支援活動日記2023.4.20(山谷夜回りの会活動) [支援活動日記]

今日は、仕事が終わって19時30分からホームレス支援活動グループ「山谷夜回りの会」の活動に参加しました。前回4月6日(木)は、「聖木曜日・主の過越しの晩餐の夕べのミサ」と重なったため、ミサに与って支援活動を欠席しました。昨年も同様に重なったのですが、その時は支援活動に参加してミサを欠席しました。

毎回毎回このブログに書いていることですが、私は一人の人間としてもキリスト者(クリスチャン)としても、人道のための支援活動を行うことが本望であり、若い時からの念願でもありました。働けなくて経済的に困窮し、路上生活を余儀なくされている人、家族に見放され精神時に不調をきたし、路上生活を余儀なくされている人、ホームレスの皆さんにはいろいろな理由があります。国や自治体など行政では、手が回らないところを私たちが支援するということですね。地道な誰かがやらねばならない活動です。

ところで、私たちキリスト教の信徒は、前述したような生活に困窮している人のことをイエス様だと思って支援しています。これは聖書にあるイエス・キリストの教えです。新約聖書の『マタイによる福音書』第25章・第31~第46節に書かれています。このブログの2022年11月11日に掲載した「聖マルティヌス司教のお話し」を是非ともお読みください。https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2022-11-11
◯活動地域内にある修道会「神の愛の宣教者会」の 修道院(山谷の家)です。マザーテレサが創設した修道会で、世界各地にあり貧困者など弱者救済のために活動しています。修道士さんたちは、日中に隅田川沿いでおにぎりなどを配っています。(この写真は3月16日の活動時の撮影)
9AA70F5E-623E-430B-8775-41DCB33DA720.jpeg
◯聖母マリア様のご像です。ご像の前は駐車スペースなのですが、時折りホームレスの方が毛布をかぶって寝ていることがあります。聖母マリア様に「ホームレスの皆さんに必要な物が与えられますように。健康でありますように。」とお祈りしました。(本日の撮影)
C5AE0B6E-A98E-4CFD-BDE3-0AC72119F5F2.jpeg
今夜も台東区端の泪橋交差点から少し歩いた所にある「いろは商店街」に、ビニールシートのテントで寝ている方を含め35人ほどのホームレスの皆さんが私たちを待っていました。10年ほど前は、実測250mほどのアーケード(屋根がある)商店街で、そのころでもすでに8割方はシャッターを下ろして営業をしていない「シャッター商店街」になっていました。ですから、屋根があって雨をしのげましたから、シャッターの前に段ボールを囲って寝ていました。そのころは約120人ほどのホームレスの方が寝泊りしていましたね。今では40人~50人となりました。

今日は、支援活動に集まった15人で、ホームレスの皆さんにおにぎり、マスク、軍手、石鹸、歯ブラシ、髭剃り、靴下、上下の下着類、シャツ、ズボン、寝袋、葛根湯などをお配りしました。最近は、女性の方もいらっしゃいますから生理用品も配ります。おにぎりを配る時は、毎回約200〜350個ほどのおにぎりをカトリック板橋教会や松戸教会の信徒の皆さんの善意で作ってもらっています。数年前までは、私が以前所属していたカトリック町田教会も、かつては「山谷の会」があり、おにぎりを作って隅田川沿いで配布していました。会が解散して残念です。
◯テントがある方は雨露をしのぐことができますからいいのですが、毛布だけの方は雨が降ると大変なことになります( ̄◇ ̄;) 特に真冬は毛布を何枚重ねても寒いです!(本日の撮影)
73936B91-8FCC-4F3C-81BB-03B87ACDA5FC.jpeg
0D26952D-808F-4CBD-B1F4-0B8904D058F0.jpeg
支援活動に集まっている方の年齢構成は、70歳代の方から私のような仕事帰りの60歳代の社会人や主婦は少数派ですが、中心になっているの大学生や若い20歳代~30歳代の社会人です。たまに高校生も参加しています。若い人たちは使命感を持って支援活動に取り組んでいる立派な人ばかりです。暖かくなって新緑が目に鮮やかに映る季節がやってきました。でも、まだまだ明け方は寒いですね。ホームレスの皆さんは路上で寝る方も多く、寒さだけでなく、雨が降ったりして衛生的にも極めて悪い環境にあります。とにかく健康には気をつけてもらいたいです。
活動が終了してから反省会を行い、21時過ぎに解散しました。今はすでに帰りの電車の中です。
nice!(0)  コメント(0) 

教会日記2023.4.20(カトリック成城・聖タデオ教会「復活節第二木曜日のミサ」木曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での早朝7時からの「復活節第二木曜日のミサ」に与りました。今夜は、仕事が終わってから、「山谷夜回りの会」活動に参加します。活動内容はホームレス支援で、おにぎりや生活必需品を配ります。善き行いの実践ですね。場所は、現在の日本堤1丁目・2丁目あたりで、終戦後から昭和20〜40年ごろに「山谷のドヤ街」と呼ばれていた所です。

活動は、毎月第一・第二木曜日の月2回です(8月は食べ物が腐りやすいのでお休みとなります)。前回の4月6日(木)は、「聖木曜日・主の過越しの晩餐の夕べのミサ」と重なったため欠席しました。参加してもう10年になりますね。 JR南千住駅改札を出た所に19時30分集合で、どなたでも参加できます。高校生・大学生や主婦、60歳・70歳代の方まで、だいたい10〜15人で活動しています。1回だけの飛び入り参加大歓迎です。
今日も清々しい朝を迎えています!

ミサの前後に私的なお祈りを捧げました。
まずは、主を讃える祈りです。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と祈り、
そして、主に感謝です。
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」

次に、主により頼む祈りです。
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と祈り、

そして、主に派遣の祈りです。
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と祈り、

終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』です。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と祈りました。
nice!(0)  コメント(0) 

新約聖書:マルコによる福音書・第7章・第14〜第23節 [聖書]

「それから、イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた。「皆、わたしの言うことを聞いて悟りなさい。 外から人に入って、人を汚すことができるものは何もなく、人から出て来るものが人を汚すのである。」 イエスが群衆と別れて家に入られると、弟子たちはこのたとえについて尋ねた。イエスは言われた。「あなたがたも、そんなに物分かりが悪いのか。すべて外から人に入って来るものは、人を汚すことができないことが分からないのか。それは人の心の中に入るのではなく、腹に入り、そして外に出されるのだ。」このようにイエスは、すべての食べ物は清いものとし、 さらに言われた。「人から出て来るもの、これが人を汚す。中から、つまり人の心から、悪い思いが出て来る。淫行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、悪意、欺き、放縦、妬み、冒瀆、高慢、愚かさ、これらの悪はみな中から出て来て、人を汚すのである。」」
『聖書協会共同訳聖書』から

この聖句(イエス・キリストの言葉)の前段部分で、ファリサイ派の人が、イエス・キリストに「あなたの弟子たちは、なぜ食事の前に手を洗わないのか?」と質問したことから、この話しは始まっています。このファリサイ派とは、ユダヤ教の指導者の一派で、律法を厳格に守り、細部に至るまで忠実に実行することによって神の正義の実現を追求しているつもりですが、その実は形式主義に陥り、人間が作った掟を大切にして神の教えをないがしろにしている人たちのことです。要するに偽善者のことですね。

また、自分たちイスラエル人は、神に選ばれた唯一の民族で、神様との特別な契約を結んだ神の民であり、救いは神の民だけのものと信じている人たちでした。ですから、イスラエル人でない異邦人は、神様の救いから除外されていると見下していたのです。新約聖書に登場する律法学者や祭司長なども同類の人たちです…………ということで、食事の前に手を洗う規定など、細かく定められていました。ですから、そのようなことばかり大切にして、本来人間として大切なことを忘れているため、イエス・キリストはたとえ話しを用いて説教したのです。

つまり、「人の心から出てくる、人を汚れさせること」について、「体に入る(食べる)こと、体から出る(排泄する)こと」をたとえ話しにして説いています。汚れとは、すなわち「みだらな行い、盗み、殺意、姦淫、貪欲、悪意、詐欺、好色、ねたみ、悪口、傲慢、無分別」ですが、これらはすべて人の心から出てくるものなのです。これが人を汚すものなのです。一言で言い表すと「悪意」ですね。人が人として生きるためには、絶対に「悪意」を持ってはいけません。すべての人が日々自戒すべきことです。
nice!(0)  コメント(0)