のことは、このブログの昨日の記事「教会日記2023.4.8(カトリック町田教会「聖土曜日・復活の主日・聖なる復活の徹夜祭のミサ」土曜日)」に書きましたのでお読みください。ちなみに、昨年は男性洗礼志願者の代父(だいふ)を務めさせていただきました。
◯聖堂2階の聖歌隊席から撮影した洗礼式の様子です。ご家族で洗礼を受けました。
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★ミサでは、聖歌奉仕で世界に誇る成城教会の聖タデオ聖歌隊から6人一組の選抜チームで担当しました!歌った聖歌は次のとおりです。ちなみに、聖歌隊の他の組も選抜チームです!( ̄▽ ̄;) 「復活の続唱」の先唱部分とアレルヤ唱」は私の独唱で、9時から直前練習をしました。一昨日の反省を生かし歌いましたが、アレルヤ唱の歌い出しが遅れてしまいました!あぁ〜本番に弱いな〜ダメだこりゃ!(⌒-⌒; )
入祭の歌:典礼聖歌集・第345番「わたしは復活し」
答唱詩編:典礼聖歌集・第87番「きょうこそ神がつくられた日」
典礼聖歌351番「復活の続唱」(先唱部分を独唱)
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第266番「主の復活」(独唱担当)
奉納の歌:典礼聖歌集・第49番「神の名は」
拝領の歌:典礼聖歌集・第18番「いのちあるすべてのものに」
以上の6曲でした。

ミサの前後に私的なお祈りを捧げました。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。

【イースター・エッグ(英語:Easter egg)】
イースター・エッグ(復活祭の卵)とは、復活祭(イースター)の休日もしくは春を祝うための、特別に飾り付けられた鶏卵のことで、古代キリスト教の時代から新しい命と信仰のシンボルとして食べられていました。復活祭のミサの中で卵の祝福が行われ、ミサ終了後に信徒の皆さんに配られます。
◯カラフルで、とってもかわいいですね(*^▽^*)
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◯これはもう芸術品です!描くのに時間がかかったでしょうね( ̄▽ ̄;)
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◯私が以前所属していたカトリック町田教会の復活祭でのイースターエッグです(2017年)。信徒の皆さんの持ち寄りで、毎年約1,800個ほど集まります。ミサの中で神父様が祝福して、ミサが終わってから信徒の皆さんに配ります。(写真は一部です)
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「七つの大罪」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

<七つの大罪>
高慢:こうまん(傲慢:ごうまん)
貪欲:どんよく(強欲:ごうよく)
嫉妬:しっと(羨望:せんぼう)
憤怒:ふんど(激高:げきこう)
貪食:どんしょく(暴食:ぼうしょく)
色欲:しきよく(肉欲:にくよく)
怠惰:たいだ(堕落:だらく)

「七つの大罪」の記事は、このブログに何回か掲載しましたし、他の記事でも罪について何度か触れています。七つの大罪とは、キリスト教カトリック教会でよく言われるところの“七つの大きな罪”のことですが、この記事を見るとなんか漢字のテストみたいですね(⌒-⌒; )ちなみに類似語も併記しました。七つの大罪は、これ自体も罪ではありますが、もっと大きな罪を誘発させるものであるとも考えられています。
なんと!私は65年ほど生きてきましたが、過去を振り返ると7つすべて経験していますね(; ̄O ̄)なにも自慢しているわけではありませんが、よほど悔い改めて善行を積まないと天国には行けないですね( ;。; )すべて経験してしまってはダメですよね。悔い改めて、神父様に「洗礼(せんれい)」を授けていただくことです。すでに洗礼を受けている方は、「告解(こっかい)して「ゆるしの秘跡(ゆるしのひせき)」を受けることになります。洗礼を受ければ地獄行きはなくなりますが、洗礼後に罪を犯した場合、告解もせず悔い改めない人は、“煉獄(れんごく)”行きにはなるでしょうね( ̄◇ ̄;)。地獄に堕ちなくても火で焼かれるわけですね(; ̄O ̄)

【告解】
「告解」は、信徒が洗礼を受けた後に犯した罪を聴罪司祭に告白し、聴罪司祭を通して神様からの赦しを得るものです。通常「告解」と言っていますが、本来はでは「ゆるしの秘跡」という名称です。日常の小さな罪(悪を言っちゃったとか)はミサ中の「回心の祈り」でいいのですが、大きな罪の場合は「ゆるしの秘跡」が必要となります。まぁ、罪の大きさに関わらず、年一度は「告解」を行うべきですね。
ゆるしの秘跡での告解を「懺悔(ざんげ)」と間違う人がいますが、懺悔はカトリック教会では使われず、カトリック教会での宗教的意味は全くありません。そして、お祈りの中で罪を認めるときは「罪の告白」といいます。カトリック教会の告解はとても大切な秘跡で、告解 = 懺悔ではないと考えられています。わかりやすく言えば懺悔は「ごめんなさい」と謝ることで、告解は「振り返り、あやまり・罪を認め神様に赦していただくこと。」です。ゆるしの秘跡で告解をし、そして、最後のところで「あなたの罪は赦されました。」と神様に代わって聴罪司祭が宣言します。これは罪が赦されたことを意味しています。

【ゆるしの秘跡】
ゆるしの秘跡は、罪聴司祭(ちょうざいしさい)のもとで、自分の犯した罪を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。この秘跡は、回心、悔い改め、和解、いやしの秘跡とも呼ばれています。ゆるしの秘跡に必要な行為は、①痛悔(犯した罪を悔やむこと)、②司祭への罪の告白、③償いをはたす決意、およびその実行です。ゆるしの秘跡を求める個人と神との出会いを重視します。また、一年を通して、ゆるしの秘跡が必要な時にいつでも受けることができます。
他に、ゆるしの秘跡には、個別の赦しの式とは別に共同回心式があります。共同回心式は、ゆるしの秘跡の教会的な面をあらわしています。この式は、共同体の祈りの中で行われます。共同回心式は、個人の罪だけでなく、教会共同体の連帯性について考え、共同体の上に神の赦しを求めるのです。また、赦しを神に求めるだけでなく、兄弟姉妹にも赦しを求めることを意識させてくれるもので、通常、主の降誕祭や主の復活という大きな祭日に向けての準備として、待降節や四旬節の間に行われます。

【聴罪司祭(神父)】
赦しの秘跡において、信徒の罪の告白を聴き、赦免(赦し)を与える司祭(神父)のこと。もちろん、赦しの秘跡の指導を受けて秘跡を修得し、聴罪司祭としての訓練をされていますから、信頼して告解できます。(告解とは、聴罪司祭に罪を告白すること。)

【煉獄】
天国には入れないけれど、地獄にも墜ちない人の行くところで、天国と地獄の間にあります。火による苦罰で罪を浄化された後、天国に入るとされる場所で、カトリック教会独自の教義です。
カトリック教会では、紀元100年代以降の「教父(きょうふ:キリスト教著述家で正統信仰の著述を行い、自らも聖なる生涯を送ったと歴史の中で認められてきた人々のこと)」の著作などに散見される聖伝・教理として受け継がれ、旧約聖書(第二正典)の『第二マカバイ記』の記述も根拠になるとして、フィレンツェ公会議(1431年~1443年)とトリエント公会議(1543年~1563年)で公式な教義として再確認されました。
プロテスタント教会では、宗教改革を行ったマルティン・ルターは、当初、煉獄の存在を認めていましたが、後に『マカバイ記』を否認したことから、他の改革者たちと同じく煉獄を否定するようになりました。
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