今日の日記その二2022.8.28(夕飯!) [日記]

今日は、久しぶりに一歩も家を出ることなく、読書三昧時々昼寝で過ごしました………ということで、夕飯は、塩鮭、具たくさんな豚汁、とろろ、納豆でした!美味しかった〜!(^◇^)
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今日の日記2022.8.28(朝昼兼用ご飯!) [日記]

久しぶりに一日中家にいる日曜日となっています。午後も予定はありませんので、普段から積読となっている本で読書三昧となります。ところで、今日の朝昼兼用ご飯はカレー、煮物とサラダでした!美味かったー!
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『フランシスコ会のロザリオの祈り』のお話し [祈り]

今日ご紹介するお祈りは、『フランシスコ会のロザリオの祈り』です。通常の『ロザリオの祈り』とは違いがあり、使用するロザリオも、5連のロザリオではなく7連のロザリオを使用します。私は、毎日の『ロザリオの祈り』は5連のロザリオを使用しますが、時間のある時は7連のロザリオを使用して、このお祈りを唱えます。では、ご紹介いたします!

カトリック教会の修道会であるフランシスコ会に7連のロザリオを使ってのお祈りがあります。正式には『フランシスコ会の冠(コロナ・フランチェスカーナ)』という名称ですが、その起源は15世紀初頭にまで遡ります。そのころの話しですが、聖母マリア様の美しいご像に、野の花で花輪を作り捧げて祈ることに精神的な喜びを感じていた若者がいました。その若者は敬虔な人で、自分の生涯を神に捧げようとフランシスコ会に入りました。しかし、規律ある修道生活の中で、聖母マリア様のために花を集める時間がなくなり、ついに花輪を捧げることができなくなってしまいました。

ある晩、自分の召し出し(神の弟子になること)に悩んでいた時、聖母マリア様が彼の前にご出現されました。聖母は、若い修練者にフランシスカン精神の素晴らしさを思い起こすよう励まし、『ロザリオの祈り』の新しい形として、聖母マリアの喜びの体験を毎日黙想するように勧めました。黙想によってこの若い修練者は、花輪の代わりに祈りの花輪を編むことができるようになりました。この話しを聞いた他の多くのフランシスコ会士たちはこの祈りを唱えはじめ、瞬く間に修道会全体に広がり、1422年に、この祈りは教会により公式に認められるようになったとのことです。

◯フランシスコ会のロザリオの祈りは方は、次のとおりです。
フランシスコ会のロザリオの祈りは、聖母マリア様の72年(72歳)のご生涯を10年ごとに分けて、聖母の喜びの一つひとつを黙想してお祈りします。各々の黙想とお祈りの仕方は次のとおりです。
まず、通常の5連のロザリオを使っての『ロザリオの祈り』のように、最初に『使徒信条』は唱えません。続く『主の祈り』、『アヴェマリアの祈り』と『栄唱』も唱えません。最初から第一の黙想の後に『主の祈り』を1回唱え、『アヴェ・マリアの祈り』を10回唱えます。これを各黙想ごとの順に繰り返してお祈りします。

第一の黙想(第一連:最初の10年)
神の御子、聖霊によっておとめマリアの胎内に宿られる。

第二の黙想(第二連:次の10年で20年)
聖母マリア、エリザベトを訪れ、エリザベトは神の御子とその御母をたたえる。

第三の黙想(第三連:次の10年で30年)
神の御子イエス・キリスト、ベツレヘムの馬小屋でおとめマリアからお生まれになる。

第四の黙想(第四連:次の10年で40年)
幼子イエス、三人の博士の礼拝と捧げ物を受けられる。

第五の黙想(第五連:次の10年で50年)
聖母マリア、少年イエスを神殿の中で見いだされる。

第六の黙想(第六連:次の10年で60年)
主イエス・キリスト、復活の後、聖母に現れ、聖母を慰められる。

第七の黙想(第七連:次の10年で70年)
聖母マリア、御子によって天にあげられ、天地の女王となられる。

第七の黙想の後、聖母の御年を尊んで『アヴェ・マリアの祈り』を2回唱えます。そして、教皇のご意向に従って『主の祈り』、『アヴェマリアの祈り』と『栄唱の祈り』を1回づつ唱えてお祈りを終わります。70年の後、2つの『アヴェ・マリアの祈り』が追加され、合計72の『アヴェ・マリアの祈り』が唱えられるようになったのは、地上のマリアの年齢が、72歳であったという伝説によるものです。ほとんどのカトリック教会の信徒は、「7つの悲しみ」を黙想することに慣れているかもしれませんが、「7つの喜び」も黙想してみましょう。フランシスコ会では何世紀にもわたってこの伝統を継承しているとのことです。

写真右側のロザリオは、通常の5連(1連は珠10個と+珠1個で、これをX5)ロザリオで、左側のロザリオは7連のロザリオです。7連ロザリオは、四ツ谷にある「サン パオリーノ(修道院製品のお店)」で販売していますが、ない時もありますので、ホームページを見て予めお店に問合わせてください。なお、このお店は、聖パウロ修道会のお店ですが、フランシスコ修道会など他の修道会の製品も販売しています。
https://sanpaolino.jp/
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「聖アウグスティヌス司教教父教会博士」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日8月28日は、聖アウグスティヌス司教教父教会博士の記念日です。
アウグスティヌス(354年11月13日~430年8月28日)は、北アフリカのタガステに生まれました。若いころは放蕩な生活(同棲をして子どもを作ったり………)を送り、マニ教(邪教)に入信しましたが、ついに回心してキリスト教カトリック教会の信仰を受け入れ、387年に現在のイタリアのミラノでアンブロジウス司教(四大ラテン教父・西方の四大教会博士の一人で聖人)から洗礼を受けました。祖国である北アフリカに帰って修道生活を送り、やがてヒッポの司教に選ばれました。以後34年間、模範的な司牧者として説教と多くの著作によって市民を教え導き、当時の邪教や間違った教えに果敢に立ち向かい、深遠な学識をもってキリスト教を宣教しました。

古代キリスト教時代の司祭、神学者、哲学者であり説教者です。“ラテン教父”とよばれる一群の神学者たちの一人で、教会博士の称号を持っています。キリスト教がローマ帝国によって公認され国教とされた時期を中心に活躍し、正統信仰の確立に貢献し、古代キリスト教世界のラテン語圏において多大な影響力を及ぼしました。その思想的影響は、西欧のキリスト教に止まらず、西洋思想全体に及んでいるといっても過言ではありません。アウグスティヌス自身は、プラトン・新プラトン主義、ストア思想に影響を受けていました。すでにギリシア教父はギリシア思想とキリスト教の統合に進んでいましたが、アウグスティヌスにおいて、新プラトン主義とキリスト教思想が統合されたことは、西洋思想史を語る上で外すことができないほど重要なものとなっています。その思想は、近世〜現代の哲学者であるアルトゥル・ショーペンハウアーやフリードリヒ・ニーチェにまで影響を与えているくらいです。

有名なアウグスティヌの著作『告白録』です。この著作は、アウグスティヌスの青年時代の罪深い生活からキリスト教への目覚めをたどっており、40歳くらいまでの自叙伝となっています。西欧において最初期に書かれていた自伝にはよく見られる内容であり、その後中世までおよそ1000年にわたってキリスト教徒の作家に強い影響を及ぼす雛形となりました。
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◯著作名『告白録』
著者:アウレリアス・アウグスティヌス
訳者:宮谷宣史
発行:教文社
初版:2012年2月29日
定価:4,800円+税

………ということですが、私は、恐れ多くもこの超偉大な聖人の御名(みな)を自分の洗礼名にしてしまいました!………あまりにも偉大すぎました!(; ̄O ̄)が、誠に恐れ多いことですが、洗礼名をアウグスティヌスとしたのも、紆余曲折を経てキリスト教に回心した非常に人間臭いところのある、偉大な聖人を尊敬しているからなのです。
フィリップ・ド・シャンパーニュ作の『聖アウグスティヌス』です。1645年頃~1650年頃の作品です。アメリカ・ロサンゼルス市にあるカウンティ美術館に収蔵されています。
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なお、醸造業者、印刷業者、神学者の守護聖人であり、多くの都市の守護聖人ともなっています。カトリック教会、正教会、聖公会、ルーテル教会で聖人となっています。母親のモニカも聖人になっています。日本の正教会(日本ハリストス正教会)では福アウグスティンと呼ばれています。なお、イングランドの初代カンタベリー大司教も同名のアウグスティヌスであるため、聖アウグスティヌスは、これと区別するため「ヒッポの聖アウグスティヌス」と呼ばれています。(「ヒッポ」は、聖アウグスティヌスが司教を務め亡くなった北アフリカ北部の都市名のこと。)

【教父】
教父(きょうふ)とは、キリスト教用語で古代から中世初期、2世紀~8世紀ごろまでのキリスト教著述家のうち、とくに正統信仰の著述を行い、自らも聖なる生涯を送ったと歴史の中で認められてきた人々のことです。古代キリスト教時代に活躍した「四大教父(偉大な4人の教父)」は次のとおりです。
聖アンブロジウス
聖アウグスティヌス
聖ヒエロニムス
聖グレゴリウス1世教皇(大聖グレゴリウス)
【教会博士】
教会博士(きょうかいはかせ)とは、キリスト教カトリック教会おいて、聖人の中でも特に学識にすぐれ、信仰理解において偉大な業績を残した人に送られる称号のことです。
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