今日の日記2022.8.14(しゃぶしゃぶ!) [日記]

今夜は、娘夫婦と4人で会食でした。料理は「しゃぶしゃぶ」です。このお盆休みは、休み前からコロナ感染者が増加していたこともあり、遠出することはやめて家族で会食するだけに留めました。霜降りの国産高級牛肉です。しゃぶしゃぶは美味しいですね〜!(^◇^)
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教会日記2022.8.14(カトリック成城・聖タデオ教会「聖母の被昇天の祭日の主日のミサ」日曜日) [教会日記]

今日は、カトリック成城・聖タデオ教会で、10時からの「聖母の被昇天の祭日の主日のミサ」に与りました。ミサの中で「入信式」があり、1人の方の「受入式」と4人の方の「洗礼の儀」、そして「堅信の儀」が行われました。私は受入式と堅信の儀で、プロテスタント教会からカトリック教会に転向された方の「代父(だいふ)」を務めさせていただきました。私はもちろん当の本人ではないのですが、なぜか久しぶりに緊張しました~聖堂は涼しいのに汗が出ました~( ̄▽ ̄;) 聖歌奉仕も同時並行であり、聖堂最後部2階の聖歌隊席と聖堂最前列の入信者・代父母席を、ミサの司式を確認しながら行ったり来たりで大変でしたが、これがまた緊張感を生む要因になりました。

また、聖歌隊による聖歌奉仕もあり、5人一組で聖歌を歌いました。午前8時20分から信徒館の2階で個人練習をし、9時から5人揃っての事前練習、10時から本番でした。答唱詩編の「神に向かって」は、7月31日(日)の主日のミサでのアレルヤ唱に引き続いて私の独唱でした………が、途中で喉が詰まり、詩編の一節を歌えませんでした( ̄◇ ̄;) 敗因は、ミサの直前に顆粒状の喉の薬を飲んだことです。 まったくの逆効果でした(⌒-⌒; ) それに、追い討ちをかけるように「拝領の歌」の歌う番号順を間違えるというミスを犯してしまい、痛恨の極みであります!皆さんにご迷惑をおかけしましたm(_ _)m 聖歌隊員としては最悪の聖歌奉仕となりました。なんのために朝早くから練習したのか( i _ i )

聖歌奉仕の聖歌は、次のとおりです。
入祭の歌:典礼聖歌集・第172番「私たちは神の民」(1)
答唱詩編:典礼聖歌集・第6(1)7(1)番「あなたの息吹を受けて」
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第273番24C
奉納の歌:典礼聖歌集・第81番(3)「神よ私に目をそそぎ」
拝領の歌:典礼聖歌集・第63番「神は恵みあわれみに満ち」
以上です。

なお、「聖母の被昇天」の詳細については、このブログに明日掲載する「聖母の被昇天のお話し」をお読みください。

ミサでは、「聖母の被昇天」の祭日をお祝いしてお祈りしました。
そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
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「聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者」のお話 [聖人・福者・尊者]

今日8月14日は、聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日です。
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「憎しみからは何も生まれません。
愛だけが創造するのです。
苦しみは私たちを消滅させません。
私たちの霊が主(神)の前にもっと強くなれるよう、助けてくれるのです。」

聖マキシミリアノ・マリア・コルベ(ポーランド:1894年~1941年) は、ポーランド人のキリスト教カトリック教会の司祭で、悪名高いナチス・ドイツのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(通称:アウシュヴィッツ捕虜収容所)で、「餓死刑」に選ばれた男性の身代わりとなったことで知られています。「アウシュビッツの聖者」と言われています。キリスト教カトリック教会では、聖人に列せられています。
この言葉は、イエス・キリストの説く「愛」と「赦し」ですね。動乱の時代にご苦労をされ、一命を投げ出して自己犠牲されたコルベ神父様でこその言葉だと思います。ちなみに、カトリック多摩教会の守護聖人は、聖コルベ神父様です。多摩教会には「聖コルベ神父の遺物」が安置され、崇敬の念を集めています。この聖遺物は長崎で剃られた顎ひげで、ポーランドの修道院に保管されていた一部をいただいたものです。

コルベ神父と日本はご縁があって、コルベ神父が中国での宣教を考えていたところ、当時ローマに留学していた神学生の里脇浅次郎(後の長崎教区大司教及び枢機卿)に「中国へ布教に行きたいがどうしたら良いでしょうか。」と尋ね、里脇神学生は「中国は政情が不安定だから、しばらく日本で待機したらどうですか。」と日本行きを勧めたのがきっかけでした。1930年に日本(長崎)に上陸し、2ヶ月後には日本語版の「無原罪の聖母の騎士」誌(宣教の機関誌で現在も発刊中)の出版を開始し、翌年には聖母の騎士修道院を設立しています。

1936年にポーランドのニエポカラノフ修道院の院長に選ばれたため、母国であるポーランドに帰国して出版やラジオなどを通じて、精力的な布教活動を展開していました。ところが、1941年にナチス・ドイツの秘密警察機関であるゲシュタポから、コルベ神父が発行していた「無原罪の聖母の騎士」誌や日刊紙が、ナチス・ドイツに対して批判的なものでると因縁をつけられ、4人の神父と共に逮捕されてしまいました。そして、ユダヤ人を何十万人も毒ガス室で殺した悪名高い「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」に送られてしまいます。

劣悪な環境の中で毎日重労働に従事していましたが、1941年7月末、収容所からの脱走者が出たことで、懲罰として無作為に選ばれた10人が餓死刑(がしけい)に処せられることになり、その10人の内の一人であったフランツェク・ガイオニチェクというポーランド人軍曹が、「私には妻子がいる!」と叫びました。この声を聞いた時、その場所にいたコルベ神父は「私が彼の身代わりになります。私はカトリック司祭で妻も子もいませんから。」と申し出ました。収容所の責任者はこの申し出を許可し、コルベ神父と9人の囚人は地下牢の餓死室に押し込められました。
通常は、餓死刑に処せられると、その牢内において受刑者たちは飢えと渇きによって錯乱状態で死ぬのが普通でしたが、コルベ神父は全く毅然としており、他の囚人を励ましていたそうです。時折牢内の様子を見に来た通訳のブルーノ・ボルゴヴィツは、牢内から聞こえる祈りと歌声によって餓死室は聖堂のように感じられた。と証言しています。2週間後、収容所の責任者は、コルベ神父を含む4人にまだ息があったため、フェノールを注射して殺害しました。

もっと詳しく知りたい方のために、次の書籍(文庫本)をご紹介いたします。あまりにも悲しい実話に涙を流さない方はいないと思います。
『聖者マキシミリアノ・コルベ』(聖母文庫)
著者:アントニオ・リッチャルディ-、 訳者:西山達也 、出版:聖母の騎士社
『アウシュビッツの聖者コルベ神父』(聖母文庫)
著者:マリア ヴィノフスカ、訳者:岳野 慶作、出版:聖母の騎士社
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