今日の日記2022.8.5(第4回ワクチン接種!) [日記]

今日は、第4回ワクチン接種を13時30分から、自宅近くにある町田市堺市民センター行ってきました。第1回接種と第2回接種は、職場である国士舘大学での職域接種で学生諸君と一緒に行い、ワクチンは2回ともモデルナ社製でした。第3回接種は、自宅近くの小児科病院で行い、ワクチンはファイザー社製でした。今日のワクチンもファイザー社製でした。人によるのでしょうが、ワクチンを接種したからといって、コロナに罹らないという保証はありません。しかし、罹る確率は低くなりますし、たとえ罹ったとしても重症化又は後遺症化する確率も低くなるようです。ワクチンを接種するかどうかの判断は個人の自由ですが、自分が罹って周りの人たちに感染させ、迷惑をかけることだけは絶対に避けたいですね。ですから、私は最低限の自己努力としてワクチン接種を行います。(ただし、接種したくても身体の都合でできない人もいます)
接種済みの缶バッジです!
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教会日記2022.8.5(カトリック町田教会「初金のミサ」金曜日) [教会日記]

今日は、午後に第4回ワクチン接種がありますので、仕事は有給の勤務免除となってお休みをいただいております。早朝から整骨院でリハビリを受け、10時からカトリック町田教会で初金のミサに与りました。町田教会は、今年の4月16日(土)の復活の主日・聖なる復活徹夜祭のミサに与って以来となりました。今日も蒸し暑い一日ですね~( ̄▽ ̄;) 聖堂は、クーラーが効いて涼しかったです!(^◇^)さて、まだ時間に余裕がありますが、とりあえず朝昼兼用ご飯を食べてからワクチン接種会場に向かいます!終わったら次は整体院に行きます!しかし、いくつになっても注射は嫌ですね(⌒-⌒; )

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
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「聖マリア教会の献堂」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日8月5日は、「聖マリア教会の献堂」の記念日です。
聖マリア教会とは、サンタ・マリア・マッジョーレ教会(大聖堂)のことです。
イタリアのローマ市にあるサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂では、聖母が真夏に雪を降らせて聖堂を建てる場所を指示されたことを記念し、毎年この献堂日には、聖堂内で雪の代わりに花びらが舞います。元となる「雪の聖母の伝説」というお話しがあります。
それは、「4世紀ごろ、ローマにジョヴァンニ夫妻という信仰深い裕福な貴族がおり、子供に恵まれなかったことから、自分たちの遺産の相続人に聖母マリア様を選びました。当時の教皇リベリウスは、それを知って夫妻に聖母マリア様に子供を授かる方法を尋ねるよう提案し、夫妻はそれに従いました。352年8月5日の夜、夫妻と教皇リベリウスの夢に聖母マリア様が同時にご出現し、降雪量の少ないローマで雪が降る丘を目印にして、エスクィリーノの丘の頂上に聖母の王冠を建設するよう命じました。」というものです。
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サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、「偉大なる聖母マリアにささげられた聖堂」の意で、名称には二つの意味があります。一つは世界の聖堂の中でも特に重要な教会、まさに母なる教会であるということ。第二にカトリック教会の信仰において、古代より尊重されてきた聖母マリア様への崇敬を表す聖堂であるということです。世界中に聖母マリア様に捧げられた聖堂がありますが、その中で最大のものがサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂です。ローマ教皇の座が、ローマからアヴィニョンに移されていた1309年~1377年の「アヴィニョン捕囚」から教皇がローマに戻ったあと、ラテラノ大聖堂が荒れ果てていたため、一時的にサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂が教皇宮殿として用いられていました。後にバチカンに教皇宮殿がつくられ、教皇はそこに移って現代に至っています。

サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂は、ローマ市内の古代キュベレ神の神殿があった場所に築かれ、数回にわたる改修と1348年の地震に伴う崩壊の危機を乗り越え、ローマのバシリカ様式の聖堂では唯一原構造を残している貴重な建築物となっています。なお、教皇が建築させたローマの四大バシリカ(古代ローマ様式の聖堂)の一つに数えられています。四大バシリカとは、このサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂とサン・ピエトロ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖パウロ大聖堂)です。さらにサン・ロレンツォ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂(城壁外の聖ラウレンティウス大聖堂)を加えて五大バジリカと呼ぶこともあります。
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