新約聖書:マタイによる福音書・第5章・第43〜第48節 [聖書]

「あなた方も聞いているとおり、『あなたの隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしはあなた方に言っておく。あなた方の敵を愛し、あなた方を迫害する者のために祈りなさい。それは、天におられ父の子となるためである。天の父は、悪人の上にも善人の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨を降らせてくださるからである。
自分を愛してくれる者を愛したからといって、あなた方に何の報いがあろうか。徴税人でさえも、そうしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したからといって、何か特別なことをしたことになろうか。異邦人でさえ、そうしているではないか。だから、天の父が完全であるように、あなた方も完全な者となりなさい。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この聖句(イエス・キリストの言葉)の中に出てくる語句を解説しますと、「父」とは、イエス・キリストの父である神様のことです。「徴税人(ちょうぜいにん)」とは文字どおり“税を徴収する役の人”のことですが、当時のシリア州(パレススチナ・イスラエル一帯)は、ローマ帝国の属州となっていましたから、ローマ帝国のために税の徴収を現地のユダヤ人が代理徴収し、しかも実際の金額よりも多く取って詐取(さくしゅ)していましたので、同胞であるユダヤ人から悪人として嫌われていました。

次に「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」とあります。これは、神様が悪人も善人も、まったく同じように平等に扱っておられるというように受け取れますが、決してそうではありません。確かに「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせ」てはいますが、神様はすべての悪人に対し、悔い改めと罪の償いの機会を与えているのです。いつか自分の罪に気づいて、悔い改めて神の子として立ち帰ることができるようチャンスを与えて、そのことに気づくようにイエス・キリストは忍耐強く待っているのですね。

神様は、過ちを犯した罪深い私達を早く立ち直るよう待っておられるのです。そのような人のためにこそ祈らなければならないと説いています。それがたとえ自分を迫害するような者であっても祈れと。このような神様の忍耐強さなくして、人間である私たちはいかにして神の子であり続けることができるでしょうか。しかし、大切なことは自分の過ちや犯した罪に早く気がつくことです。そして、早く悔い改めなければなりません。イエス・キリストは、悔い改めて“完全な者”となりなさいと説いておられます。
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