職場のデスク:その132(クリスマス飾り!その2) [職場のデスク&カウンター]

職場のカウンター上には、恒例のクリスマス飾りです!前回12月2日に掲載した時よりもバージョンアップして、クリスマス・ツリーは電飾され、サンタさんが増えています。特にネコサンタさんが増えましたね~。左側の体操をしているようなサンタさんは、商品名「ヨガサンタ」といいます。体操ではなくヨガなのですね( ̄▽ ̄;)
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教会日記2020.12.16(カトリック成城・聖タデオ教会「平日のミサ」水曜日) [教会日記]

今日も出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会の7時からの平日のミサに与りました。待降節第三主日の週を迎えています。今朝のミサで6月20日(土)のミサ再開から180日目となり、連続180日間ミサに与ったことになります!そして、3日後の19日(土)には183日目、つまり半年連続してミサに与ったことになります!スゴイ!さて、今日も東京は今季最低気温を更新して2度となっていますが、私が住んでいる町田市相原町の今朝の気温は0度~-2度くらいですねΣ( ̄ロ ̄lll) 寒くても清々しい朝を迎えています!

ミサでは、ご聖体を拝領させていただいたことを主(神様)に感謝申し上げ、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
天におられる私達の父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私達の主イエス・キリストによって。アーメン」
と気持ちを込めてお祈りしてきました。
また、行方不明となっている小学2年生の小倉美咲ちゃんが、元気な姿で両親の元に帰れるようにお祈りし、同僚の病が癒されますように、同僚のお嬢さんが健康な身体になり、元気に学校に通えるようお祈りしました。
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クリスマス特集2020・その11「キャンドル・サービス」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今年もこのブログに「クリスマス特集」を掲載する季節になりました。数年前からこの時期の恒例となっていますが、昨年(2019年)の掲載記事を今年も掲載させていただきます。今日は、その11「キャンドル・サービス」のお話しです。
写真は、カトリック麹町・聖イグナチオ教会大聖堂で行われた「降誕祭・主の降誕夜半のミサ」でのキャンドル・サービスの風景です。一人一人が手に灯されたローソクを持っています。
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キャンドル・サービスと聞くと結婚披露宴が思い浮かびますが、「サービス」(service)は「礼拝」という意味です。教会でキャンドルを灯して礼拝するのが本来のキャンドル・サービスなのですね。ちなみに英語では「キャンドルライト・サービス」と呼ぶのが一般的だそうです。世界各国のすべての教会でと言っていいほど、「主の降誕夜半のミサ」でキャンドル・サービスが行われますが、最近では、ローソクの火が参加者の衣服に燃え移るなどの事故もあり、キャンドル・サービスをしない教会も出てきました。化繊の衣服は、あっという間に燃え上がりますからね。

その起源は古く、4世紀の半ばまでさかのぼり、そのころ行われていた2月2日の「主の奉献の祝日」に、祝別したローソクを会衆に分かち合うキャンドルミサが始まりだといわれています。ローマのカトリック教会では、この日を「聖母マリアのきよめの日」として祝っていました。これは、世の光であるイエス・キリストが神殿で神にささげられたことを記念するためです。聖書には、キリストの降誕を「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた」と記しています。キャンドルの火は、この世に希望と喜びをもたらすイエス・キリストだったのですね。

「主の降誕夜半のミサ」で行われるキャンドル・サービスは、モラヴィア教会で1747年に子ども達によって行われていたものが、北ヨーロッパから海を渡って北米に広まったものだそうです。クリスマス・イブのキャンドル・サービスは、「世の光」としてこの世に来られたイエス・キリストの誕生を祝って行われるものです。そして、灯したローソクの光に託して、私たち一人ひとりの心の中にも「世の光」であるイエス・キリストが誕生するように願い、このキリストの光によって照らされた私たちが、この世の闇を照らす光となることができますようにと祈りします。

『祈り』
「聖なる父よ、
あなたはこの神聖な夜を、
まことの光キリストによって照らしてくださいました。
やみに輝く光を見たわたしたちが、
その喜びを永遠に歌うことができますように。
アーメン」

◯新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第22~第38節
「さて、モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。それは主の律法に、「初めて生まれる男子は皆、主のために聖別される」と書いてあるからである。また、主の律法に言われているとおりに、山鳩一つがいか、家鳩の雛二羽をいけにえとして献げるためであった。
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。そして、主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない、とのお告げを聖霊から受けていた。 シメオンが“霊”に導かれて神殿の境内に入って来たとき、両親は、幼子のために律法の規定どおりにいけにえを献げようとして、イエスを連れて来た。
シメオンは幼子を腕に抱き神をたたえて言った。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです。」 父と母は幼子についてこのように言われたことに驚いていた。
シメオンは彼らを祝福し、母親のマリアに言った。「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり立ち上がらせたりするためにと定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。――あなた自身も剣で心を刺し貫かれます――多くの人の心にある思いがあらわにされるためです。」
また、アシェル族のファヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。非常に年をとっていて、若いとき嫁いでから七年間夫と共に暮らしたが、夫に死に別れ、八十四歳になっていた。彼女は神殿を離れず、断食したり祈ったりして、夜も昼も神に仕えていたが、そのとき、近づいて来て神を賛美し、エルサレムの救いを待ち望んでいる人々皆に幼子のことを話した。」
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