「聖ステファノ殉教者」のお話し [聖人・福者・尊者]

今日12月26日は、「聖ステファノ殉教者」の祝日です。
ステファノは、新約聖書の『使徒言行録』に登場するユダヤ人キリスト教徒(35年又は36年頃没)で、使徒たちを補佐するために選ばれた7人の1人です。キリスト教における最初の殉教者で、信仰のために自らの命を犠牲にした敬虔な信徒でした。日本正教会では「初致命者首輔祭聖ステファン」と呼ばれています。カトリック教会では12月27日が祝日ですが、ステファノの遺体がホノリウス帝の治下で発見された8月3日を記念日とすることもあります。
ステファノは天使のような顔を持ち、「不思議な業としるし」によって人々をひきつけたため、これをよく思わない人々によって訴えられ、最高法院に引き立てられました。そこでもステファノはユダヤ人の歴史を引き合いにしながらユダヤ教を批判したため、ファリサイ派によって石打ちの刑に処せられました。『使徒言行録』には、この場にサウロ(後のパウロ)が立ち会っていたという記述があります。
◯この絵は、シャルル・ル・ブラン(フランス:1619年~1690年)の『聖ステファノの殉教』です。シャルル・ル・ブランは、フランスの画家、室内装飾家で美術理論家です。ルイ14世の第一画家としてヴェルサイユ宮殿、ルーヴル宮殿等の内装を担当しています。王立絵画彫刻アカデミー(後の芸術アカデミー)などに関わり、17世紀フランス工芸・美術界に強い影響を与えています。
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◯新約聖書:使徒言行録・第6章・第8~第10節、第7章・第54~第60節
「さて、ステファノは、恵みと力とに満ちて、民の間で素晴らしい不思議な業と徴を行っていた。ところが、いわゆる「解放された人々」の会堂に属する人々、セレネ人、アレクサンドリア人と、キリキアやアジアからの人々が立ち上がり、ステファノと議論したが、彼が語る知恵と霊には、対抗することができなかった。
これを聞いた人々は心の中で激しく怒り、ステファノに向かって歯ぎしりした。しかし、聖霊に満たされて天をじっと見つめていたステファノは、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見た。そこで、彼は言った「ああ、天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」。人々は大声で叫びながら耳を覆い、ステファノを目がけて一斉に襲いかかり、彼を町の外に引き出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着を、サウロという若者の足もとに置いた。彼らが石を投げつけている間、ステファノは、「主イエスよ、わたしの霊をお受けください」と祈った。そして、ひざまずいて、大声で、「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないでください」と叫んだ。こう言って、彼は眠りについた。」
『原文校訂による口語訳フランシスコ会聖書研究所訳注聖書』から
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