教会日記2023.4.4(カトリック成城・聖タデオ教会「受難の火曜日のミサ」火曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「受難の火曜日のミサ」に与りました。やはり朝は寒いのて、聖堂では暖房をつけました。今日も清々しい朝を迎えています。
◯教会の駐車場入口の植え込みにあるハナミズキの花が咲き始めました!早朝6時30分の撮影です。まだ光量が足らないですね。
ミサの前後に私的なお祈りです。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、
そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
◯教会の駐車場入口の植え込みにあるハナミズキの花が咲き始めました!早朝6時30分の撮影です。まだ光量が足らないですね。
ミサの前後に私的なお祈りです。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい朝を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、
そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
セルバンテスのことば(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]
「どんな困難な状況にあっても、解決策は必ずある。
救いのない運命というものはない。
災難に合わせて、どこか一方の扉を開けて、救いの道を残している。」
ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(スペイン:1547年~1616年)は、キリスト教カトリック教会のクリスチャンで作家です。特に『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(ドン・キホーテ)』の著者とし有名ですね。
セルバンテスの言葉のとおりです。「困難」、「災難」という言葉は、「試練」という言葉に置き換えることができます。新約聖書のコリントの信徒への手紙第一・第10章・第13節にある聖句(聖書の言葉)と同じです。
◯新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第10章・第13節
「あなた方を襲った試練は、何一つとして人間に耐えられないようなものではありませんでした。神は信頼に値する方です。耐えられないような試練にあなた方を遭わせるようなことはなさらず、むしろ、耐えることができるように、試練とともに抜け出る道をも用意してくださるのです。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳註聖書』から
この聖句には何度も励まされ、助けられ、そして救われました。私の解釈は、「試練とともに抜け出る」ということで、「試練と正対して、前に進みつつも抜け出る(前に突き抜ける)」というものです。神様は、私達が試練に襲われている時、決して見捨てることなく、いつも抜け出る道(どこか一方の扉を開けて、救いの道)を用意して(残して)くださっているのですね。
救いのない運命というものはない。
災難に合わせて、どこか一方の扉を開けて、救いの道を残している。」
ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(スペイン:1547年~1616年)は、キリスト教カトリック教会のクリスチャンで作家です。特に『ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ(ドン・キホーテ)』の著者とし有名ですね。
セルバンテスの言葉のとおりです。「困難」、「災難」という言葉は、「試練」という言葉に置き換えることができます。新約聖書のコリントの信徒への手紙第一・第10章・第13節にある聖句(聖書の言葉)と同じです。
◯新約聖書:コリントの人々への第一の手紙・第10章・第13節
「あなた方を襲った試練は、何一つとして人間に耐えられないようなものではありませんでした。神は信頼に値する方です。耐えられないような試練にあなた方を遭わせるようなことはなさらず、むしろ、耐えることができるように、試練とともに抜け出る道をも用意してくださるのです。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳註聖書』から
この聖句には何度も励まされ、助けられ、そして救われました。私の解釈は、「試練とともに抜け出る」ということで、「試練と正対して、前に進みつつも抜け出る(前に突き抜ける)」というものです。神様は、私達が試練に襲われている時、決して見捨てることなく、いつも抜け出る道(どこか一方の扉を開けて、救いの道)を用意して(残して)くださっているのですね。