2022年8月の訪問教会・支援活動記録 [訪問教会・支援活動記録]

今月8月は、コロナ感染症が急拡大した中で、猛暑に見舞われて台風や大雨による災害もあり、大変な一月でした( ̄▽ ̄;) そのような8月でしたが、いろいろなと所を訪問することができました。ありがたいことです。ミサ中の聖歌は、あいかわらす会衆(信徒)全員では歌えませんが、聖歌奉仕活動は、5月から聖歌隊4人一組から5人一組となっています。今月は31日間ある中の30日間(96.7%)を4つの教会・修道院に33回訪問し23回ミサに与って26回ご聖体を拝領させていただきました。なお、ホームレス支援活動は、毎年8月は活動を休止しています。

1日(月)成城教会:平日のミサ・7時から
2日(火)成城教会②:平日のミサ・7時から
3日(水)成城教会③:ロザリオの祈り・6時20分から
4日(木)成城教会④:平日のミサ・7時から
5日(金)町田教会:初金のミサ・10時から
6日(土)成城教会⑤:主の変容の祝日のミサ・16時から
  〃  町田教会:主日のミサ・18時30分から
7日(日)成城教会⑥:主日のミサ・10時から(ミサ欠席・聖歌練習)
8日(月)成城教会⑦:平日のミサ・7時から
9日(火)成城教会⑧:平日のミサ・7時から
10日(水)成城教会⑨:ロザリオの祈り・6時30分から
11日(木)成城教会⑩:平日のミサ・7時から
  〃  麹町・聖イグナチオ教会:お告げの祈り・12時から
12日(金)成城教会⑪:平日のミサ・7時から(先唱奉仕)
13日(土)町田教会②:主日のミサ・18時30分から
14日(日)成城教会⑫:聖母の被昇天の主日のミサ・10時から(聖歌奉仕)
  〃  ミサ中の入信式(転向者の受入式)で代父を務める
15日(月)成城教会⑬:聖母の被昇天の主日のミサ・10時から
  〃  指紋研究家ヘンリー・フォールズの住居跡訪問・12時から
16日(火)成城教会⑭:平日のミサ・7時から
  〃  玉姫公園訪問:10時30分から
17日(水)田園調布教会:平日のミサ・7時から
  〃  麹町・聖イグナチオ教会②:イエズス会聖三木図書館・11時30分から
18日(木)成城教会⑮:平日のミサ・7時から(朗読奉仕代行)
19日(金)成城教会⑯:平日のミサ・7時から(先唱奉仕)
20日(土)成城教会⑰:主日のミサ・16時から
21日(日)成城教会⑱:主日のミサ・10時から(ミサ欠席・聖歌隊全体練習)
22日(月)成城教会⑲:平日のミサ・7時から(朗読奉仕)
23日(火)成城教会⑳:平日のミサ・7時から
24日(水)成城教会㉑:ロザリオの祈り・6時20分から
25日(木)成城教会㉒平日のミサ・7時から
26日(金)成城教会㉓平日のミサ・7時から(先唱奉仕)
27日(土)成城教会㉔:主日のミサ・16時から 
28日(日)………
29日(月)成城教会㉕:平日のミサ・7時から
30日(火)成城教会㉖:平日のミサ・7時から
31日(水)成城教会㉗:ロザリオの祈り・6時20分から
以上です。

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教会日記2022.8.31(カトリック成城・聖タデオ教会「ロザリオの祈り」水曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で6時20分から「ロザリオの祈り」を一環お祈りしました。まだコロナ渦にあるということで、水曜日と土曜日の平日のミサは中止となっていましたが、水曜日だけは9月の第2週から平日のミサが復活します!でも、土曜日はまだお休みです。今日も清々しい朝を迎えています。

「ロザリオの祈り」を終えて、祈願しました。
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
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新約聖書:ヨハネによる福音書・第3章・第16~第21節 [聖書]

「実に、神は独り子(ひとりご)をお与えになるほど、
この世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びることなく、
永遠の命を得るためである。
神が御子(おんこ)をこの世にお遣わしになったのは、
この世を裁くためではなく、
御子によって、この世が救われるためである。
御子を信じる者は裁かれない。
信じないものはすでに裁かれている。
神の独り子の名を信じなかったからである。
その裁きというのは、
光がこの世に来たのに、
人々が、光よりも闇の方を愛したことである。
それは、彼らの行いが悪かったからである。
悪を行う者はみな、光を憎み、光の方に来ない。
その行いが、明るみに出されないためである。
しかし、真理を行う者は光の方に来る。
その行いが神のうちにあってなされたことが、
明らかにされるためである。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

この『ヨハネによる福音書』の第3章・第16~第21節の中でも、最初の部分にある第16節は、新約聖書の中でも引用される機会が最も多い聖句(イエス・キリストの言葉、聖書の言葉)の一つとなっています。
◯第16節
「実に、神は独り子(ひとりご)をお与えになるほど、
この世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びることなく、
永遠の命を得るためである。」

この聖句は、新約聖書全体を一文で要約するとこの聖句になるという意味で、「ミニバイブル(小さな聖書)」と呼ぶ人もおり、同志社大学創立者でクリスチャンの新島襄は、「これは新約聖書の富士の山、富士山である。」といい、宗教改革者のマルティン・ルターは、「これは聖書の縮図、また小さき福音書である。」という言葉を残しています。
また、この聖句は、神様からの一方的な愛のしるしとしての出来事であることを示しています。そして私達の現実がたとえ苦しみ悩み、希望のない空しい暗闇の中にあっても、赤ん坊となってイエス・キリストが誕生なさったことは、光となってその暗闇を照らし輝かせている出来事だということを物語っています。私たちの信仰の本質は、この一節の聖句の中に、完全に示されていると言えるのではないでしょうか。
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