教会日記2022.8.13(カトリック町田教会「主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、土曜日ですから私の所属するカトリック成城・聖タデオ教会は、平日のミサはありません。コロナ渦にあるため、水曜日と土曜日の平日のミサは中止しています。そこで、久しぶりにカトリック田園調布教会や相模原教会の7時からの平日のミサに与ろうと、以前からお盆休みの予定を計画していたのですが、台風第8号の影響で雨の降り方がもの凄く、ミサに与ろことを思い留まってしまったのでした(⌒-⌒; )

そして午後になり、これから台風の影響が本格化して豪雨になるという警戒予報でしたから、小田急線に乗って成城教会での16時からの主日のミサに与ることは難しいと判断し、今日はミサに与るのは止めようと心の中で思った時………「この信仰の薄い者よ。なぜ雨くらいでミサに行くのを止めるのか。」という主の声が、一瞬でしたが耳元で囁かれた感じがしたのです。ドキッ!( ̄◇ ̄;) として心臓がバクバクしました。

それで、今から開式時間に間に合うカトリック教会は?と考えたら、自宅からJR横浜線で一番近いカトリック町田教会での18時30分からの主日のミサがありましたので、ミサに与ることになったしだいです。町田教会は、先週の土曜日に引き続き今月2回目の訪問となりました。
明日は、私が所属するカトリック成城・聖タデオ教会での10時からの「聖母の被昇天の祭日の主日のミサ」の中で「入信式」があり、1人の方の「受入式」と 4人の方の「洗礼の儀」、そして入信された皆さんの「堅信の儀」があります。私は、受入式と堅信の儀でプロテスタント教会からカトリック教会に転向する方の「代父(だいふ)」を務めさせていただくことになっています。また、聖タデオ聖歌隊の5人一組の聖歌奉仕活動もあり、早朝から個人練習&5人での事前練習もあって盛りだくさんなミサとなります( ̄▽ ̄;)
注)「聖母の被昇天」の祭日は8月15日(月)ですが、成城教会では、いつも主日のミサを行う日曜日にあわせて14日(日)に行います。そして、15日(月)10時からも「聖母の被昇天」の祭日のミサを行います。

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
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旧約聖書:詩編・第23編・第1〜第6節 [聖書]

「主は羊飼い、
わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ
憩いの水のほとりに伴い
魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく
わたしを正しい道に導かれる。
死の陰の谷を行くときも
わたしは災いを恐れない。
あなたがわたしと共にいてくださる。
あなたの鞭、あなたの杖それがわたしを力づける。
わたしを苦しめる者を前にしてもあなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ
わたしの杯を溢れさせてくださる。
命のある限り恵みと慈しみはいつもわたしを追う。
主の家にわたしは帰り生涯、そこにとどまるであろう。」
以上は、カトリック教会及びプロテスタント教会などが共同で翻訳した『新共同訳聖書』から掲載しました。

次は、カトリック教会の修道会であるフランシスコ会に附属しているフランシスコ会聖書研究所が翻訳した『原文校訂による口語訳フランシス会聖書研究所訳注聖書』から掲載します。
「主はわたしの牧者。
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に憩わせ、
わたしを静かな水辺に伴い、
魂を生き返らせ、
み名にふさわしく正しい道に導かれる。
わたしは死の影の谷を歩む時でさえ、
災いを恐れない、
あなたがともにおられるから。
あなたの杖、あなたの牧杖こそ、わたしを安心させる。
あなたは敵の見ている前で、わたしのために食事を調え、
わたしの頭に香油を注がれた。
わたしの杯は溢れた。
恵みと慈しみは生涯わたしに伴う。
わたしは主の家にとこしえに住む。」

新共同訳とは所々のく訳に違いがありますね。私は、フランシスコ会訳の方が親しみやすくて好きです。この部分は主(神)への賛歌で、キリスト教だけでなく、ユダヤ教でも有名な祈りとなっています。
このブログで以前にご説明しましたが、キリスト教では「旧約聖書」と言っていますが、ユダヤ教では聖書です。つまり、キリスト教の聖書は、「新約聖書」と「旧約聖書」を合わせて聖書といいますが、ユダヤ教は、聖書と言えばキリスト教でいうところの「旧約聖書」を指します。要は、キリスト教の「旧約聖書」は、ユダヤ教の聖書(内容はほとんど同じ)をもちいているということです。
また、この部分はカトリック教会のミサの中で歌われる「典礼聖歌集第123番」になっています。主(神)が牧者(羊飼い)で、私たち信徒が羊ということですね。なにもかも主(神)に委ね、主の恵みと慈しみに身をまかせること。これは祈りの言葉であり、私たちの信仰告白でもあります。
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