教会日記2022.9.14(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]
今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会での7時からの平日のミサに与りました。天気予報では、31度を超える気温になるとのことでした。熱中症に注意です!今朝も清々しい朝を迎えています。
ミサでは、「十字架称賛」の祝日をお祝いしてお祈りしました。
そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
ミサでは、「十字架称賛」の祝日をお祝いしてお祈りしました。
そして、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と主を讃えて、
続いて
「天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。
アーメン」
とお祈りしました。
続いて、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」と祈り、
そして、同僚の病と同じ病の私が親しくしているご婦人のお二人が癒されるようお祈りしました。
終わりに、『大天使聖ミカエルへの祈り』をお祈りしました。
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
とお祈りしました。
「十字架称賛」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]
今日9月14日は、「十字架称賛(じゅうじかしょうさん)」の祝日です。
人々の救いと勝利の希望であるイエス様の十字架を思い起こす祝日です。十字架の崇敬は、335年にイエス様のお墓の上に立てられた復活聖堂の献堂の祝典に関連して定められたと言われています。エルサレムでは、すでに5世紀から復活聖堂の献堂を記念する9月13日の翌日に、キリストの十字架を礼拝する習慣がありました。これは次第に東方教会全体に広まっていきましたが、西方教会(ローマ典礼)にこの習慣が取り入れられたのは 7世紀になってからです。
十字架上で、イエス様は多くの人々の罪のあがないのために、ご自身を生け贄(いけにえ)として捧げられました。ですから、イエス様の十字架は、私たちにとって新しい命への出発点ともなったのです。この十字架は、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(新約聖書:コリントの信徒への手紙第二・第1章・第18節)と書かれています。
◯祈り
「聖なる父よ、
あなたは人類の救いのために、
御ひとり子が十字架をになうようにお定めになりました。
十字架の神秘を信じるわたしたちが、
永遠にその勝利にあずかることができますように。
アーメン」
人々の救いと勝利の希望であるイエス様の十字架を思い起こす祝日です。十字架の崇敬は、335年にイエス様のお墓の上に立てられた復活聖堂の献堂の祝典に関連して定められたと言われています。エルサレムでは、すでに5世紀から復活聖堂の献堂を記念する9月13日の翌日に、キリストの十字架を礼拝する習慣がありました。これは次第に東方教会全体に広まっていきましたが、西方教会(ローマ典礼)にこの習慣が取り入れられたのは 7世紀になってからです。
十字架上で、イエス様は多くの人々の罪のあがないのために、ご自身を生け贄(いけにえ)として捧げられました。ですから、イエス様の十字架は、私たちにとって新しい命への出発点ともなったのです。この十字架は、「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です」(新約聖書:コリントの信徒への手紙第二・第1章・第18節)と書かれています。
◯祈り
「聖なる父よ、
あなたは人類の救いのために、
御ひとり子が十字架をになうようにお定めになりました。
十字架の神秘を信じるわたしたちが、
永遠にその勝利にあずかることができますように。
アーメン」