「幼児殉教者」のお話し [キリスト教関係事項・用語等]

今日12月28日は、「幼児殉教者」の祝日です。
この幼児殉教者(幼児虐殺)は、新約聖書の『マタイによる福音書』の第2章・第16節~第18節に記載されているエピソードです。“新たにユダヤ人の王となる子”(イエス・キリストのこと)がベツレヘム(ベトレヘム)に生まれたと聞いて怯えたユダヤの支配者ヘロデ大王が、ベツレヘムで2歳以下の男児を全て殺害させた出来事のことです。
◯イタリアの中世後期の画家ジョット・ディ・ボンドーネ(イタリア:1267年頃~1337年)作の「幼児虐殺」です。1304年ごろの作です。
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新約聖書には、次のとおり記載されています。
◯新約聖書:マタイによる福音書・第2章・第1~18節
<博士たちの来訪>
「イエスがヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私たちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は祭司長たちや民の律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、
あなたはユダの指導者たちの中で、
決して最も小さなものではない。
あなたから一人の指導者が現れ、
私の民イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは博士たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、こう言ってベツレヘムへ送り出した。「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。私も行って拝むから。」
彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子がいる場所の上に止まった。博士たちはその星を見て喜びに溢れた。
家に入ってみると、幼子が母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。 」
『聖書協会共同訳聖書』から
<エジプトへの避難>
さて、博士たちが立ち去ると、夢の中で主の使いがヨセフに現れて言った。「起きよ。幼子とその母を連れて、エジプトに逃げよ。そして、わたしが告げるまで、そこに留まれ。ヘロデが幼子を探し出して、殺そうとしている」。ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母とを連れてエジプトへ逃れ、ヘロデが死ぬまでそこに留まった。これは主が預言者を通して「わたしはわが子をエジプトから呼び出した」と仰せになったことが成就するためである。
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
<ヘロデによる幼児殺害>
さて、ヘロデは博士たちに欺かれたと知って、非常に怒った。そして人を遣わし、博士たちから確かめた時に基づいて、ベツレヘムとその地方一帯にいる、二歳以下の男の子をことごとく殺させた。こうして、預言者エレミヤを通して言われたことが成就した。預言者はこう言っている。
「ラマで声が聞こえた。
大きな嘆きと悲しみが。
ラケルは子らのために泣き、
慰めを受けつけようともしない。
もはや子らがいないから」。
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
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今日の日記2023.12.(G-SHOCK腕時計!) [日記]

腕時計の中で最も興味のないのが、カシオのデジタル時計ジーショック(G-SHOCK)でした。今まで、セイコーとシチズンの腕時計をいくつか使ってきましたが、すべてアナログタイプのものでした。15年ほど前から鉄道時計(懐中時計)を使うようになり、数年前に高級時計のグランドセイコー(通称GS)を使うようになりましたが、いずれにしても、今まで使ってきたのは、すべて時計に文字盤と指針のあるアナログ時計です。

それが、何を間違ったか一番嫌っていたジーショックを使うようになってしまいました。さすがに仕事には使いませんが、ビジネスシーン以外はすべてジーショックを使っています。理由は、①G-SHOCKというだけって衝撃に強い。②時間を確認するのにデジタルの方が分かりやすい。③ジーショックは外側は樹脂製ですので、軽くてキズや水洗いなどを気にせず使いやすいということです。なんといっても気軽に使えるのが一番です!
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私のジーショックは、6900シリーズといって、1995年の発売とともにジーショックの3代目のモデルとして人気を博しました。約30年ほど経っていますが、現在も定番モデルとしてロングセラーとなっています。ラウンドフォルム、トリグラフ、フロントボタンなど、全体的なデザインはそのままで、機能面などは進化しています。税込み13,200円(家電量販店なら10,500円)です。唯一のカジュアル系腕時計ですから長く使います。
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教会日記2023.12.27(カトリック成城・聖タデオ教会「聖ヨハネ使徒福音記者の祝日のミサ」水曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時から「聖ヨハネ使徒福音記者の祝日のミサ」に与りました。昨日が「仕事納め」で、今日は交替勤務で出勤です。年を越せば、3月末の定年退職まであと3か月となります。4月1日以降(実質10月1日以降)の再就職場所によっては、所属教会を替えなければならないかもしれません………ね( ̄▽ ̄;) まぁ、遠くになっても通える距離なら成城教会にいたいですね(^◇^)なお、今日のミサに成城教会の中高生会の皆さんも来ていました。昨夜から教会の信徒館にお泊まり?して中高生会のクリスマス会があったようです。

ミサでは、「聖ヨハネ使徒福音記者」の祝日をお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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「聖ヨハネ使徒福音記者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日12月27日は、「聖ヨハネ使徒福音記者」の祝日です。
イエス・キリストの12使徒(弟子)の一人、ゼベダイの子使徒聖ヤコブの兄弟で、使徒聖ペテロと使徒聖ヤコブと共に、イエス・キリストの<主の変容>、<ゲッセマネでの祈り>や<イエス・キリストの磔刑>など、重要な場面では必ず証人として立ち会っており、聖霊降臨の後は、使徒聖ペトロと共にエルサレム教会の指導者でした。特にイエス・キリストに愛された弟子でした。
◯私の大好きな画家のエル・グレコの「福音書記者聖ヨハネ」です。スペイン・マドリードにあるプラド美術館蔵です。絵の左下の盃に龍のような生物が入っているようですが、これは、聖ヨハネを描く際のアトリビュートになっています。聖ヨハネがエフェソで宣教活動をしている時に、盃に毒を入れられたにもかかわらず、無事であったという故事に基づいています。
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今日のミサでの朗読は『ヨハネの第一の手紙』の初めが読まれ、『ヨハネによる福音』の冒頭を想起させます。『ヨハネによる福音書』の第1章・第1節には、「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった」とあり、「初め」、「言」、「共に」は、ミサの朗読にも使われています。これは、キリストが天地創造の初めから存在していたことを私たちに知らせています。
第1節~第2節でこのキリストがこの世に誕生し、人間として生きたことが述べられています。「わたしたちが聞いたもの、目で見たもの、よく見て、手で触れたもの」からイエスがこの世に誕生し、福音を宣べ伝えたことは、確かな事実と分かります。そして、これを見、聞いた人は、聞き見たままに伝えます。それが、大きな喜びとなっていくことを希望して手紙を書いています。

◯新約聖書:ヨハネによる福音書・第20章~第21章は、イエス・キリストの復活とその顕現が述べられていますが、今日の朗読は、その最初の箇所になっています。
マグダラのマリアから、「主が墓から取り去られました」と知らされた使徒聖ペトロともう一人の弟子(聖ヨハネ使徒のこと)は、墓に向かって走ります。「もう一人の弟子」と4回も書かれていますが、それは2節にあるように、「イエスが愛しておられた」弟子です。彼は、最後の晩餐では「イエスの胸もとに寄り」(第13章・第25節)、十字架のそばで、「イエスの母を自分の家に引き取り」(第19章・第27節)、「…わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだ…」(第21章・第22節)と言われたヨハネ福音の著者と言われています。彼は、イエスの愛に気づき、支えられ、復活の証人となったのです。

【アトリビュート】
西洋絵画、特に宗教画(キリスト教絵画)には、「アトリビュート(=持物:じぶつ)」というものがあります。これは、絵を描く時の“約束事”として、特定の人物(聖人など)に密接に結びつけられたもの、例えば花、動物、小物、道具や背景などが画かれるのです。
例えば、聖母マリア様ですと、必ず画かれているのが純潔の象徴である「百合の花」ですね。「受胎告知」の絵で、大天使ガブリエルが百合の花を持っています。そして、天の真実を意味する「青色(濃紺色)のマント」です。「祈りの聖母」と「悲しみの聖母」の絵もそうですね。他にも、「12の星の冠」や足の下に「三日月」と「蛇」が画かれています。聖母マリア様の絵を見るときはよく観察しましょうね。
他にも、聖母マリアの夫である聖ヨセフは、大工であったことから大工道具がアトリビュートになっていますし、聖アガタは、乳房を切り取られたことから、乳房がアトリビュートになっています。旧約聖書の「トビト記」に出てくるトビアスを描いた絵は、必ず魚が画かれています。(「トビト記」を読めばわかります。)マグダラのマリアの絵は、必ず香油の壺とドクロが画かれています。
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教会日記2023.12.26(カトリック成城・聖タデオ教会「聖ステファノ殉教者の祝日のミサ」火曜日) [教会日記]

今朝は、出勤する前に小田急線成城学園前駅で途中下車し、カトリック成城・聖タデオ教会で7時から「聖ステファノ殉教者の祝日のミサ」に与りました。今日は「主の降誕第二日のミサ」でもあります。一昨日24日(土)は「主の降誕の祭日・夜半のミサ」が行われ、昨日25日(月)は「主の降誕日中のミサ」が行われました。これで、私たちが待望したイエス・キリストは、ようやくご誕生しました。これでクリスマスシーズンは一区切りつきましたね。ところで、今日も寒いです!町田市相原町の午前5時の気温は−2度でした( ̄▽ ̄;)

ミサでは、迫害する者の赦しを神に求めた聖ステファノ殉教者の祝日をお祈りしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン」
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
今日も清々しい一日を迎えています!
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「聖ステファノ殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日12月26日は、「聖ステファノ殉教者」の祝日です。
ステファノは、新約聖書の『使徒言行録』に登場するユダヤ人キリスト教徒(35年又は36年頃没)で、使徒たちを補佐するために選ばれた7人の1人です。キリスト教における最初の殉教者で、信仰のために自らの命を犠牲にした敬虔な信徒でした。日本正教会では「初致命者首輔祭聖ステファン」と呼ばれています。カトリック教会では12月27日が祝日ですが、ステファノの遺体がホノリウス帝の治下で発見された8月3日を記念日とすることもあります。
ステファノは天使のような顔を持ち、「不思議な業としるし」によって人々をひきつけたため、これをよく思わない人々によって訴えられ、最高法院に引き立てられました。そこでもステファノはユダヤ人の歴史を引き合いにしながらユダヤ教を批判したため、ファリサイ派によって石打ちの刑に処せられました。『使徒言行録』には、この場にサウロ(後のパウロ)が立ち会っていたという記述があります。
◯この絵は、シャルル・ル・ブラン(フランス:1619年~1690年)の『聖ステファノの殉教』です。シャルル・ル・ブランは、フランスの画家、室内装飾家で美術理論家です。ルイ14世の第一画家としてヴェルサイユ宮殿、ルーヴル宮殿等の内装を担当しています。王立絵画彫刻アカデミー(後の芸術アカデミー)などに関わり、17世紀フランス工芸・美術界に強い影響を与えています。
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◯新約聖書:使徒言行録・第6章・第8~第10節、第7章・第54~第60節
「さて、ステファノは、恵みと力とに満ちて、民の間で素晴らしい不思議な業と徴を行っていた。ところが、いわゆる「解放された人々」の会堂に属する人々、セレネ人、アレクサンドリア人と、キリキアやアジアからの人々が立ち上がり、ステファノと議論したが、彼が語る知恵と霊には、対抗することができなかった。
これを聞いた人々は心の中で激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。しかし、聖霊に満たされて天をじっと見つめていたステファノは、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見た。そこで、彼は言った「ああ、天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」。人々は大声で叫びながら耳を覆い、ステファノを目がけて一斉に襲いかかり、彼を町の外に引き出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着を、サウロという若者の足もとに置いた。彼らが石を投げつけている間、ステファノは、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と祈った。そして、ひざまずいて、大声で、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫んだ。こう言って、彼は眠りについた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
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カトリック聖歌集第653番『まきびと』のお話し [聖歌日記]

今日ご紹介する聖歌『まきびと』は、毎年降誕祭・降誕節のミサで歌われますね。特に「主の降誕の祭日・夜半のミサ」でよく歌われるのではないでしょうか。カトリック教会では、カトリック聖歌集に収録されています。この『まきびと』は、漢字で「牧人」と書きますが、つまり羊飼いのことですね。プロテスタント教会での名称は『牧人ひつじを(まきびとひつじを、英語The first noel)』で、元はクリスマスに歌われるイギリスのキャロルのことです。この曲の旋律は、イングランド西部地方に17世紀以前から伝わっている旋律で、ウィリアム・サンディーズが1833年に発表して以来、軽快な曲と共に世界に広まったそうです。なお、イギリス国教会由来の日本聖公会は、カトリック教会と同じ名称・歌詞です。
◯アブラハム・ダニエルス・ホンディウス作の『羊飼いへの告知』です。制作年は1663年から1663年で、アムステルダム国立美術館に所蔵されています。
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◯歌詞
1番:まきびとひつじを 守れるそのよい
たえなるみ歌は 天(あめ)よりひびきぬ
喜びたたえよ 主イエスは生まれぬ

2番:仰げばみ空に きらめく明星(あかぼし)
よるひるさやかに 輝きわたれり
喜びたたえよ 主イエスは生まれぬ

3番:その星しるべに みたりの博士ら
メシヤを尋ねて はるばる旅しぬ
喜びたたえよ 主イエスは生まれぬ

4番:くすしき光の 導くまにまに
博士はまぶねの 主イエスにまみえぬ
喜びたたえよ 主イエスは生まれぬ

この「まきびと」は、新約聖書の『ルカによる福音書』に書かれています。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第1~第20節
「そのころ、皇帝アウグストゥスによって、全世界の住民に登録をせよとの勅令が発布された。この登録は、キリニウスがシリア州の総督であった時に行われた、最初のものであった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰っていった。
ダビデ家とその血筋に属していたヨセフも、すでに身籠もっていたいいなづけのマリアを伴って、登録のために、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
ところが、二人がそこにいる間に、出産の日が満ちて、マリアは男の初子を産んだ。そして、その子を産着にくるみ、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には、彼らのために場所がなかったからである。
さて、その地方では、羊飼いたちが野宿をして、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の使いが羊飼いたちのそばに立ち、主の栄光が彼らの周りを照らし出したので、彼らはひどく恐れた。み使いは言った。「恐れることはない。わたしは、民全体に及ぶ、大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見出すであろう。これが徴である」。すると突然、み使いに天の大軍が加わり、神を賛美した。
「いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人に平和」
み使いたちが離れて天に去ると、羊飼いたちは語りあった。「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださった、その出来事を見て来よう」。そして、彼らは急いで行き、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあてた。それを見た羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを、人々に知らせた。羊飼いたちが語ったことを聞いた人々はみな不思議に思った。しかし、マリアはこれらのことをことごとく心に留め、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、ことごとく告げられたとおりだったので、神をほめたたえ、賛美しながら帰っていった。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
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教会日記2023.12.24(カトリック成城・聖タデオ教会「主の降誕の祭日・夜半のミサ」日曜日)   [教会日記]

今日は、カトリック成城・聖タデオ教会の16時、18時及び20時開式の「主の降誕の祭日・夜半のミサ」に与りました。16時開式のミサは祭壇奉仕(侍者)を務め、18時開式のミサと20時開式のミサは聖歌奉仕(聖タデオ聖歌隊)を務めました。やっと今終わりました〜(⌒-⌒; )
ついに今年もイエス・キリストの降誕(誕生)をお祝いする日を迎えましたので、今夜の教会での挨拶は「こんばんは」ではなく、「おめでとうございます!」です。成城教会の「主の降誕の祭日・夜半のミサ」は、14時は教会学校の子どもと共にするミサ、16時は手話通訳付きミサ、18時はYouTube配信もするミサ、20時の4回で、明日25日(月)の「主の降誕の祭日・日中のミサ」は、8時、10時、12時及びスカウト共にする14時開式の4回のミサとなります。

イエス・キリストは、24日の日没後の夜半から25日にかけてお生まれになったことになっています。ここで、毎年、主の降誕夜半のミサでの福音朗読となっている、新約聖書の『ルカによる福音書』からイエス・キリスト誕生の場面を画いた箇所を掲載します。
◯新約聖書:ルカによる福音書・第2章・第1~第20節
「そのころ、皇帝アウグストゥスにすよって、全世界の住民に登録をせよとの勅令が発布された。この登録は、キリニウスがシリア州の総督であった時に行われた、最初のものであった。人々はみな登録のために、それぞれ自分の町に帰っていった。
ダビデ家とその血筋に属していたヨセフも、すでに身籠もっていたいいなづけのマリアを伴って、登録のために、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
ところが、二人がそこにいる間に、出産の日が満ちて、マリアは男の初子を産んだ。そして、その子を産着にくるみ、飼い葉桶に寝かせた。宿屋には、彼らのために場所がなかったからである。
さて、その地方では、羊飼いたちが野宿をして、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の使いが羊飼いたちのそばに立ち、主の栄光が彼らの周りを照らし出したので、彼らはひどく恐れた。み使いは言った。「恐れることはない。わたしは、民全体に及ぶ、大きな喜びの訪れを、あなた方に告げる。今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった。この方こそ、主メシアである。あなた方は、産着にくるまれて、飼い葉桶に寝ている乳飲み子を見出すであろう。これが徴である」。すると突然、み使いに天の大軍が加わり、神を賛美した。

「いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人に平和」

み使いたちが離れて天に去ると、羊飼いたちは語りあった。「さあ、ベツレヘムへ行って、主が知らせてくださった、その出来事を見て来よう」。そして、彼らは急いで行き、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶に寝ている乳飲み子を捜しあてた。それを見た羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを、人々に知らせた。羊飼いたちが語ったことを聞いた人々はみな不思議に思った。しかし、マリアはこれらのことをことごとく心に留め、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、ことごとく告げられたとおりだったので、神をほめたたえ、賛美しながら帰っていった。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から

ベツレヘムの宿屋は、どこも満員で泊る場所がなかったので、夫のヨセフと妻のマリアの夫婦は、馬小屋(一般的に馬小屋といわれていますが、家畜小屋のことです。一説には洞窟ともいわれています。)で夜を明かすことになりました。しかし、妻のマリアは月が満ちて不安のなかで初めての子を産み、布に包んで飼い葉桶に寝かせました。寝ているその子を夫のヨセフが心配そうに見守っていたころ、羊飼い達は野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていました。暗闇に目を凝らしながら、外敵から羊の群れを守っている彼らには、町の賑わいも温かな団欒(だんらん)も縁遠いものでした。
仕事の都合上、律法で定められている戒めを守るのも大変だった羊飼い達は、罪深い者と見なされて裁判での証言も許されませんでした。安心して生活する場所もなかった人達だったのです。そのような羊飼い達に、その夜、主(しゅ)のみ使いが近づき、主の栄光があたりを照らしました。羊飼いに“主のみ使い”を通して、神様が近づいて来て下さったのです。荒野(あれの)をさすらい、故郷といえるところも安住の地もない孤独な羊飼い達に、神様が近づき、喜びの言葉が告げられたのでした。それが……、

「今日、ダビデの町に、あなた方のために、救い主がお生まれになった!」

というメッセージです。この言葉に羊飼い達は非常に驚き恐れます。そんな羊飼い達に天使は、「恐れるな」と告げ、繰り返し「あなたがたのために」、そして「あなたがたへ」と強調します。それは、この出来事が他の誰でもなく、羊飼い達のように罪深い者とされて虐げられ、いつも不安な生活を強いられている弱い立場の人達に告げられた神様の出来事だったからですね。
み使いをとおして神様が伝えたいのは平和・平安です。民全体に神様がお与えになりたいのは、大きな喜びです。暗闇ではなく光、絶望ではなく希望、そして赦しです。それを神様は、イエス・キリストをとおして羊飼い達からすべての人達にお与えになりたいのですね。羊飼い達は、この「不思議な出来事」を知らせてくれたみ使いに、天の大群が加わって神を讃美する歌声を聴いたのです。それが、

「いと高き天には、神に栄光、地には、み心にかなう人に平和」

天の大軍が自分たちに向けて「み心にかなう人」と力強く声高らかに歌うのを聴いて、羊飼い達はどんなに嬉しかったことでしょうか。どんなに慰められたことでしょうか。羊飼い達は、この時、初めて「あなたがたは罪人ではなく神さまのみ心にかなっているのですよ。」と言われたのです。神様は、はっきりと「み心にかなう人である」と言い切って受け入れて下さっているのです。
この言葉は、主イエス・キリストがお生まれになって以来、2000年の時を越えて、現在に至るまで、すべて人間に告げられている神さまの宣言なのです。ですから、降誕祭(こうたんさい:クリスマス・25日)は、最高に喜ばしい最高に嬉しいことなのですね。イエス・キリストはこの恵みと祝福をすべての人間にお与え下さるためにお生まれになり、それに生涯をささげられたのです。

◯ミサで配られた成城教会の今年のクリスマス・カード4種類です。掲載された聖句は、『ルカによる福音書』第2章・第11節「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」と同じく「今日ダビデの町で救い主がお生まれになりました。」、クリスマス聖歌「聞かせてください羊たちよ。あなたたちがいま耳にしたことを」です。写真は、それぞれのカードの表と裏です。
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18時と20時開式のミサでは、成城教会の聖タデオ聖歌隊(担当聖歌隊員8人づつの制限付き)の聖歌奉仕の一員として、次の聖歌を歌いました。降誕祭に歌えることができて最高ですね!ただ、朝昼兼用ご飯を10時に食べてから水しか胃袋に入れていませんので、20時開式のミサでは声に力が入りませんでした(⌒-⌒; )
◯聖歌奉仕で歌った聖歌は次のとおりです。
(1)18時開式
ミサ前のミサ:なし
入祭の歌:典礼聖歌集・第305番「やみに住む民は光を見た」①②
答唱詩編:典礼聖歌集・第148番「遠く地の果てまで」①④⑤
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第258番(降誕夜半)
奉納の歌:カトリック聖歌集・第655番「ああベツレヘムよ」①②③
拝領の歌:教会聖歌集・第36番「きかせてください」
拝領後の歌:カトリック聖歌集・第121番「あめのみつかいの」①②③
(2)20時開式
ミサ前のミサ:なし
入祭の歌:典礼聖歌集・第305番「やみに住む民は光を見た」①②
答唱詩編:典礼聖歌集・第148番「遠く地の果てまで」①④⑤
アレルヤ唱:典礼聖歌集・第258番(降誕夜半)
奉納の歌:カトリック聖歌集・第655番「ああベツレヘムよ」①②③
拝領の歌:カトリック聖歌集・第111番「しずけき」・第653番「まきびと」
拝領後の歌:カトリック聖歌集・第121番「あめのみつかいの」①②③
以上です。

ミサでは、主のご降誕の大祭日を祝いお祈りいたしました。
そして、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えしください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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コーリー・テン・ブームのことば(第2日目) [キリスト者(クリスチャン)]

「幸福というものは環境によって左右されるのではなく、その中における人間相互の関係によって決まる。」

コーリー・テン・ブームのことは、「コーリー・テン・ブームのことば(第1日目)2023.12.23」をご覧下さい。
幸福は、自分が置かれた環境やお金や物で決まるものではないのです。自分を取り巻く人間関係が良好であれば悩むこともないですし、たとえ人間関係以外で悩むことがあっても、人間関係が良好であれば誰とでも相談して解決できますよね。生きていく上で、良好な人間関係ほど大切なことはありません。
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教会日記2023.12.23(カトリック成城・聖タデオ教会「待降節第四主日のミサ」土曜日) [教会日記]

今日は、有給休暇をいただき仕事はお休みです。夕刻か家を出てカトリック成城・聖タデオ教会の18時からの「待降節第四主日のミサ」に与りました。今朝5時の町田市相原町の気温は、約−4度でした( ̄◇ ̄;) 寒いわけですね。寒くて目が覚め、速攻で暖房を入れました(⌒-⌒; )
さて、ついにイエス・キリストを待ち望む待降節も終わりを迎え、「主の降誕」が明日の日没後に迫りました。いよいよイエス・キリストのご誕生となります。回心して主のみ心が天に行われるように地にも行われるように、主のご降誕を祈りましょう。
◯ついにアドベント・クランツの4本目のローソクに火が灯されました!
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今日のミサは、祭壇奉仕(侍者)を務めました………が、また大失態をやってしまいました!感謝の典礼の司祭が奉献文を唱えるところで、カンパヌラ(チリンチリンと鳴らす手持ちの鐘)を3箇所(3回)鳴らすのですが、ミサの終盤の所作に意識が飛んでいて、3箇所とも鳴らすを忘れてしまいました。痛恨の極みです。前回は1箇所(1回)だけ忘れたのですが、今回は3箇所すべて忘れましたから、まったくの間抜けです。さすがに2回目はアホです。何も難しい務めではありませんが、これでは祭壇奉仕者(侍者)失格です。緊張はしていたのですが………。明日も祭壇奉仕(侍者)を務めます。完璧に務めてリベンジです!

ミサでは、
「栄光の全能永遠の父よ、
御名(みな)が讃えられますように、
崇められますように、
アーメン
と、まず主を讃えて祈り、
次に、
「今日も清々しい一日を迎えさせていただき、
主の慈しみとご聖体を拝領させていただいたことに感謝申し上げます。」
と、主に感謝しました。

そして、
「天におられる私たちの父よ、
どうかこの祈りを聴き入れてください。
慈しみ深く憐れみ深い主よ、
主に救いを求める人々に主の平安をお与えください。
病に苦しむ人々に主の癒しをお与えください。
貧困にあえぐ人々に主の豊かな恵みをお与えください。
主よ、どうか主に救いを求める人々がすべて救われますように。
私たちの主イエス・キリストによって。
アーメン」
と、主により頼む祈りを捧げ、

そして、
「主よ、ここに私がおります。
この私を遣わしてください。
アーメン」
と、主に私が福音宣教に派遣されることを祈りました。

終わりに、
「大天使聖ミカエル、
悪との戦いにおいて、私たちを守り、
凶悪な企みに打ち勝つことが出来ますように。
神の命令によって
悪魔が人々を害することが出来ないようにお願い致します。
天軍の総帥、
人々を惑わし、食いつくそうと探し回っているサタンと
他の悪霊を神の力によって地獄に閉じ込めて下さい。
アーメン。」
と、『大天使聖ミカエルへの祈り』を祈りました。
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