今日の日記2023.12.(G-SHOCK腕時計!) [日記]

腕時計の中で最も興味のないのが、カシオのデジタル時計ジーショック(G-SHOCK)でした。今まで、セイコーとシチズンの腕時計をいくつか使ってきましたが、すべてアナログタイプのものでした。15年ほど前から鉄道時計(懐中時計)を使うようになり、数年前に高級時計のグランドセイコー(通称GS)を使うようになりましたが、いずれにしても、今まで使ってきたのは、すべて時計に文字盤と指針のあるアナログ時計です。

それが、何を間違ったか一番嫌っていたジーショックを使うようになってしまいました。さすがに仕事には使いませんが、ビジネスシーン以外はすべてジーショックを使っています。理由は、①G-SHOCKというだけって衝撃に強い。②時間を確認するのにデジタルの方が分かりやすい。③ジーショックは外側は樹脂製ですので、軽くてキズや水洗いなどを気にせず使いやすいということです。なんといっても気軽に使えるのが一番です!
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私のジーショックは、6900シリーズといって、1995年の発売とともにジーショックの3代目のモデルとして人気を博しました。約30年ほど経っていますが、現在も定番モデルとしてロングセラーとなっています。ラウンドフォルム、トリグラフ、フロントボタンなど、全体的なデザインはそのままで、機能面などは進化しています。税込み13,200円(家電量販店なら10,500円)です。唯一のカジュアル系腕時計ですから長く使います。
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教会日記2023.12.27(カトリック成城・聖タデオ教会「聖ヨハネ使徒福音記者の祝日のミサ」水曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時から「聖ヨハネ使徒福音記者の祝日のミサ」に与りました。昨日が「仕事納め」で、今日は交替勤務で出勤です。年を越せば、3月末の定年退職まであと3か月となります。4月1日以降(実質10月1日以降)の再就職場所によっては、所属教会を替えなければならないかもしれません………ね( ̄▽ ̄;) まぁ、遠くになっても通える距離なら成城教会にいたいですね(^◇^)なお、今日のミサに成城教会の中高生会の皆さんも来ていました。昨夜から教会の信徒館にお泊まり?して中高生会のクリスマス会があったようです。

ミサでは、「聖ヨハネ使徒福音記者」の祝日をお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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「聖ヨハネ使徒福音記者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日12月27日は、「聖ヨハネ使徒福音記者」の祝日です。
イエス・キリストの12使徒(弟子)の一人、ゼベダイの子使徒聖ヤコブの兄弟で、使徒聖ペテロと使徒聖ヤコブと共に、イエス・キリストの<主の変容>、<ゲッセマネでの祈り>や<イエス・キリストの磔刑>など、重要な場面では必ず証人として立ち会っており、聖霊降臨の後は、使徒聖ペトロと共にエルサレム教会の指導者でした。特にイエス・キリストに愛された弟子でした。
◯私の大好きな画家のエル・グレコの「福音書記者聖ヨハネ」です。スペイン・マドリードにあるプラド美術館蔵です。絵の左下の盃に龍のような生物が入っているようですが、これは、聖ヨハネを描く際のアトリビュートになっています。聖ヨハネがエフェソで宣教活動をしている時に、盃に毒を入れられたにもかかわらず、無事であったという故事に基づいています。
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今日のミサでの朗読は『ヨハネの第一の手紙』の初めが読まれ、『ヨハネによる福音』の冒頭を想起させます。『ヨハネによる福音書』の第1章・第1節には、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」とあり、「初め」、「言」、「共に」は、ミサの朗読にも使われています。これは、キリストが天地創造の初めから存在していたことを私たちに知らせています。
第1節~第2節でこのキリストがこの世に誕生し、人間として生きたことが述べられています。「わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」からイエスがこの世に誕生し、福音を宣べ伝えたことは、確かな事実と分かります。そして、これを見、聞いた人は、聞き見たままに伝えます。それが、大きな喜びとなっていくことを希望して手紙を書いています。

◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第20章~第21章は、イエス・キリストの復活とその顕現が述べられていますが、今日の朗読は、その最初の箇所になっています。
マグダラのマリアから、「主が墓から取り去られました」と知らされた使徒聖ペトロともう一人の弟子(聖ヨハネ使徒のこと)は、墓に向かって走ります。「もう一人の弟子」と4回も書かれていますが、それは2節にあるように、「イエスが愛しておられた」弟子です。彼は、最後の晩餐では「イエスの胸もとに寄り」(第13章・第25節)、十字架のそばで、「イエスの母を自分の家に引き取り」(第19章・第27節)、「…わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだ…」(第21章・第22節)と言われたヨハネ福音の著者と言われています。彼は、イエスの愛に気づき、支えられ、復活の証人となったのです。

【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)マグダラのマリアの絵は、必ず香油の壺とドクロが画かれています。
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