「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。」のお話し [日記]

「過ぎたるは、なお及ばざるがごとし。(すぎたるは なお およばざるが ごとし。)」

このブログの2016年9月22日に掲載した「孔子のことば」を一部加筆・修正して再掲載いたします。
この言葉は、孔子が『論語(ろんご)』で述べている言葉です。意味は「何をするにも、いき過ぎになっていると、それがどんなに良いことでも、むしろ不足ぎみや、不満足な状態と変わらない。過度になってしまうようであれば、むしろ控え目にしている方がよい。」という意味で、“中庸(ちゅうよう)”の大切さを説いています。いつも“お節介焼き”な私の最も自戒とするところですね( ̄◇ ̄;)

『論語』は、孔子の弟子、その弟子の弟子達が、孔子の言葉をまとめたものです。『中庸』とは、儒教の経典で朱子学の〈四書〉の一つです。もともと「礼記(らいき)」のうちの一編で全文3,500余字の書物です。孔子の孫の子思の作とされる書です。この『中庸』の書が説いている、すなわち「かたよることなく常に変わらないこと。過不足がなく調和がとれていること。」の意味です。

この言葉の起源は次のとおりです。
孔子の弟子に子貢(しこう)という人がいました。彼はできる人物でしたが、人物評が好きで、孔子はややもてあましていました。あるとき、子頁は同門弟子の2人を比較して、「どちらが賢明ですか?」と尋ねました。孔子が「A氏の方は度が過ぎているし、B氏の方はやや不足ぎみだ。」と答えると、子貢はすかさず「すると、A氏の方が優れているのですね。」と重ねて尋ねました。

これに対する孔子の答えが、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し。」だったのです。子貢はもちろん学問がよくでき、しかも頭の鋭いA氏の方がB氏より優れているという返事を期待していたのですが、孔子は期待に反して、「同じようなものだよ。」と答えたのです。この返事の中には、ものごとはなんでも、行き過ぎの状態よりも、むしろ謹んだ方がよいという意味が込められています。

この言葉は、孔子が子貢の“小賢しさ”を諫める言葉だったかもしれませんね。この言葉を日常で使いましょうね。度の過ぎる人がいたら、「過ぎたるは、なお及ばざるが如し。」と言ってやってくださいね!
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。