教会日記2023.12.12(カトリック成城・聖タデオ教会「待降節第二火曜日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時から「待降節第二火曜日のミサ」に与りました。今日は久しぶりの雨天ですね。乾燥は喉に悪いですから湿り気は必要です。今日もぼちぼちいきましょう!(^◇^)
◯今週は待降節第二週ですから、アドベント・クランツのローソク2本が点灯されています。
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ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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2023クリスマス・シリーズ:その9「クリスマス・キャンドルサービス」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今年もこのブログに「クリスマス・シリーズ(特集)」を掲載する季節になりました。数年前からこの時期の恒例となっています。今日は、その9「クリスマス・キャンドルサービス」のお話しです。
◯写真は、カトリック麹町・聖イグナチオ教会大聖堂で行われた「降誕祭・主の降誕夜半のミサ」でのキャンドル・サービスの風景です。一人一人が手に灯されたローソクを持っています。
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キャンドル・サービスと聞くと結婚披露宴が思い浮かびますが、「サービス」(service)は「礼拝」という意味です。教会でキャンドルを灯して礼拝するのが本来のキャンドル・サービスなのですね。ちなみに英語では「キャンドルライト・サービス」と呼ぶのが一般的だそうです。世界各国のすべての教会でと言っていいほど、「主の降誕夜半のミサ」でキャンドル・サービスが行われますが、最近では、ローソクの火が参加者の衣服に燃え移るなどの事故もあり、キャンドル・サービスをしない教会も出てきました。化繊の衣服は、あっという間に燃え上がりますからね。

その起源は古く、4世紀の半ばまでさかのぼり、そのころ行われていた2月2日の「主の奉献の祝日」に、祝別したローソクを会衆に分かち合うキャンドルミサが始まりだといわれています。ローマのカトリック教会では、この日を「聖母マリアのきよめの日」として祝っていました。これは、世の光であるイエス・キリストが神殿で神にささげられたことを記念するためです。聖書には、キリストの降誕を「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた」と記しています。キャンドルの火は、この世に希望と喜びをもたらすイエス・キリストだったのですね。

「主の降誕夜半のミサ」で行われるキャンドル・サービスは、モラヴィア教会で1747年に子どもたちによって行われていたものが、北ヨーロッパから海を渡って北米に広まったものだそうです。クリスマス・イブのキャンドル・サービスは、「世の光」としてこの世に来られたイエス・キリストの誕生を祝って行われるものです。そして、灯したローソクの光に託して、私たち一人ひとりの心の中にも「世の光」であるイエス・キリストが誕生するように願い、このキリストの光によって照らされた私たちが、この世の闇を照らす光となることができますようにと祈りします。

『祈り』
「聖なる父よ、
あなたはこの神聖な夜を、
まことの光キリストによって照らしてくださいました。
やみに輝く光を見たわたしたちが、
その喜びを永遠に歌うことができますように。
アーメン」

◯新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第21~第38節
第21節「イエスの命名」
割礼を施すべき八日目になったとき、受胎の前にみ使いが告げたとおり、幼子はイエスと名づけられた。
第22~第24節「イエスの奉献」
さて、モーセの律法に定められた、彼らの清めの日数が満ちると、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムに連れて行った。これは主の律法に、「はじめて生まれる男の子はみな、主に聖別された者である」と書き記されているからであり、また主の律法に述べられているところに従って、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽を犠牲としてささげるためであった。
第25~第35節「シメオンの賛歌と予言」
その時、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しく敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上にあった。彼はまた、主が遣わすメシアを見るまでは決して死なないとの、聖霊のお告げを受けていた。彼は霊に導かれて神殿に入ると、律法の慣習に従って、両親が幼子イエスを連れてきた。シメオンはその子を抱きあげ、神をほめたえて言った。「主よ、今こそあなたのお言葉のとおり、あなた僕を、安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目で、あなたの救いを見たからです。この救いは、あなたが万民の前に備えられたもの、異邦人を照らす光、あなたの民イスラエルの栄光です。」 父と母は、幼子について言われた言葉を聞いて不思議に思った。シメオンは彼らを祝福して、母マリアに言った、「この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするために定められ、また、逆らいを受ける徴として定められています。あなた自身の心も剣で貫かれます。多くの人のひそかな思いが、露わにされるでしょう。」
第36~第38節「アンナ」
さて、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年老いていて、若いころ嫁ぎ、七年間、夫と生活をともしていたが、やもめとなり、すでに八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食と祈りのうちに神に仕えていた。まさしくその時、彼女も近づいてきて、神をほめたたえ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、幼子について語った。
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

◯2023クリスマス・シリーズ(特集)の過去の記事は、次のアドレスをクリックして読んでください。
1.2023クリスマス・シリーズ:その1「クリスマス・マーケット」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-11-16
2.2023クリスマス・シリーズ・その2「アドベント・キャンドル」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-12-02-1
3.2023クリスマス・シリーズ・その3「クリスマス・ツリー」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-12-03
4.2023クリスマス・シリーズ・その4「クリスマス・リース」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-12-04
5.2023クリスマス・シリーズ・その5「クリスマス・ケーキ」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-12-05
6.2023クリスマス・シリーズ・その6「クリスマス・デコレーションの緑色と赤色」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-12-09
7.2023クリスマス・シリーズ:その7「クリスマス料理の七面鳥」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-12-10-1
8.2023クリスマス・シリーズ:その8「クリスマス音楽・きよしこの夜」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-12-11
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「グアダルーペの聖母」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日12月12日は、「グアダルーペの聖母」の任意の祝日です。
グアダルーペ(グアダルペ)の聖母は、カトリック教会が公認している聖母のご出現の一つであり、メキシコで最も敬愛されている宗教的シンボルとなっています。
1531年12月9日、メキシコ・グアダルーペのインディオ、フアン・ディエゴの前に聖母マリア様が現れました。聖母は、ディエゴに聖母の大聖堂を建設する願いを司教に伝えるよう求めましたが、ディエゴは病気の親類ために、助けを求めに行こうとしていたため、話しかけてくる聖母を振り切って先を急ごうとしました。すると、聖母は彼の行く手を阻み、親類の治癒を告げました。ディエゴが家に戻った時、病気だった親類は癒されていました。聖母は、司教へご自分の徴(しるし)として、花を持っていくように言われ、ディエゴは花をマントに包み司教のいる司教館に運んだところ、ディエゴのマントには聖母の姿が映し出されていました。
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フアン・ディエゴは2002年に列聖され、彼が聖母と出会った場所であるメキシコ市近郊のテペヤク(テペヤック)の丘には大きなグアダルーペ寺院が建てられました。1537年にローマ教皇パウルス3世は、インディオは理性ある人間として扱われるべきという回勅を発し、植民地におけるインディオへの迫害を禁じました。また、16世紀末頃から17世紀の初めには、聖母によって重病人が回復する奇蹟がたびたび起こり、聖母への信仰はどんどん強まっていきました。そして17世紀には、この「褐色の肌の聖母」はあらゆる階層の人々の信仰を集めていったのでした。聖母はメキシコの民族主義の象徴ともなっており、メキシコ独立革命の指導者ミゲル・イダルゴの蜂起の宣言(ドロレスの叫び)では、「聖母万歳」と唱えられていますし、メキシコ革命の指導者の一人であるエミリアーノ・サパタの軍隊は、聖母の像を帽子につけていました。1754年、グアダルペの聖母マリアは、教皇ベネディクト14世によってメキシコの保護者とされ、12月12日にその祝日が定められました。
【インディオ】
スペイン語、ポルトガル語で中南米諸国のアメリカ先住民をさしていう名称。英語ではインディアンです。
◯グアダルーペの聖母のご像です。背後の光線の部分は仏教の仏像にある「光背(こうはい)」に似ています。
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◯写真左側は、奈良県奈良市にある華厳宗大本山東大寺大仏殿の盧舎那仏(るしゃなぶつ)です!通称は「大仏様」ですね。金色に輝く「光背(身光)」があります。写真右側は神奈川県鎌倉市にある臨済宗円覚寺派大本山円覚寺にある薬師如来立像(やくしにょらいりつぞう)です。頭の後ろに「頭光(ずこう)」があります。
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【光背】
仏像・仏画などの仏教美術やキリスト教美術などにおいて、神仏や聖人の体から発せられる光明を視覚的に表現したものです。特に仏教の仏像では仏の超人性を形容し、仏身が光明に輝くのを仏像の背後の光明として表したものです。 仏教諸尊像に広く用いられ、頭光(ずこう)と身光(しんこう)があります。キリスト教美術では、ご絵やご像に「光輪(こうりん)」が描かれます(仏教では「頭光」)。
「光輪」については、このブログの今年6月20日に掲載した「光輪(こうりん)のお話し」をお読みください。次のアドレスをクリックしてください。 
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-06-20-11
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