教会日記2020.12.24(カトリック成城・聖タデオ教会「主の降誕夜半のミサ」木曜日) [教会日記]

今日は、カトリック成城・聖タデオ教会の18時からの「主の降誕夜半のミサ」に与りました。ついにイエス・キリストの降誕(誕生)を祝う日がやってきました!今夜の教会での挨拶は「こんばんは」ではなく、「おめでとうございます!」です。成城教会での主の降誕夜半のミサは、16時、18時、20時、22時の4回、明日25日(金)の主の降誕日中のミサは、 8時30分、10時、12時、14時の4回開催されます。なお、本年は対象を当教会所属信徒と求道者に限定しています。いずれも事前申し込みが必要で、郵送、電話及びメール等での申込みはできません。教会受付において受付していますが、すでに聖堂は満員のようです。信徒ホールは不明ですのでホームページをご覧ください。事前申し込みされていない場合は、ミサに与ることができませんのでご注意ください。成城教会ホームページ(行事日程):https://www.seijo-church.com/event/

イエス様は、24日の夜半から25日にかけてお生まれになったことになっています。ここで、毎年、主の降誕夜半のミサでの福音朗読となっている、新約聖書の「ルカによる福音書」からイエス・キリスト誕生の場面を画いた箇所を掲載します。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第1~第20節
「そのころ、皇帝アウグストゥスによって、全世界の住民に登録をせよとの勅令が発布された。この登録は、キリニウスがシリア州の総督であった時に行われた、最初のものであった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰っていった。
ダビデ家とその血筋に属していたヨセフも、すでに身籠もっていた、いいなづけのマリアを伴って、登録のために、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
ところが、二人がそこにいる間に、出産の日が満ちて、マリアは男の子を産んだ。そして、その子を産着にくるみ、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には、彼らのために場所がなかったからである。
さて、その地方では、羊飼いたちが野宿をして、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の使いが羊飼いたちのそばに立ち、主の栄光が彼らの周りを照らし出したので、彼らはひどく恐れた。み使いは言った。「恐れることはない。わたしは、民全体に及ぶ、大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見出すであろう。これが徴である」。すると突然、み使いに天の大軍が加わり、神を賛美した。

「いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人に平和」

み使いたちが離れて天に去ると、羊飼いたちは語りあった。「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださった、その出来事を見て来よう」。そして、彼は急いで行き、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあてた。それを見た羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを、人々に知らせた。羊飼いたちが語ったことを聞いた人々はみな不思議に思った。しかし、マリアはこれらのことをことごとく心に留め、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、ことごとく告げられたとおりだったので、神をほめたたえ、賛美しながら帰っていった。」

ベツレヘムの宿屋は、どこも満員で泊る場所がなかったので、夫のヨセフと妻のマリアの夫婦は、馬小屋(家畜小屋のこと・一説には洞窟とも)で夜を明かすことになりました。しかし、妻のマリアは月が満ちて不安のなかで初めての子を産み、布に包んで飼い葉桶に寝かせました。寝ているその子を夫のヨセフが心配そうに見守っていたころ、羊飼い達は野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていました。暗闇に目を凝らしながら、外敵から羊の群れを守っている彼らには、町の賑わいも温かな団欒(だんらん)も縁遠いものでした。
仕事の都合上、律法で定められている戒めを守るのも大変だった羊飼い達は、罪深い者と見なされて裁判での証言も許されませんでした。安心して生活する場所もなかった人達だったのです。そのような羊飼い達に、その夜、主(しゅ)のみ使いが近づき、主の栄光があたりを照らしました。羊飼いに“主のみ使い”を通して、神様が近づいて来て下さったのです。荒野(あれの)をさすらい、故郷といえるところも安住の地もない孤独な羊飼い達に、神様が近づき、喜びの言葉が告げられたのでした。それが……、

「今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった!」

というメッセージです。この言葉に羊飼い達は非常に驚き恐れます。そんな羊飼い達に天使は、「恐れるな」と告げ、繰り返し「あなたがたのために」、そして「あなたがたへ」と強調します。それは、この出来事が他の誰でもなく、羊飼い達のように罪深い者とされて虐げられ、いつも不安な生活を強いられている弱い立場の人達に告げられた神様の出来事だったからですね。
み使いをとおして神様が伝えたいのは「平和・平安」です。民全体に神様がお与えになりたいのは、「大きな喜び」です。暗闇ではなく光、絶望ではなく希望、そして赦しです。それを神様は、イエス・キリストをとおして羊飼い達からすべての人達にお与えになりたいのですね。羊飼い達は、この「不思議な出来事」を知らせてくれたみ使いに、天の大群が加わって神を讃美する歌声を聴きいたのです。それが……、

「いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人に平和」

天の大軍が自分たちに向けて「み心にかなう人」と力強く声高らかに歌うのを聴いて、羊飼い達はどんなに嬉しかったことでしょうか。どんなに慰められたことでしょうか。羊飼い達は、この時、初めて「あなたがたは罪人ではなく神さまのみ心にかなっているのですよ。」と言われたのです。神様は、はっきりと「み心にかなう人である」と言い切って受け入れて下さっているのです。
この言葉は、主イエス・キリストがお生まれになって以来、2000年の時を越えて、現在に至るまで、すべて人間に告げられている神さまの宣言なのです。ですから、降誕祭(こうたんさい:クリスマス・25日)は、最高に喜ばしい最高に嬉しいことなのですね。イエス・キリストはこの恵みと祝福をすべての人間にお与え下さるためにお生まれになり、それに生涯をささげられたのです。

成城教会聖堂入口上にあるクリスマス・リースです。
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ミサでは、成城教会『聖タデオ聖歌隊(人数4人・曲数3曲の制限付き)』の一員として、入祭の歌「典礼聖歌集第305番:やみに住む民は光を見た」、奉納の歌「讃美歌:神のみ子は今宵しも(Adeste, Fideles)」、そして、拝領の歌「教会聖歌集:きかせてください」を歌いました!降誕祭に歌えることができて最高ですね!
そして、主のご降誕をお祝いしてお祈りしました。
ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんが健康な身体になり、元気に学校に通えるようお祈りしました。
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パブロ・ピカソのことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「女の顔はキャンバスだ!毎日女は少しだけ若い自画像をそこに描いている。」

ピカソのことは、[パブロ・ピカソのことば(第1日目)20120.12.23」をご覧下さい。
この言葉はシャレてます!これは女性のお化粧のことを言っているのですね。ピカソは洒落っ気のある人だったのですね。
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