教会日記その二2022.8.7(教会活動) [教会日記]

先日、このブログに書きましたが、現在、カトリック成城・聖タデオ教会に所属して、いろいろなお役目を仰せつかっています。まず、①平日のミサで、毎月第三月曜日の「第一朗読」の担当、次に、②平日のミサで、毎週金曜日の「先唱」の担当、そして、③主日のミサで、聖歌隊としての「聖歌奉仕」の担当、④教会運営委員会広報部員としての編集・原稿起案の担当、⑤今月8月14日の入信式(洗礼式)における「代父」の担当の以上5つのお役目です。いつの間にか増えていました(⌒-⌒; )

今まで、仕事である大学(学校法人職員)では、課長・部長と昇格し、大学の全国同窓会本部理事、職場の職員組合副委員長を務め、学生の課外活動部の3つのクラブの部長・監督を務めました。社会活動では、一般社団法人全日本吹奏楽連盟理事・正会員、東京都大学吹奏楽連盟理事長、東京都吹奏楽連盟副理事長、全日本学生吹奏楽連盟副理事長、関東学生居合道連盟OB会副幹事長などなどを務め、子どもが中学生の時は中学校のPTA会長、高校生の時は高校の保護者会の会長を務めていました。教会では、前に所属していたカトリック町田教会で、運営委員会委員長(町田教会では議長という名称)を務めました。まぁ、少々やり過ぎですね(⌒-⌒; )

しかし、4年前の還暦60歳を迎えた時に、仕事の役職以外はすべて辞めました(1/2はすでに辞めていました)。皆さんは、これを見ると「目立ちたがり屋・やりたがり屋」だと思われるかもしれませんが、決してそうではありません。だだ、人からたびたびお願いされると、とにかく「断れない性格」で、余計な「正義感」が出てきて、後のことを考えずについつい引き受けてしまうのです。今考えると、これは自分の実力・能力のなさを無視した、無責任な行為であったと反省するしだいです。でも、決して後悔はしていません。

ある意味、他人のために働いていた私は、家庭はどうだったかというと、子どもが小さい頃から「家庭サービス」という言葉からははど遠く、社会活動で毎週土曜・日曜は朝から夜遅くまで家にいないものですから、ご近所からは一時期「母子家庭」と思われていました( ̄◇ ̄;) それでも、私をいつも理解して応援してくれた妻と娘には、感謝感謝の大感謝です………ということで、還暦60歳を超えて、仕事以外はまったくのフリーとなったはずでしたが、またいろいろとお願いごとを頼まれています。でも、これは神様のお導きだと思うのでです。

主イエス・キリストの教えは「隣人への愛と赦し」、そして「善き行い」です。喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣くこと。弱い人や貧しい人に寄り添うことです。助けを必要としている人に力を尽くすことです。自分を愛するように隣人を愛することです。私が善き行いとして実践している「ホームレス支援活動」もそうですが、困っている人たちに寄り添う行いは、救いをもたらすことができます。この善き行いが伴って初めて信仰と言えるのです。大切なことは自分ではなく他者への愛です。それを実践することが福音を述べ伝えることになるのですね。それが、私たちキリスト者の使命であり宣教であると確信しています。
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教会日記2202.8.7「聖歌練習(聖歌奉仕活動)」 [教会日記]

今日は、朝は自宅でゆっくりし、カトリック成城・聖タデオ教会の主日のミサが終わってから、10時30分過ぎからの聖歌練習だけに参加しました。今日の「年間第19主日のミサ」は、昨夜、カトリック町田教会で与っています。練習したのは、再来週(8月14日)の「聖母の日昇天の主日のミサ」で担当する5人一組の聖歌隊です。4人一組だったのですが、5月から一人増えて5人一組となりました。早く会衆(信徒)全員で歌えるようにお祈りいたします。

教会事務所前通路にある「三位一体」のステンドグラスです。
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練習した聖歌は、次のとおりです。
入祭の歌:典礼聖歌集・第407番「マリアさまのこころ」
答唱詩編:典礼聖歌集・第36番「神のいつくしみを」、2、4番
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第276番「教会献堂・聖母・聖人祝日 アレルヤ唱(2)
奉納の歌:カトリック聖歌集・第322番「あめのきさき」
拝領の歌:典礼聖歌集・第182番「わたしは神をあがめ(5)」
以上です。
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河野進のことば(詩)(第1日目) [キリスト者(クリスチャン)]

『病まなければ』
「病まなければ 捧げ得ない悔い改めの祈りがあり
病まなければ 聞き得ない救いのみ言葉があり
病まなければ 負い得ない恵みの十字架があり
病まなければ 信じ得ないいやしの奇跡があり
病まなければ 受け得ないいたわりの愛があり
病まなければ 近づき得ない清い聖壇があり
病まなければ 仰ぎ得ない輝く御顔がある
おお 病まなければ 人間でさえあり得なかった」

『病む』
「病まなければ 聞き得ない慰めのみ言葉があり
病まなければ 捧げ得ない真実な祈りがあり
病まなければ 感謝し得ない一杯の水があり
病まなければ 見得ない奉仕の天使があり
病まなければ 信じ得ない愛の奇跡があり
病まなければ 下り得ない謙遜の谷があり
病まなければ 登り得ない希望の山頂がある」

河野 進(こうの すすむ・和歌山県・1904年~1990年)は、キリスト教プロテスタント教会の牧師で詩人です。通称は「玉島の良寛さま」です。満州教育専門学校、神戸中央神学校で学び、玉島教会において牧師となりました。賀川豊彦より、岡山ハンセン病療養所での慰問伝道をすすめられて50年以上携わり、「インド救ライセンター」設立運動、またマザー・テレサに協力する「おにぎり運動」に尽力しました。日本基督教団玉島教会名誉牧師、日本キリスト教救ライ教会理事、社会福祉法人恵聖会(養護施設岡山県立玉島学園・保育施設富田保育園)理事長を務めました。「聖良寛文学賞」を受賞しています。

人間は、大病してやっと大切なことに気が付くのですね。直にでも謙虚にもなれるものです。数年前、友人が救急車で病院に運ばれました。医師の話しでは、病院に駆けつける時間が少しでも遅かったら、命があったかどうか分からないということでした。友人曰く「すべてものの見方が変わった。何でもありがたく思うようになった。」とのことでした。生死を彷徨う(さまよう)経験をすると、その後の生き方や見方が違ってくるのですね。私の最も自戒とするところです。
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