教会日記2023.12.24(カトリック成城・聖タデオ教会「主の降誕の祭日・夜半のミサ」日曜日)   [教会日記]

今日は、カトリック成城・聖タデオ教会の16時、18時及び20時開式の「主の降誕の祭日・夜半のミサ」に与りました。16時開式のミサは祭壇奉仕(侍者)を務め、18時開式のミサと20時開式のミサは聖歌奉仕(聖タデオ聖歌隊)を務めました。やっと今終わりました〜(⌒-⌒; )
ついに今年もイエス・キリストの降誕(誕生)をお祝いする日を迎えましたので、今夜の教会での挨拶は「こんばんは」ではなく、「おめでとうございます!」です。成城教会の「主の降誕の祭日・夜半のミサ」は、14時は教会学校の子どもと共にするミサ、16時は手話通訳付きミサ、18時はYouTube配信もするミサ、20時の4回で、明日25日(月)の「主の降誕の祭日・日中のミサ」は、8時、10時、12時及びスカウト共にする14時開式の4回のミサとなります。

イエス・キリストは、24日の日没後の夜半から25日にかけてお生まれになったことになっています。ここで、毎年、主の降誕夜半のミサでの福音朗読となっている、新約聖書の『ルカによる福音書』からイエス・キリスト誕生の場面を画いた箇所を掲載します。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第1~第20節
「そのころ、皇帝アウグストゥスにすよって、全世界の住民に登録をせよとの勅令が発布された。この登録は、キリニウスがシリア州の総督であった時に行われた、最初のものであった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰っていった。
ダビデ家とその血筋に属していたヨセフも、すでに身籠もっていたいいなづけのマリアを伴って、登録のために、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
ところが、二人がそこにいる間に、出産の日が満ちて、マリアは男の初子を産んだ。そして、その子を産着にくるみ、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には、彼らのために場所がなかったからである。
さて、その地方では、羊飼いたちが野宿をして、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の使いが羊飼いたちのそばに立ち、主の栄光が彼らの周りを照らし出したので、彼らはひどく恐れた。み使いは言った。「恐れることはない。わたしは、民全体に及ぶ、大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見出すであろう。これが徴である」。すると突然、み使いに天の大軍が加わり、神を賛美した。

「いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人に平和」

み使いたちが離れて天に去ると、羊飼いたちは語りあった。「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださった、その出来事を見て来よう」。そして、彼らは急いで行き、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあてた。それを見た羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを、人々に知らせた。羊飼いたちが語ったことを聞いた人々はみな不思議に思った。しかし、マリアはこれらのことをことごとく心に留め、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、ことごとく告げられたとおりだったので、神をほめたたえ、賛美しながら帰っていった。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

ベツレヘムの宿屋は、どこも満員で泊る場所がなかったので、夫のヨセフと妻のマリアの夫婦は、馬小屋(一般的に馬小屋といわれていますが、家畜小屋のことです。一説には洞窟ともいわれています。)で夜を明かすことになりました。しかし、妻のマリアは月が満ちて不安のなかで初めての子を産み、布に包んで飼い葉桶に寝かせました。寝ているその子を夫のヨセフが心配そうに見守っていたころ、羊飼い達は野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていました。暗闇に目を凝らしながら、外敵から羊の群れを守っている彼らには、町の賑わいも温かな団欒(だんらん)も縁遠いものでした。
仕事の都合上、律法で定められている戒めを守るのも大変だった羊飼い達は、罪深い者と見なされて裁判での証言も許されませんでした。安心して生活する場所もなかった人達だったのです。そのような羊飼い達に、その夜、主(しゅ)のみ使いが近づき、主の栄光があたりを照らしました。羊飼いに“主のみ使い”を通して、神様が近づいて来て下さったのです。荒野(あれの)をさすらい、故郷といえるところも安住の地もない孤独な羊飼い達に、神様が近づき、喜びの言葉が告げられたのでした。それが……、

「今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった!」

というメッセージです。この言葉に羊飼い達は非常に驚き恐れます。そんな羊飼い達に天使は、「恐れるな」と告げ、繰り返し「あなたがたのために」、そして「あなたがたへ」と強調します。それは、この出来事が他の誰でもなく、羊飼い達のように罪深い者とされて虐げられ、いつも不安な生活を強いられている弱い立場の人達に告げられた神様の出来事だったからですね。
み使いをとおして神様が伝えたいのは平和・平安です。民全体に神様がお与えになりたいのは、大きな喜びです。暗闇ではなく光、絶望ではなく希望、そして赦しです。それを神様は、イエス・キリストをとおして羊飼い達からすべての人達にお与えになりたいのですね。羊飼い達は、この「不思議な出来事」を知らせてくれたみ使いに、天の大群が加わって神を讃美する歌声を聴いたのです。それが、

「いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人に平和」

天の大軍が自分たちに向けて「み心にかなう人」と力強く声高らかに歌うのを聴いて、羊飼い達はどんなに嬉しかったことでしょうか。どんなに慰められたことでしょうか。羊飼い達は、この時、初めて「あなたがたは罪人ではなく神さまのみ心にかなっているのですよ。」と言われたのです。神様は、はっきりと「み心にかなう人である」と言い切って受け入れて下さっているのです。
この言葉は、主イエス・キリストがお生まれになって以来、2000年の時を越えて、現在に至るまで、すべて人間に告げられている神さまの宣言なのです。ですから、降誕祭(こうたんさい:クリスマス・25日)は、最高に喜ばしい最高に嬉しいことなのですね。イエス・キリストはこの恵みと祝福をすべての人間にお与え下さるためにお生まれになり、それに生涯をささげられたのです。

◯ミサで配られた成城教会の今年のクリスマス・カード4種類です。掲載された聖句は、『ルカによる福音書』第2章・第11節「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」と同じく「今日ダビデの町で救い主がお生まれになりました。」、クリスマス聖歌「聞かせてください羊たちよ。あなたたちがいま耳にしたことを」です。写真は、それぞれのカードの表と裏です。
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18時と20時開式のミサでは、成城教会の聖タデオ聖歌隊(担当聖歌隊員8人づつの制限付き)の聖歌奉仕の一員として、次の聖歌を歌いました。降誕祭に歌えることができて最高ですね!ただ、朝昼兼用ご飯を10時に食べてから水しか胃袋に入れていませんので、20時開式のミサでは声に力が入りませんでした(⌒-⌒; )
◯聖歌奉仕で歌った聖歌は次のとおりです。
(1)18時開式
ミサ前のミサ:なし
入祭の歌:典礼聖歌集・第305番「やみに住む民は光を見た」①②
答唱詩編:典礼聖歌集・第148番「遠く地の果てまで」①④⑤
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第258番(降誕夜半)
奉納の歌:カトリック聖歌集・第655番「ああベツレヘムよ」①②③
拝領の歌:教会聖歌集・第36番「きかせてください」
拝領後の歌:カトリック聖歌集・第121番「あめのみつかいの」①②③
(2)20時開式
ミサ前のミサ:なし
入祭の歌:典礼聖歌集・第305番「やみに住む民は光を見た」①②
答唱詩編:典礼聖歌集・第148番「遠く地の果てまで」①④⑤
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第258番(降誕夜半)
奉納の歌:カトリック聖歌集・第655番「ああベツレヘムよ」①②③
拝領の歌:カトリック聖歌集・第111番「しずけき」・第653番「まきびと」
拝領後の歌:カトリック聖歌集・第121番「あめのみつかいの」①②③
以上です。

ミサでは、主のご降誕の大祭日を祝いお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えしください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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コーリー・テン・ブームのことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「幸福というものは環境によって左右されるのではなく、その中における人間相互の関係によって決まる。」

コーリー・テン・ブームのことは、「コーリー・テン・ブームのことば(第1日目)2023.12.23」をご覧下さい。
幸福は、自分が置かれた環境やお金や物で決まるものではないのです。自分を取り巻く人間関係が良好であれば悩むこともないですし、たとえ人間関係以外で悩むことがあっても、人間関係が良好であれば誰とでも相談して解決できますよね。生きていく上で、良好な人間関係ほど大切なことはありません。
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