教会日記2023.12.2(カトリック成城・聖タデオ教会「待降節第一主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、年次有給休暇で仕事はお休みをいただき、18時からのカトリック成城・聖タデオ教会での「待降節第一主日のミサ」に与りました。微熱は下がり平熱になりましたが、体調はあまりよくないので、寒さ対策のためオーバーの上にコートを着ています。

今日の日没後からキリスト教における新年である「待降節(たいこうせつ)」を迎えました。待降節は、12月24日(日)の日没後から始まる「降誕祭(こうたんさい)」の「主の降誕夜半のミサ」と25日(月)の「主の降誕日中のミサ」までの喜びの準備期間となります。
◯待降節の詳しいことは、このブログの2023年11月29日に掲載した「待降節、降誕祭そして降誕節のお話し」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-11-29
◯写真は、成城教会のアドベント・キャンドルです。ミサの開式前に、神父様が聖水でアドベントキャンドルを祝福して会衆(信徒)全員でお祈りし、今日は待降節第一主日ですから、1本目のローソクに祭壇奉仕者を務めた私が火を灯しました。アドベント・キャンドルの詳しいことは、このブログに先ほど掲載した2023年12月2日の「クリスマス・シリーズ(特集)・その2 アドベント・キャンドル のお話し」をご覧ください。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-12-02-1
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ミサでは、祭壇奉仕(侍者)を担当しました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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2023クリスマス・シリーズ・その2「アドベント・キャンドル」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

この記事は、12月2日(土)に掲載した記事「2023クリスマス・シリーズ・その2アドベント・キャンドルのお話し」ですが、記載した日・曜日などに間違いがありましたので、12月5日(火)に訂正して再掲載いたしました。昨年の記事を修正せずにそのまま掲載してしまったようで、皆様には大変ご迷惑をおかけいたしました。ここにお詫び申し上げます。
12月5日(火)ブログ管理者

今年もこのブログに「クリスマス・シリーズ(特集)」を掲載する季節になりました。数年前からこの時期の恒例となっています。今日は、その2「アドベント・キャンドル」のお話しです。
さて、今日の「待降節第一主日のミサ」、正確には昨日の12月2日の日没後から「待降節」が始まりました。「待降節」の詳細は、このブログの2023年11月29日に掲載した「待降節、降誕祭、そして降誕節のお話し」をご覧ください。アドレスは次のとおりです。
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-11-29
キリスト教カトリック教会では、12月2日(土)の日没後の主日のミサ(待降節第一主日)から待降節に入って、12月24日(日)の降誕夜半のミサ(降誕祭)、25日(月)の降誕日中のミサ(降誕祭)までの期間中、写真にのように祭壇前に新しく4本のローソクが備えられ、毎週1本づつ灯されていきます。一般的には「アドベント・キャンドル」ですが、他にも「アドベント・リース」や「アドベント・クランツ」などの名称があります。
【アドベント・クランツ】
アドベント・クランツ(Advents kranz)とは、もみの木や松などの常緑樹の枝でリース(輪)を作り、リースの中心に4本のキャンドルを立てて作ったものです。
写真の一番手前にある1本目の濃紫色のローソクは「悔い改めと償い」、左側にある2本目の薄紫色のローソクは「希望」、右側にある3本目の桃色のローソクは「喜び」、祭壇に近い4本目の白いローソクは「イエス・キリスト」を象徴します。4本のローソクは、イスラエル人がメシアを待っていた4千年を意味しています。6世紀の中ごろ、スペインの教会で始まった待降節は、13世紀に、正式に教会が祝日として定められお祝いされることになりました。

待降節の時期は、教会暦で新しい年が始まり、終末の時この世の審判のために来られるイエス・キリストの誕生を待つ4週間で、大きく2つの期間に分かれています。まず、前半の期間は、1本目のローソク(濃紫)を灯す「待降節第一主日」で、12月2日(土曜日の日没後)から12月9日(土曜日の日中)まで、そして、2本目のローソク(薄紫)を灯すのは「待降節第二主日」で、12月9日(土曜日の日没後)から16日(土曜日の日中)までです。終末に対する心の準備やキリストが来られるのを待ち望みながら心の悔い改めと回心が勧められる時期です。
◯写真は、手前の濃紫のローソク1本だけが灯されていますから、「待降節第一主日(第一週)」の写真ということが分かります。
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後半の期間は、3本目のローソク(桃色)を灯すのは「待降節第三主日」で、12月16日(土曜日の日没後)から24日(日曜日の日中)まで、主の降誕が最も近付いたことを喜びの心を持って準備します。そして4本目のローソク(白色)を灯すのは24日(日曜日の日没後)で、「待降節第四主日」となり、この世の闇を照らす救いの光として来られるイエス・キリストを象徴し、嬉しい降誕が私達の信仰の生活の中でキリストの光になるように願う心で火を灯します。そして、降誕祭の25日を迎えます。4週に渡り1本ずつローソクに火が灯されていきます。

待降節の朗読はメシアが来られること、待つことを予告する旧約聖書の「イザヤ書」と、主の日のために悔い改めを催す新約聖書から洗礼者ヨハネの警告を朗読します。待降節の典礼の性格がよく表れている司祭の紫色の祭服は、主を待ち望む心と悔い改めの象徴的な意味を持ちます。そして、聖堂と家庭の中で緑の枝に飾られた4本の待降節のロウソクを準備します。常緑の枝でロウソクを飾るのは、私達に下る永遠に変わらない神様の新しい生命を象徴しています。

◯2023クリスマス・シリーズ(特集)の過去の記事は、次のアドレスをクリックして読んでください。
1.2023クリスマス・シリーズ:その1「クリスマス・マーケット」のお話し
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2023-11-16
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新約聖書:マタイによる福音書・第5章・第43〜第48節 [聖書]

「あなた方も聞いているとおり、『あなたの隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしはあなた方に言っておく。あなた方の敵を愛し、あなた方を迫害する者のために祈りなさい。それは、天におられ父の子となるためである。天の父は、悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる者を愛したからといって、あなた方に何の報いがあろうか。徴税人でさえも、そうしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したからといって、何か特別なことをしたことになろうか。異邦人でさえ、そうしているではないか。だから、天の父が完全であるように、あなた方も完全な者となりなさい。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖句(イエス・キリストの言葉)の中に出てくる語句を解説しますと、「父」とは、イエス・キリストの父である神様のことです。「徴税人(ちょうぜいにん)」とは文字どおり“税を徴収する役の人”のことですが、当時のシリア州(パレススチナ・イスラエル一帯)は、ローマ帝国の属州となっていましたから、ローマ帝国のために税の徴収を現地のユダヤ人が代理徴収し、しかも実際の金額よりも多く取って詐取(さくしゅ)していましたので、同胞であるユダヤ人から悪人として嫌われていました。

次に「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」とあります。これは、神様が悪人も善人も、まったく同じように平等に扱っておられるというように受け取れますが、決してそうではありません。確かに「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせ」てはいますが、神様はすべての悪人に対し、悔い改めと罪の償いの機会を与えているのです。いつか自分の罪に気づいて、悔い改めて神の子として立ち帰ることができるようチャンスを与えて、そのことに気づくようにイエス・キリストは忍耐強く待っているのですね。

神様は、過ちを犯した罪深い私達を早く立ち直るよう待っておられるのです。そのような人のためにこそ祈らなければならないと説いています。それがたとえ自分を迫害するような者であっても祈れと。このような神様の忍耐強さなくして、人間である私たちはいかにして神の子であり続けることができるでしょうか。しかし、大切なことは自分の過ちや犯した罪に早く気がつくことです。そして、早く悔い改めなければなりません。イエス・キリストは、悔い改めて“完全な者”となりなさいと説いておられます。
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