「七つの大罪」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

<七つの大罪>
高慢:こうまん(傲慢:ごうまん)
貪欲:どんよく(強欲:ごうよく)
嫉妬:しっと(羨望:せんぼう)
憤怒:ふんど(激高:げきこう)
貪食:どんしょく(暴食:ぼうしょく)
色欲:しきよく(肉欲:にくよく)
怠惰:たいだ(堕落:だらく)

「七つの大罪」の記事は、このブログに何回か掲載しましたし、他の記事でも罪について何度か触れています。七つの大罪とは、キリスト教カトリック教会でよく言われるところの“七つの大きな罪”のことですが、この記事を見るとなんか漢字のテストみたいですね(⌒-⌒; )ちなみに類似語も併記しました。七つの大罪は、これ自体も罪ではありますが、もっと大きな罪を誘発させるものであるとも考えられています。
なんと!私は65年ほど生きてきましたが、過去を振り返ると7つすべて経験していますね(; ̄O ̄)なにも自慢しているわけではありませんが、よほど悔い改めて善行を積まないと天国には行けないですね( ;。; )すべて経験してしまってはダメですよね。悔い改めて、神父様に「洗礼(せんれい)」を授けていただくことです。すでに洗礼を受けている方は、「告解(こっかい)して「ゆるしの秘跡(ゆるしのひせき)」を受けることになります。洗礼を受ければ地獄行きはなくなりますが、洗礼後に罪を犯した場合、告解もせず悔い改めない人は、“煉獄(れんごく)”行きにはなるでしょうね( ̄◇ ̄;)。地獄に堕ちなくても火で焼かれるわけですね(; ̄O ̄)

【告解】
「告解」は、信徒が洗礼を受けた後に犯した罪を聴罪司祭に告白し、聴罪司祭を通して神様からの赦しを得るものです。通常「告解」と言っていますが、本来はでは「ゆるしの秘跡」という名称です。日常の小さな罪(悪を言っちゃったとか)はミサ中の「回心の祈り」でいいのですが、大きな罪の場合は「ゆるしの秘跡」が必要となります。まぁ、罪の大きさに関わらず、年一度は「告解」を行うべきですね。
ゆるしの秘跡での告解を「懺悔(ざんげ)」と間違う人がいますが、懺悔はカトリック教会では使われず、カトリック教会での宗教的意味は全くありません。そして、お祈りの中で罪を認めるときは「罪の告白」といいます。カトリック教会の告解はとても大切な秘跡で、告解 = 懺悔ではないと考えられています。わかりやすく言えば懺悔は「ごめんなさい」と謝ることで、告解は「振り返り、あやまり・罪を認め神様に赦していただくこと。」です。ゆるしの秘跡で告解をし、そして、最後のところで「あなたの罪は赦されました。」と神様に代わって聴罪司祭が宣言します。これは罪が赦されたことを意味しています。

【ゆるしの秘跡】
ゆるしの秘跡は、罪聴司祭(ちょうざいしさい)のもとで、自分の犯した罪を告白し、罪のゆるしを願うことにより、神からの罪のゆるしが与えられるというしるしです。この秘跡は、回心、悔い改め、和解、いやしの秘跡とも呼ばれています。ゆるしの秘跡に必要な行為は、①痛悔(犯した罪を悔やむこと)、②司祭への罪の告白、③償いをはたす決意、およびその実行です。ゆるしの秘跡を求める個人と神との出会いを重視します。また、一年を通して、ゆるしの秘跡が必要な時にいつでも受けることができます。
他に、ゆるしの秘跡には、個別の赦しの式とは別に共同回心式があります。共同回心式は、ゆるしの秘跡の教会的な面をあらわしています。この式は、共同体の祈りの中で行われます。共同回心式は、個人の罪だけでなく、教会共同体の連帯性について考え、共同体の上に神の赦しを求めるのです。また、赦しを神に求めるだけでなく、兄弟姉妹にも赦しを求めることを意識させてくれるもので、通常、主の降誕祭や主の復活という大きな祭日に向けての準備として、待降節や四旬節の間に行われます。

【聴罪司祭(神父)】
赦しの秘跡において、信徒の罪の告白を聴き、赦免(赦し)を与える司祭(神父)のこと。もちろん、赦しの秘跡の指導を受けて秘跡を修得し、聴罪司祭としての訓練をされていますから、信頼して告解できます。(告解とは、聴罪司祭に罪を告白すること。)

【煉獄】
天国には入れないけれど、地獄にも墜ちない人の行くところで、天国と地獄の間にあります。火による苦罰で罪を浄化された後、天国に入るとされる場所で、カトリック教会独自の教義です。
カトリック教会では、紀元100年代以降の「教父(きょうふ:キリスト教著述家で正統信仰の著述を行い、自らも聖なる生涯を送ったと歴史の中で認められてきた人々のこと)」の著作などに散見される聖伝・教理として受け継がれ、旧約聖書(第二正典)の『第二マカバイ記』の記述も根拠になるとして、フィレンツェ公会議(1431年~1443年)とトリエント公会議(1543年~1563年)で公式な教義として再確認されました。
プロテスタント教会では、宗教改革を行ったマルティン・ルターは、当初、煉獄の存在を認めていましたが、後に『マカバイ記』を否認したことから、他の改革者たちと同じく煉獄を否定するようになりました。
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