教会日記2022.8.19(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」金曜日) [教会日記]

今朝は、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの「平日のミサ」に与りました。今日は、お盆休み明けで仕事が再開されます。今日もすでに暑いですね~(⌒-⌒; ) さて、先週の金曜日の平日のミサから、「先唱(せんしょう)」の担当をすることになり、今日で2回目です。読んで字のごとく、ミサに与っている会衆(信徒)より先に司式中の祈りの祈祷文や言葉を唱える先導役です。例えば、ミサの初めの方にある『あわれみの賛歌』の場合は、次のようになります。

先唱:主よ、あわれみたまえ。
会衆:主よ、あわれみたまえ。
先唱:キリスト、あわれみたまえ。
会衆:キリスト、あわれみたまえ。
先唱:主よ、あわれみたまえ。
会衆:主よ、あわれみたまえ。

……などなど、先唱者が唱えてから、続いて会衆が唱えるというものなど、先唱者の務めはミサをとおしていろいろあります。以前、先唱者が間違うと、ミサの司式が止まってしまうというか、会衆(出席している信徒)が戸惑っていしまいますから、円滑な司式を行うには重要な役割を担うことになります。今日も上手くやれたましたか?な?なお、神父様から、9月第2週から水曜日の平日のミサが復活するとのお知らせがありました。ありがたいことですね。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
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河野進のことば(詩)(第3日目) [キリスト者(クリスチャン)]

『一言』
「一言 足りなかった
悔いは幾度かある
だが いつかわかってもらえた
一言 多すぎた
悔いは幾度もある
だが あっさり忘れてくれても
わたしの心にとげはのこる」

河野進のことは、「河野進のことば(詩)(第1日目)2022.8.7」をご覧下さい。
まったくこの詩のとおりです!私の自戒とする詩です。
いつも「言葉足らず」で後悔するのですが、「一言多い」のは相手を傷つけたり、嫌な思いにさせたりしますからもっと後悔しますね。しかし、私の場合は、やはり「言葉足らず」での後悔が多いのです。「言葉足らず」で誤解を生じさせ、結局は自分自身が後悔することになるのです。
河野氏は、“一言多すぎた”ことは自分の心にトゲが残ると述べていす。どちらも後悔することになるのですが、相手のことを考えると一言多い方が問題ですね。孔子の言葉のとおり「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし」です。足らないくらいでいいのかもしれませんね。
【過ぎたるは、なお及ばざるがごとし】
詳細は、このブログの「過ぎたるは、なお及ばざるがごとしのお話し 2018.12.21」
https://jesus195876.blog.ss-blog.jp/2018-12-21 をご覧下さい。
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